2022年12月4日日曜日

『花びらとその他の不穏な物語』

 


グアダルーペ・ネッテルの第二弾『花びらとその他の不穏な物語』が現代書館から12月7日に刊行になります。

ネッテルからサインを入りの原書をいただいたのが2013年。それから9年後の今、本当にこの日本語版を手にし、しかも大勢の方が楽しみにしてくださっていて、ネッテルも喜んでくださっているというが信じられません。

「人間を美しくしているのは、私たちのモンスター性、他人の目から隠そうとしている部分なのです。」

というオビに入ったネッテルの言葉を体現したような6編。

やっぱりネッテル!か、これもネッテル!か、ここまでネッテル!か、どうぞお楽しみください。

第二弾が出ると告知したとき、「待ってました!」というような言葉をかけてもらいました。そういうのはたぶんはじめての経験で、編集の原島さんともども(でしょうか?)、かなりビビりつつ、こうして読んでいただけるのを喜んでいます。

『赤い魚の夫婦』とともに、どうぞ末長くかわいがっていただけますように。








2022年11月22日火曜日

小学館世界J文学館



小学館世界J文学館がいよいよ本日発売になりました。1冊の本を買って、ユーザー登録すると、説明ページのQRコードから125冊の世界の児童文学を読めるという新しい形の本。

この形態については賛否両論あるでしょうが、100周年の記念出版で小学館が子どもの読者向けに、ここまで大掛かりな児童書を企画してくださったことは、すごいことです。
そして、スペイン語翻訳者としては、これまでどんなにがんばっても翻訳出版できなかった作品を収録していただけたことが、何より大きな収穫でした。

スペイン語圏で収録されたのは、次の3点です(タイトルの50音順)。

ベルナルド・アチャガ『ショラのぼうけん』(宇野和美訳)
フアン・ラモン・ヒメネス『プラテーロとぼく』(宇野和美訳)
ホセ・マリア・メリーノ『夢の黄金』(小原京子訳)


『ショラのぼうけん』は、『アコーディオン弾きの息子』のアチャガの児童文学。もとはバスク語なので、金子奈美さんに翻訳していただきたかったのですが、残念ながらかなわず、私がスペイン語から訳すことになりました。


バスク語版も、スペイン語版も、幼年童話として4冊で出版されています。4冊のうち、何冊かでも、と思っていたら、4冊全部を『ショラのぼうけん』として収録していただけたのは、めでたいことでした。
スペインでは6,7歳向けとして出ていますが、根底には「自由な精神」が貫かれていて、楽しいけれども、なかなか骨太なお話になっています。アチャガとよくタッグを組んでいる、やはりバスク出身のミケル・バルベルデの絵が最高です。
ぜひぜひかわいがってください。

『夢の黄金』は、1990年代にスペインで中高校生の世代に広く読まれたメリーノの3部作の第1部。スペイン人の新大陸の征服を背景にした、メスティーソ(スペインと先住民の混血)の少年の冒険物語です。

翻訳への思いを断ち切れずに、通信添削の課題として長く使ってきた本なので、今回小原京子さんの訳で収録されることになって、とてもうれしいです。
「スペインの新大陸の植民地化」というフレーズだけではわからない、さまざまな歴史の真実が見えてくる傑作です。フェミニズム的な視点でのおもしろさもあります。

『プラテーロとぼく』は、言わずと知れた名作の新訳です。
作品のあとがきに、あれこれ書いたのですが、これについては、ここではとても書ききれないのであらためて。

『プラテーロとぼく』の翻訳にあたって全面的に協力してくださったスペイン人の作家エリアセル・カンシーノさんが、お手元に本を届けられないことをとても残念がっていらっしゃるので、気の早い話ですが、紙の本でもいつか出してもらえるよう、心から願っています(と、ここでちょっとアピール……)。

ラテンアメリカの作品が入らなかったのだけは残念です。
とはいえ、英語以外の言語の児童文学としては、この本だから読者に届けることができたという作品がほかにもいろいろありそうで、読むのが楽しみです。

手にとっていただけたらうれしいです。


2022年9月16日金曜日

ハビエル・マリアスの最後のコラム

 ハビエル・マリアスの訃報を聞いてから、亡くなったことと同時に、日本ではこれっぽっちの扱いだというのがショックで、今週はずっと、なんで? なんで? と思いつづけていました。

