2024年1月23日火曜日

『キミのからだはキミのもの』

 


『キミのからだはキミのもの』
Tu cuerpo es tuyo
絵と文:ルシア・セラーノ
訳:宇野和美
監修:シオリーヌ
ポプラ社
2024年1月
この本は性について説明する本ではありません。
子どもの生活や体は子ども自身のものであり、性暴力は身近にあることを知ってほしい、防ぎたいという願いから生まれた本です。子どもを被害者にも加害者にもしたくない、という願いです。
「プライベートゾーン」「同意」という新しい時代に即した言葉や考え方、自分のからだのことは自分で決めるという考え方や実際の対処のしかた、まわりに信じられる人がきっといるということを伝えたいと考えます。(ポプラ社HPより)
 

  こちらのページもご参照ください。

昨年の初夏くらいから本格的に動きだして、じっくりと翻訳にとりくんできた、スペイン発のノンフィクション絵本です。幼児から読めるようなシンプルな本ですが、

   キミのからだことは、
 キミが きめる。

 あいさつや あそびでも
 ほかのひとに
 さわってほしくないときは
 「いやだ」と いおう。

というふうに、デリケートなテーマを扱っているので、誤解されないか、性暴力の被害者のほうに罪悪感を持たせるような言い方になっていないか、自分の努力が足りなかったと思われないかなど、担当編集さんと議論に議論を重ね、何度も読み合わせて仕上げました。

自分の人生をふりかえると、「性被害」にあいかけたのは、主に小学校高学年から中学生にかけてでした。
姉と歩いていたら、「ぼくのチンチンからミルクが出ます」という紙を男に見せられ、行き止まりの路地で見せられそうになったのも、人のあまり通らない場所でひとりで夏休みの宿題のスケッチをしているとき、おじさんが話しかけてきて、となりにしゃがみ、ズボンのチャックを開いてアレをとりだし自慰行為をしたのも、5、6年生のころ。でも、それが性被害だとは、わかりませんでした。
「ミルクが出ます」のときは、帰って母に話したら、母が真っ青になったので、おかしいことだと、あとからわかったのですが、警察に通報したかどうかはわかりません。スケッチの1件は、怖かったけれど、話すのがためらわれて、秘密にしたまま大人になりました。
登校の途中で、正面から歩いてくる、いつも同じ男性に、すれちがいざまに胸をさわられると娘に言われたのも、やはり娘が5、6年生のときでした。私も中学1、2年のころ、バスのなかで、いきなり胸をむぎゅっとつかまれ、ガクガク震えながら次の停留所で降りたことがありました。
だから、カラダやプレイベートゾーンのことは、そういう年頃になる前から、じょうずに教えるべきだと思うのです。
訳しながら、J事務所で被害にあった少年たちのことも考えました。

とても大事なことを語っている本です。
楽しい絵なので、子どもも手にとりやすそうです。
必要としている子どもたちのもとに届きますように。

2024年1月15日月曜日

『ガウディさんとドラゴンの街』

 


『ガウディさんとドラゴンの街』
原題:Un paseo con el señor Gaudí
文と絵:パウ・エストラダ
教育評論社
2023.12刊行

 スペインの建築家ガウディさん。彼の1日は、グエル公園にある家から仕事に出かけることから始まります。
 カサ・ミラ、サグラダ・ファミリア、カサ・バッリョ・・・ 
 バルセロナ出身の絵本作家が、モノづくり精神に打ちこんんだガウディの1日を綴り、2年をかけて詳細で緻密な絵で描いた作品。(版元ドットコムより)


 文学2点で力尽きて、昨年は子どもの本は出せないかなと思っていたところ、夏にこの仕事をいただいて、かなりハイスピードで刊行になりました。

 留学時代、最後の8か月だけ、バルセロナ市内のサン・ジャルバジ地区に住みました(2年近くは、『グルブ消息不明』(エドゥアルド・メンドサ著 柳原孝敦訳 東宣出版)の冒頭に出てくるサルダニョーラでした)。バルセロナに住んで何よりよかったのは、散歩圏内で、町のあちこちにあるアートを見られたこと。当時はまだグエル公園もカサ・ミラの屋上も無料で、手軽に楽しめました。
 地下鉄ではなくバスに乗って、外からモデルニスモの建物がある街並みを眺めるのも好きでした。

 そんな20数年前を思い出しながらの、楽しい仕事でした。

 ガウディの本は、スペインではほかにもいろいろあるのですが、これは、ていねいに描かれた絵のひとつひとつに、作者のパウ・エストラダのガウディやバルセロナの町への思いが感じられる、とても感じのよい絵本です。
 本のなかで、カサ・ミラからサグラダ・ファミリアに向かう途中でカサ・バッリョが見えるのは、実際はありえない道順ですが、作者が入れたかったのでしょうね。

