2020年6月28日日曜日

Mar dulce スケッチ(2)ガレアーノをたずねて

モンテビデオの友人を訪ねることが決まったとき、「どこに行きたい?」と問われ、まずお願いしたのがエドゥアルド・ガレアーノゆかりの地の文学散歩でした。

数年前、『火の記憶』(飯嶋みどり訳、みずず書房)の中のいくつかの創世神話をスペイン語専攻の2年生と読んだことがあります。「何でこうなるの?!」と、学生がなかなかのってこず、苦しかった記憶がありますが、ラテンアメリカの中でのガレアーノの存在感は特別なものがあります。
特別ガレアーノが好きというわけではないのですが、『日々の子どもたち』(久野量一訳、岩波書店)の記憶も新しく、モンテビデオに行くなら行ってみたいというミーハー丸出しで、まずは、ガレアーノが足しげく通ったというCafe Brasileroを目指しました。


ちょうどお昼前だったので、店内のそれほど多くない席はランチのお客さんですでに埋まっていて、残念ながらコーヒーは飲めず。
店内には、写真や新聞の切り抜きが飾られていました。
https://www.cafebrasilero.com.uy
予約すればよかったんですね。

2つめは、ガレアーノが通ったという古本屋Librería Linardi y Risso。


店に入ると、左の壁面いっぱいの本棚に圧倒されます。低い面陳の棚の本は、どうということのない新しい本でしたが、本棚の古い本を1冊1冊見だしたらきりがなさそう。
http://www.linardiyrisso.com/index.html
HPには、ガレアーノを批判したバルガス=リョサの写真は出てくるものの、ガレアーノは見当たりませんが。

モンテビデオの街はヨーロッパ的な印象ですが、いくらか素朴。下は、ガレアーノが歩いたに違いない旧市街のようす。

旧市街のPlaza Matriz(次も)

旧市街のSarandi通り

1月末はいつもはとても暑いそうですが、私がいた間は初夏のように爽やかでした。


2020年6月25日木曜日

雨の日がいい

もう10年以上前になるが、初めて仕事場を借りた。たぶん次男が中学の頃。

3人の子が小さかったときは、ほうっておいても死なないくらいに、早く大きくなってほしいと思っていたけれど、いざ全員が中学以上になると、長期休暇は地獄だった。
部活の都合によって、出かける時間はまちまち、帰る時間もまちまち、お昼の時間もまちまち、「おなかすいた」「わたしのxx知らない?」「xx食べていい?」「xxに行ってもいい?」「明日xxがいるんだけど」「えー、オレもう出かけるんだけど(昼ごはんできてないのか、ということ)」などなど、その度に集中が途切れて、ようやく集中したと思うと、また声がかかる。
ほっといてくれと思うけれど、だれかが出かけるときと、戻ってくるときは、やっぱり「行ってらっしゃい」「おかえり」と声をかけたくて、その前後はそわそわしてしまう。
しかも、出かける時間、ごはんの要不要、帰宅時間など、カレンダーにメモしておいてというのに、だれも書いてくれず、「昨日、言ったじゃん」と言われても、ぜんぜん覚えられない。
そっちは1対1のつもりでも、こっちは1対4(家人もいる)なんだから、いつ言われたかすら覚えていない。

まいったなあと思っていたとき、うちから自転車で10分ほどのところに住んでいた友人が引っ越すことになった。前に、「いいね」と、私が言ったのをおぼえていてくれて、「借りるなら、大家さんに話してあげるよ」と言ってくれ、トントン拍子で話が決まった。
家賃が4万円という破格の2K。

借りるつもりで、もう一度見せてもらいにいった日、友人が言った。
「雨の日がいいのよね。静かで」
へえーと思った。
「日当たりがいい」とか「風通しがいい」とかじゃなくて、「雨の日がいい」というのが新鮮だった。
実際、雨の日は、自転車に乗れず、行き来がたいへんだったけれど、築40年の団地のような作りの5階建マンションの1階にあったその部屋は、窓をあけると戸建の隣家との間に狭い庭があって、そこにキンカンの木が立っていて、雨の日は、しとしとと雨の音だけが聞こえた。

今朝、目が覚めたとき雨音を聞こえて、ふと、「雨の日がいいのよね」と言っていた友人の声と、10数年前、初めて持った自分のスペースを思い出した。
あそこで思い切って仕事場を借りなかったら、私は息が詰まっていただろう。
すごく貴重な空間だった。

今は一人で、誰ともしゃべることなく1日がすぎることも多く、あの頃のにぎやかさが、ちょっとだけ懐かしい。

2020年6月23日火曜日

仲間意識と羨望と

今、ある翻訳の最後の仕上げにかかっています。久々の一般向けの文芸です。

この作品、4月に英語版が発売になったので、解釈に自信がないところは、その英語訳で確認していますが、その作業が思いのほか楽しくて、にやにやしています。

「うーん、これでいいのかな」と迷っている箇所を読んで、自分と同じ解釈をしていると、「やっぱり、そうだよね」と、握手をしたくなります。
一方で、読み比べてみると、英語版は「なーんだ、ただ言葉を置き換えてるだけじゃん」というところも多く、「これでいいなら、1日にいくらでも訳せるよ!」と羨望の念がわいてきたり。文のリズムも、ほとんど変わらないんですね。
だけど、ときどき、「これを、こう訳すのか!」と、はっとする表現があって、「こうきましたか!」と、拍手したくなることも。

会ったわけじゃないけれど、仲間を得たような気持ち。
一人でぶつぶつつぶやいて、かなりあやしい。
あとしばらくがんばりどころです。



ほとんど変化のないまま過ぎゆく毎日。ベランダのミニトマトの成長だけが、時の経過を実感させます。「支柱のいらないミニトマト」の苗を買ったら、高さは30センチにもならないのに、横は直径1メートル以上に育ち、実が鈴なり。これからが楽しみです!

2020年6月12日金曜日

Mar Dulce スケッチ(1) 

今年の1月末から2月上旬にかけて、モンテビデオ、ブエノスアイレスを旅しました。2.3月は予定があれこれあったので、そこしかないと思って入れた予定でしたが、今から思うと夢のような夏休みでした。

モンテビデオとブエノスアイレスは、海のように川幅の広いラ・プラタ川に面しています。この川は、別名Mar Dulce(直訳すれば「甘い海」ですが、「真水」agua dulce と同じ意味のdulceか)。なんと美しい名前!
こんな時ですが、Mar Dulce の旅のあれこれを、少しずつつづってみます。

ホテルの前の公園にあったgomeroの木。とにかく大きい!
ブエノスアイレスで泊まったのは、中心街をちょっとはずれた通りのホテル。かの有名な書店Ateneo に、どうにか歩いていけるあたりです。
朝、ホテルから外に出たとき、思わず路上に見入りました。ホテルと道をはさんだところにある公園の角、ゴミのコンテナのとなりにマットレスがあり、ホームレスの女性が寝ていたのです。

「ラテンアメリカが生んだ新世代のホラープリンセス!!!」というオビのついた短編集、マリアナ・エンリケス『わたしたちが火の中で失くしたもの』(河出書房新社)の1つめの短編「汚い子」に、道ばたに三枚積みあげたマットレスで暮らすホームレスの母親と子どもが出てきます。

その後、4日ほど街を歩くあいだに、ほかの通りでも、マットレスのホームレスの姿は何度か見かけました。ブエノスアイレスではよくある光景なのか。夏だったからか。
現実とフィクションが交錯して、「汚い子」がリアルに迫ってきた瞬間でした。