 彼の小説を読みこなせなかった私が言うのも口はばったいのですが、スペインでは死去のニュースが新聞の1面で報じられるくらいの作家であり、スペインを代表する作家という言い方がこの人以上に似合う人はいないだろうというような人物だったというのに、日本ではどの新聞にも訃報が載らないか、載ってもほんの数行だなんて、そんなの、あるだろうかと、信じられない思いでした。それは日本の読者のスペイン文学への関心の低さ、あるいは、スペイン文学の遠さを如実に物語っているようでした。

 マリアスは、エル・パイス紙に2003年からコラムを書いていました。私のある友人のスペイン人は、マリアスの小説は好きになれないけれど、コラムは好きだと言います。彼の小説をなかなか読めない私も、彼のこだわりや時の話題にについてのウィットに富んだ文章はちょくちょくのぞいていました。例年8月は休載するので、9月に再開したときのためにと7月に新聞社に渡されていた939個めのコラムが、9月11日に掲載されました。それは「芸術への最も真の愛」El más verdadero amor al arteと題された、翻訳へのオマージュのようなものでした(NG覚悟で引用します……)。

 書き出しはこんなふうです。

「今もなつかしく思う活動があるとすれば、それは翻訳だ。小さな例外(詩や短編、私の小説に登場する英仏の作家の引用)を除いて、私は数十年前にやめてしまったが、自分の本と、その極めて重要な労働に対する報酬の少なさがなければ、また手がけていることだろう。翻訳が、世界一重要であるのは間違いない。」

 そのあとで、マリアスは、創作と翻訳の違いを論じ、翻訳家はかなり自由ではあるけれども、勝手に文章をつくるわけにいかないことを論じます。

 そして、彼が手がけた、最も困難だった3つの翻訳として、ジョゼフ・コンラッド『海の思い出』(The mirror of the sea)、ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』(Tristram Shandy)、トーマス・ブラウン『医師の信仰 壺葬論』(Religio medici / Hydriotaphia)を、冷や汗と大きな喜びとともに思い出すと言っています

「(訳しているとき)もうだめだ、自分にはできないと思った。だが数か月すると、スペイン語の読者がその作品を知らないままになるのは残念だと思い、改めて自分を鼓舞してとりくみ、訳了した。訳しても、読む読者は決して多くはない。彼らがその作品を読むことが、どうして自分にとってそれほど重要だったのか。それはわからない。ただ、たとえ数少ない好事家の楽しみのためだったにせよ、そのすばらしい作品は私の言語で存在するに値すると、私は判断したのだ。」

 さらに、「翻訳では食っていけない」ことに話が及び、『ドン・キホーテ』の翻訳が、刊行の7年後の1612年にはイギリスで出たことを語り、「翻訳家の仕事ほどに、『芸術への愛ゆえに働く』という表現がふさわしい仕事はない」と語っています。そして、翻訳家の報酬が限られていることを皮肉を交えて指摘します。そして、こうしめくくるのです。

「それでも、なお……、さきほどあげた私の3つの翻訳の場合がそうであったように、自分ではとうてい生み出せないすばらしいテクストを自分の言葉で『書き直す』ことが、どれほど私を満足させ感動させたかは覚えている。読み、修正し、1ページ1ページ読み直し、考えるのだ(常に誤りはつきもので、人は自分がすることに対してすぐれた裁判官ではない)。『うん、うん、コンラッド、スターン、ブラウンがスペイン語で表現したなら、こんなふうに書いただろう』と。」

 この最後のコラムを読んで、ああ、この人は翻訳を、文学を愛していたのだなと、心から思いました。自分もそんなふうに翻訳したいなとも。

 マリアスの言葉に共感し、胸を熱くしながらも、せつなくて、悔しくて、歯痒くて、地団駄を踏んでいます。これほどスペイン語圏の読書人が悲しみ惜しんでいる作家が日本の読者に知られていないというのは、スペイン語文学を紹介しようとしてきた私たちの力不足でもあるわけなので。

 追悼記事で知ったのですが、マリアスは、自らReino de Redondaという出版社を持っていて、絶版本の復刊などにも尽力していたとのこと。王立アカデミアの会員で、必ずベストセラー入りする、知的で哲学的で観念的で重厚な長編小説を書く作家以外に、そんな顔があったのですね。

 まずはCuando fui mortalを訳せたらと、私は思っています。信用ならない語り手が活躍する12篇の短篇集です。一度はマリアスをきちんと読みたいと思って、7、8年前に大人向けの講読講座でとりあげた本で、たくらみに満ちた、意地悪で、謎めいた、ちょっと怖い、おもしろい話ばかりでした。そのうちの1篇「新婚旅行で」は、以前『名作短編で学ぶスペイン語』(共編著、ベレ出版)で訳出しました(ほとんどページ数の制約から選んだので、これがこの本の中で一番好き、というのではありません)。いつか、いつかと思いながら書けずにいるレジュメ、さっさと書けよと自分のお尻を叩いています。