 固有名詞の読みは慣例に従ったため(ガウディ展で使われているものなど)、スペイン語とカタルーニャ語の読みがごちゃまぜになっています。でも、グエル公園を、カタルーニャ語読みのグエイ公園とはできず……。

 バルセロナを知っている人には特に楽しい本だと思います。どうぞ手にとってみてください。

2023年12月29日金曜日

『ハリケーンの季節』

 


『ハリケーンの季節』
フェルナンダ・メルチョール
早川書房
2023年12月20日刊行

ブッカー国際賞、全米図書賞翻訳部門、名だたる国際的文学賞候補となったメキシコの新鋭による傑作長篇

魔女が死んだ。鉄格子のある家にこもり、誰も本当の名を知らない。村の男からは恐れられ、女からは頼られていた。魔女は何者で、なぜ殺されたのか? 現代メキシコの村に吹き荒れる暴力の根源に迫り、世界の文学界に衝撃を与えたメキシコの新鋭による長篇小説

(版元HPより)


 この作品の翻訳の依頼が舞いこんだのは、グアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』が発売になってまもない2021年9月8日のことでした。


 実はこの作品、ブッカー国際賞のファイナリストになったあと、日本でも翻訳出版されるべきと思い、2020年の末に、ある出版社に私ももちこみました。けれども、その後、連絡のないまま時がすぎ、日本翻訳大賞の授賞式のときだったかに、偶然顔を合わせた編集者から、ほかの社に版権が売れたと告げられたのでした。そのときは、自分には縁がなかったという思いと、やらなくてよかったかもしれないという思いがありました。翻訳が難しいことはわかっていたからです。


 なので、依頼をもらったときは仰天しました。もう誰かが手がけていると思っていたし、怖気づきもしました。だけど、「やらないと一生後悔する」という気持ちが勝って、翌日には、よろしくお願いしますと返事をしました。


 それにしても、ほんとうに難しかった。登場するさまざまな〈声〉の方向がなかなか定まらず、わからない表現も多く、時間がかかり、「これでこけて、翻訳者として終わりになるのでは」という不安にさいなまれました。


 翻訳していると、自分に足りないものがおのずと見えてきます。今回は特に罵倒語や俗語がそれでした。人が殴られたり死んだりするのや物が壊れるようなシーンが出てくるものは、小説でも映画でも、普段できるだけ近づかないようにしているたちなので、そういう方面の語彙の引き出しが極端に貧弱なのです。そこでインプットしようと、マンガを描いている映画好きの長男に頼みこんで、参考になるマンガや映画を教えてもらいました。マンガはまだ抽象化されているので読めても、映画は見ていられず(気持ちが悪くなる……)、音声だけ聞いたものも多々ありましたが。若者のあいだで使われている性的俗語も、彼が頼りでした。そんな付け焼き刃で大丈夫かと心配されても、付けないよりマシかと。


 方言をどうするかの問題もありました。これは考えたすえ、川上未映子著『夏物語』の英訳者の話を聞くなかで、人物間の関係性を反映した口語にすることを目指すことに決めました。

 また、上岡伸雄訳『ネイティヴ・サン アメリカの息子』には、主人公の思考をたどるところに類似する部分を感じて、大いに刺激されました。参加している読書会がきっかけで、ちょうどその時期に出会えてラッキーでした。


 スペイン語も難しかった。同じメキシコ人作家でも、ネッテルの文章はユニバーサルな書き言葉ですが、メルチョールのこの作品は極めてローカル。ベラクルス方言や口語など、みたことも聞いたこともない表現については、メキシコ大使館のベラクルス出身の方が力になってくださいました。でも、自分の勘違いだったらめちゃくちゃ恥ずかしいと思って、思い切って聞けない卑猥な表現もあって、そんなことや、日本語でしかうまく尋ねられないことなどで、強い味方になってくれたのが棚橋加奈江さんでした。映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』の原作本の訳者である棚橋さんには、メキシコの作品で翻訳に戻ってきてほしいと心から思います。


「こういう世界もある」ということを、数か月間つきつけられつづけるような翻訳作業でした。ともかく、フェルナンダ・メルチョールの代表作となるに違いないこの作品を、日本の読者に読み通していただけるよう、ただただ願っています。


