2023年12月24日日曜日

クリスマスの思い出

  幼い頃、クリスマスというと、母がクリスマスツリーを出してきて、クリスマスソングのレコードをかけて、鶏のモモ肉を1人1本焼いてくれた。母はどこで、そういうクリスマスの祝い方を仕入れてきたのだろう。クラッカーを鳴らして、ささやかなプレゼントとはなやいだ空気がうれしかった。
 一番よく覚えているクリスマスプレゼントは、小学校低学年のときにもらったお裁縫箱。中に入っていた母がフェルトで作った長靴型の針山は、今も私の裁縫道具の中にある。

 10代の頃は、鶏の丸焼きというのにあこがれて、姉と一緒にスタッフト・チキンを作った。あの頃、新しい料理のレシピの情報源は雑誌で、雑誌の記事を切り抜いて、見よう見まねで、フィリングをつくり、オーブン皿に野菜を敷いて焼いた。胸のところにある、ウィッシュボーンの実物をはじめて見たのもあの頃だった。

 留学していたとき、amueblado つまり家具・家財道具つきのアパートのオーブンに串がとりつけられるようになっていて、スイッチを押すと、オーブンの中でその串がくるくる回るのがわかってうれしくなった。

 クリスマス前日、近所の市場の鶏屋さん(ここでは、鶏や七面鳥やウズラと卵、ウサギ肉だけを売っている)で、はじめて丸鶏を買った。丸鶏を買うと、「どうしますか?」と店の人が聞いてくれる。鶏屋さんには、台に固定された巨大なハサミがあって、大きな部分はそのハサミでジョキジョキ切ってくれた。私ははりきってAsí. とこたえた。「そのままで」ということだ。一度言ってみたかったので、それだけで、またまた気分があがった。
 そして、栗やらマシュルームやらたまねぎやらプラムやらをつめて鶏を串に刺した。ドキドキしながら、温度を設定して、串をまわしながら焼きはじめた。

 ところが、しばらくすると、バッタンバッタン音が聞こえはじめた。いったい何かと思ってみたら、はしたなく大股開きになった鶏の脚が、オーブンの底面にぶつかっているのだった。
 凧糸がなかったので、穴のところを軽く爪楊枝でとめただけだったのが失敗の原因だった。詰め物があちこちとびちって、オーブンの中は惨状と化していて、笑ってしまった。仕方なくオーブン皿に鶏をおろして、続きは回さずに焼いた。
 味がどうだったかはよく覚えていない。3人の子がいれば、どっちみち、あっという間に鶏は原型をとどめなくなる。作った料理を競いあって食べる子どもたちを見るのが、何より幸せだったなと、今となればなつかしい。

 配偶者の家が寺で、もともとクリスマスを祝わない人だったので、子どもたちにクリスマスプレゼントをあげるのも、ケーキや特別な料理を作るのも、どこか罪悪感があって、いつのまにかクリスマスはそれほど楽しみではなくなった。
 でも、今年は生協の宅配カタログを見ているときに魔がさして、丸鶏を買ってしまった。冷凍庫にでーんと鎮座している鶏をいつ焼こうかと思っているうちに、クリスマスは過ぎていきそうだ。
 
 

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