2023年7月24日月曜日

聞かぬは一生の恥

  今、ゲラを見ている作品で、どうも自信のないところがあり、ネイティブに確認したところ、「何できいてくるのか、わからない。これしかないだろう」というような返事が来て、ちょっと凹みました。

 そうなんだろうけど、「ねえ、ここってこうだよね?」というのを、確かめたいことはときどきあるんですよね。「そうだよ」と言ってもらえたら、それで気がすむのですが、ときにはぜんぜん勘違いしていることもあるので。

 行き場のない思いをかかえて、「あーあ」と思いながら歩いていたら、母がよく「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言っていたのを思い出しました。

 どんな文脈で言われたか、もう覚えていないけれど、もじもじしていると、そう言って、肩を押されていたような気がします。

 で、まあいいか、わかったんだから、という気持ちになりました。

 でも、そのあとで、父によく「見てわからんもんは、きいてもわからん」と言われていたのも思い出しました。

 父は、人にものをならうのが好きじゃなくて、なんでも本を買って独学でおぼえようとする人でした。でも、年をとるほどにあきっぽくなって、何もかも中途半端で投げ出していたのを見ると、先生にちょっとコツを教えてもらったら、もっと伸びて、続けられたのでは?と思いもしたものでした。独習の限界もあるなと思えて。でも、楽しかったのなら、あれはあれでよかったのか。

 いや、「見てわからんもんは、きいてもわからん」と言ったのは母だったか……? 小学生のころ、母がやっている刺繍を「教えて」とたのんだら、本を渡されて、「これを見てやりなさい」と言われた気もします。もう記憶があやふやです。

 でも、孫がクロスステッチをしたいと言ったときは、母は手とり足とり教えていました。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」から、父母のことをあれこれと思い出した日でした。



2023年7月4日火曜日

『かげふみ』記憶を伝え警鐘を鳴らす

 朽木祥さんの新作『かげふみ』(光村図書)に、『見知らぬ友』が出てきますよ! と編集者さんが知らせてくれたのは6月中旬のことでした。


 時間がかかってしまいましたが、本をとりよせて、ようやく読むことができました。

 朽木さんは、『八月の光』『光のうつしえ』『パンに書かれた言葉』『彼岸花はきつねのかんざし』など、多くの作品でさまざまな形で広島を描き、記憶を伝え、警鐘を鳴らし続けている作家です。

『かげふみ』は、夏休みに広島に住むおばあちゃんのところで過ごすことになった小学5年生の拓海が、児童館の図書室で見かけた女の子「澄ちゃん」をめぐって物語が展開します。児童館で仲良くなった地元の子たちと遊ぶうちに、拓海はこれまで考えたことのなかった、広島のあの夏の出来事と向きあっていくのです。

「おはぎが およめに いくときは……」という歌や広島の方言を織りまぜた文章がみごと。遊びから広がっていくところも好きだな。拓海が石けりをする澄ちゃんを見送った場面は、いつまでも余韻が残りました。

 拙訳のマルセロ・ビルマヘール著『見知らぬ友』(福音館書店)は、拓海が初めて児童館の図書室に行った日、「タイトルと表紙が気に入った本を、カウンターに持っていった。『見知らぬ友』という外国の物語だ。」(p.15)として登場します。

 先日、どこかの図書館のtwitterの新着本写真に『見知らぬ友』が並んでいたのは、この本のおかげかも。物語のなかで物語が生かされる、これほど光栄でうれしいことはありません。

 朽木さん、どうもありがとうございます。

2023年7月1日土曜日

2年間よろしくお願いします

  昨日は、近所の神社で大祓茅の輪くぐりという行事があって、今年も半分過ぎたのかと驚いています。

 昨年末から4月までは、今年12月に刊行予定(もともとは今年6月のはずだったのがずれました)の作品の翻訳に追われ、その後、しばらくは何もしないぞと思っていたのに、べつの初校ゲラを1本チェックし(こちらは幸い9月に刊行される予定)、来年刊行のむかし話絵本の調べ物などをし、こまこました仕事をするうちに、初校ゲラが手元に届きました。

 そして、このところの何より大きな出来事は、1週間前、一般社団法人日本国際児童図書評議会(JBBY)の会長に選出されたこと。

 こういう肩書きが欲しい人もいるのでしょうけれど、私の場合は、なりたかったわけではもちろんなく、逃げきれなくて観念した、というのが正直なところです。

 あ、JBBYって何?と思った方は、こちらをご覧くださいね。 https://jbby.org/

 JBBYに入会したころ、当時会長を務めていた方は、みなすごく偉くりっぱに見えたものでした。それが、自分のところにお鉢がまわってくるとは。しかも、来年JBBYは50周年……。でも、順番なのかな、そういう年回りになったのかという気持ちもあります。

 気づかないうちに恩恵に浴していることというのが世の中にはあるものです。たとえば地域の盆踊り大会。子どもが小中学生のころ、中学校の校庭にやぐらを建て、ちょうちんを飾り、テントをはり、夜店用に2日間、毎日400食のカレーを作るなど、5、6年はボランティアをしていました。また、谷根千地域の不忍ブックストリート主催の一箱古本市だって、実行委員の方々の無償の尽力で成り立っています。それを大事に思う人たちによって支えられ、継続されていることはたくさんあります。日本翻訳大賞とかね。

 長く翻訳をし、子どもの本にかかわってきた私としては、JBBYが存在していることは大事なこと、という気持ちがあります。さまざまな視点から子どもの本のことを考え、人権や子どもと本の自由や多様性を大切にし、世界規模で誰ひとりとりのこさないで本を届けることを考える組織はほかにないから。だから、やるっきゃないとも思うわけです。不安に揺れながらも。

 3期6年会長を務めたさくまゆみこさんは在任中ずっと、翻訳をする時間がないと嘆いていらっしゃいました。私にとっても、本業である翻訳とどう折り合いをつけていくかが最大の課題です。どうなるでしょう。

 つい先日、理事としてかかわっているNPO法人で、自分のヘマが原因ですが、へたりそうになることがありました。そんなことがあると、翻訳の時間を削ってこういうことをして、自分はいったい何をやっているのか、そんなのは自己満足、単なる思い上がりでは、という気分にもなります。いろんな人がいるんだなとも、思い知ります。

 だけど、これもめぐりあわせ。抽象的なこと、具体的なこと、ポジティブなこと、ネガティブなこと(これは少ないといいけれど)、さまざまな出会いを期待する心持ちを持ち続けられたらと思っています。

 どうぞみなさま、お手やわらかに。