 どんな作品か、ご興味のあるかたは、こちらであとがきの一部をご覧ください。

https://www.hayakawabooks.com/n/n8b6060878fe0?sub_rt=share_h

2023年12月24日日曜日

クリスマスの思い出

  幼い頃、クリスマスというと、母がクリスマスツリーを出してきて、クリスマスソングのレコードをかけて、鶏のモモ肉を1人1本焼いてくれた。母はどこで、そういうクリスマスの祝い方を仕入れてきたのだろう。クラッカーを鳴らして、ささやかなプレゼントとはなやいだ空気がうれしかった。
 一番よく覚えているクリスマスプレゼントは、小学校低学年のときにもらったお裁縫箱。中に入っていた母がフェルトで作った長靴型の針山は、今も私の裁縫道具の中にある。

 10代の頃は、鶏の丸焼きというのにあこがれて、姉と一緒にスタッフト・チキンを作った。あの頃、新しい料理のレシピの情報源は雑誌で、雑誌の記事を切り抜いて、見よう見まねで、フィリングをつくり、オーブン皿に野菜を敷いて焼いた。胸のところにある、ウィッシュボーンの実物をはじめて見たのもあの頃だった。

 留学していたとき、amueblado つまり家具・家財道具つきのアパートのオーブンに串がとりつけられるようになっていて、スイッチを押すと、オーブンの中でその串がくるくる回るのがわかってうれしくなった。

 クリスマス前日、近所の市場の鶏屋さん(ここでは、鶏や七面鳥やウズラと卵、ウサギ肉だけを売っている)で、はじめて丸鶏を買った。丸鶏を買うと、「どうしますか?」と店の人が聞いてくれる。鶏屋さんには、台に固定された巨大なハサミがあって、大きな部分はそのハサミでジョキジョキ切ってくれた。私ははりきってAsí. とこたえた。「そのままで」ということだ。一度言ってみたかったので、それだけで、またまた気分があがった。
 そして、栗やらマシュルームやらたまねぎやらプラムやらをつめて鶏を串に刺した。ドキドキしながら、温度を設定して、串をまわしながら焼きはじめた。

 ところが、しばらくすると、バッタンバッタン音が聞こえはじめた。いったい何かと思ってみたら、はしたなく大股開きになった鶏の脚が、オーブンの底面にぶつかっているのだった。
 凧糸がなかったので、穴のところを軽く爪楊枝でとめただけだったのが失敗の原因だった。詰め物があちこちとびちって、オーブンの中は惨状と化していて、笑ってしまった。仕方なくオーブン皿に鶏をおろして、続きは回さずに焼いた。
 味がどうだったかはよく覚えていない。3人の子がいれば、どっちみち、あっという間に鶏は原型をとどめなくなる。作った料理を競いあって食べる子どもたちを見るのが、何より幸せだったなと、今となればなつかしい。

 配偶者の家が寺で、もともとクリスマスを祝わない人だったので、子どもたちにクリスマスプレゼントをあげるのも、ケーキや特別な料理を作るのも、どこか罪悪感があって、いつのまにかクリスマスはそれほど楽しみではなくなった。
 でも、今年は生協の宅配カタログを見ているときに魔がさして、丸鶏を買ってしまった。冷凍庫にでーんと鎮座している鶏をいつ焼こうかと思っているうちに、クリスマスは過ぎていきそうだ。
 
 

2023年12月10日日曜日

『吹きさらう風』



『吹きさらう風』
セルバ・アルマダ著
松籟社
2023年10月14日刊行

アルゼンチン辺境で布教の旅を続ける一人の牧師が、故障した車の修理のために、とある整備工場にたどりつく。
牧師、彼が連れている娘、整備工の男、そして男とともに暮らす少年の4人は、車が直るまでの短い時間を、こうして偶然ともにすることになるが――
ささやかな出来事のつらなりを乾いた筆致で追いながら、それぞれが誰知らず抱え込んだ人生の痛みを静かな声で描き出す、注目作家セルバ・アルマダの世界的話題作。(版元ドットコムより)
 メキシコのグアダルーペ・ネッテルに続いて、ラテンアメリカの女性作家の翻訳第2弾として、この10月にアルゼンチンのセルバ・アルマダの作品を翻訳出版することができました。

 この本と出会ったのはマドリードのTipos Infames という本屋さん。もっと女性作家の作品を読んでみたいと思って、書店員さんにオススメをたずねたところ、紹介してくれました。

 ある場所に偶然生まれおちて、生きていくわたしたち。
 アルゼンチンの辺境を舞台としたこの小説を読んでいると、生きていくことの不思議を思わずにはいられません。
 ローカルな物語が、深く深く普遍に通じています。
 この本の感慨は語りにくいのですが、マッカラーズの『結婚式のメンバー』の読んだときのような、どこかシーンとした気持ちになりました
 こういう小声で語られた、けれんみのない作品がとても好きです。
 
 松籟社の木村さんと仕事をしてみたくて京都を訪ねたのは、パンデミックで1年が過ぎた2021年3月31日のことでした。京都の駅前のホテルの喫茶室で見ていただいた2点のなかで、派手さから無縁のこの作品を「やりましょう」と言っていただけて、天にものぼる心地でした。
 ていねいに訳稿も見てくださって、とても気持ちのよい仕事でした。

 一言で語れるわかりやすい売り文句がない本は、なかなか注目されにくい昨今ですが、長く読みついでいただけますようにと願っています。

2023年9月9日土曜日

はじめての青森(1)

  9月6日から8日まで青森に行ってきました。

 仕事が一段落したら、何日かすっかりオフで過ごそうと決めていて、このへんなら大丈夫かと、日程を決めたのは8月下旬。楽しみに予定を立てました。

1日目 青森

 なんとはなしに行き先を青森に決めてから、そういえば、アフリカ子どもの本プロジェクトでおつきあいがあった沢田としきさんは青森の人だったなとか、4年前に亡くなった友人が、最後の夏にねぶたを見に行ってたなとか、母の十八番が「津軽海峡冬景色」だったなと思い出して、案外、ご縁があるじゃないと思ったことでした。

 午前中に到着し、涼しさを喜びながら、まずは県立美術館へ。「メイキング・オブ・ムナカタ」という、大規模な企画展をやっていました。特に興味があったわけではなかったのですが、今回改めて全体像を見て、作品のデザイン性を強く印象づけられました。

 心に残ったのは、キリストの十二使徒を描いた作品と、最後の展示室にあった大きな壁画のような作品。これはそのうちのひとつ。もっと大きなのもありました。


 また、地元出身の奈良美智さんの作品のコレクションもおもしろかった。最近話題の「あおもり犬」にも会えました。

 美術館は順路が複雑で、要所要所にスタッフの女性が立っているのですが、ユニフォームが、ワンピースというか、長めのスモックのような服で新鮮でした。ランチをした美術館のレストランも、ゆったりしていて、とても居心地がよかったです。

 午後は、美術館に行く途中にバスの車窓から見えた古書らせん堂さんへ。ぱっと目に入ってX(旧twitter)ですぐに検索するとアカウントがあったので迷わず行けました。文学や人文関係、美術書、郷土資料その他、充実した品揃え。青森にいらっしゃる方はぜひお立ち寄りください。

 読んだことのない倉橋由美子の初期の作品と、読み返したかった短編が収録されている有名な英米文学、2冊の文庫を購入。青森に来てよかった! という気持ちになりました。

 そのあと海に出て、海沿いのウッドデッキをぷらぷら歩いて港のほうへ。曇っていても、いつでも海の景色は好き。

 それから、ねぶたの家ラ・ワッセで、ねぶたを見て圧倒され、ビデオで雰囲気を少し味わってきました。若いねぶたの作り手がいるのがすごい。いつかお祭りそのものを見たいな。

 夜は、らせん堂さんで、青森で一番おいしいと教えてもらった一八寿司へ。たいへん満足。

 特に予定を決めず、体の動くままの旅の1日目、無事終了。

 

2023年7月24日月曜日

聞かぬは一生の恥

  今、ゲラを見ている作品で、どうも自信のないところがあり、ネイティブに確認したところ、「何できいてくるのか、わからない。これしかないだろう」というような返事が来て、ちょっと凹みました。

 そうなんだろうけど、「ねえ、ここってこうだよね?」というのを、確かめたいことはときどきあるんですよね。「そうだよ」と言ってもらえたら、それで気がすむのですが、ときにはぜんぜん勘違いしていることもあるので。

 行き場のない思いをかかえて、「あーあ」と思いながら歩いていたら、母がよく「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言っていたのを思い出しました。

 どんな文脈で言われたか、もう覚えていないけれど、もじもじしていると、そう言って、肩を押されていたような気がします。

 で、まあいいか、わかったんだから、という気持ちになりました。

 でも、そのあとで、父によく「見てわからんもんは、きいてもわからん」と言われていたのも思い出しました。

 父は、人にものをならうのが好きじゃなくて、なんでも本を買って独学でおぼえようとする人でした。でも、年をとるほどにあきっぽくなって、何もかも中途半端で投げ出していたのを見ると、先生にちょっとコツを教えてもらったら、もっと伸びて、続けられたのでは?と思いもしたものでした。独習の限界もあるなと思えて。でも、楽しかったのなら、あれはあれでよかったのか。

 いや、「見てわからんもんは、きいてもわからん」と言ったのは母だったか……? 小学生のころ、母がやっている刺繍を「教えて」とたのんだら、本を渡されて、「これを見てやりなさい」と言われた気もします。もう記憶があやふやです。

 でも、孫がクロスステッチをしたいと言ったときは、母は手とり足とり教えていました。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」から、父母のことをあれこれと思い出した日でした。