 みあった報酬を望めないことはマリアスも認めていますが、もっともっと多くの翻訳者が愛を共有して、多様なスペイン語の作品が訳されるようになるといいなあと、心から思います。

 それにしても悲しい。


※追記(9月17日)

>マリアスの長編小説は2点翻訳されています。

『白い心臓』(有本紀明訳 講談社 2001 絶版)

『執着』(白川貴子訳 東京創元社 2016)


>El Paísのコラムの原文はこちらです。

https://elpais.com/eps/2022-09-11/el-mas-verdadero-amor-al-arte.html

2022年9月2日金曜日

説明をお願いします

  ここ数年、いろんな出版社の方と仕事をする機会にめぐまれ、それはとてもありがたいことなのですが、とまどうことも増えています。

 それは、編集者ごとに手順が微妙に違うこと。というよりも、その手順をきちんと説明してもらえないことです。

 絵本も読み物も、デジタル化が進んで、編集者によって進め方が異なります。呼び方ひとつとっても、たとえば絵本の場合、翻訳をして、デザイナーが文字をいれたものを「初校」と呼ぶ人もいれば、それは「デザインしたものの出力」とか「レイアウト校」とか呼ぶ人もいます。「初校」が、ゲラの「初校」というわけではないのです。

 呼び方の問題だけならいいのですが、私が知りたいのは、それぞれの過程の内容です。

 私の一番好きな進め方は、翻訳の第1稿を出したところで編集者にコメントをいただき、もう一度推敲した第2稿で入稿してもらうこと。編集者の赤で必ず気づきがあるので、けっこう私はそこで修正を入れたくなるからです。少量でも的確で本質的なコメントをもらえると、ほかにも同じ視点で修正すべき箇所が見えてくるし、原稿を大きくつかんでの印象や方向性の確認をしてもらえると安心します。甘えているのかもしれませんが。

 最初から、第2稿の質に持っていけたらと思うのですが、残念ながら、私はまだそれができません。タマネギの皮をむくようにしか進められないのです。

 第1稿がすぐにゲラになった場合、赤字が多くなり、戻すときにいつも「すみません。かなり赤字が多いんです」と謝ることになります。でも、読み物でも絵本でも、最近は「まずレイアウトして」という傾向が強くなっている気がして、「ヤバイ」と感じています。

 私が出版社に入社したころ(ワープロもなかった時代です)は、原稿はなるべく完全な形に仕上げて、ゲラの赤字は極力減らすようにというのが基本でした。ゲラでの直しが多くなると、それだけ費用がかさむし、誤植の可能性が高くなったからです。

 だから今も、初校で気づくべきと自分が思うところを見落とすと、すごく申し訳ない気がします。でも、DTPの達人がいる出版社は、そういうのはあんまり関係ないのかも。また、これまでの仕事で、原稿でも初校でも編集者がほとんど内容をチェックせず、再校になってから原稿吟味をしている気配を感じたこともありました。

 だから「説明をお願いします」と思うのです。

 その本を、どういう手順で作るつもりなのか、どんなスケジュールで、それぞれの段階でどんな作業をするつもりか、すべきか、説明してほしいのです。校閲がどこで入るのかだって大問題です。あるいは、校閲が入らないなら入らないと教えてほしいです。そうすれば、覚悟できます。

 初校がいつ、再校がいつだけでは、手順や心づもりがわからず、同じ用語でも内容が違っていることもあって、行き違いがあるたびに消耗します。それに、私がやりにくいときは、編集者さんもやりにくくて、困っているはずですよね。たとえば、途中で予定が違ってくること、調整することは、場合にもよりますが、私は基本オーケーです。明らかに先方の不手際で皺寄せが来ていると思われると腹が立ちますが、人間のやることにミスはつきものだし、お互いさまだし、仕方がないことは仕方がないので。それよりも、自分が思ってもみなかったことが、まるで当然のことのように途中で出てくるほうがストレスがあります。そのくらい、予想がつかないのです。

 要は、自分のキャパが限られているので、一番いいパフォーマンスが出せるように仕向けていきたいということなのだと思います。子育てを主にしていた20年間、1年365日、スケジュールが自分の一存で決められず、不慮の出来事に対応しながら時間をつくって仕事をしてきたから、よけいそんなふうに思うのかもしれません。人それぞれやり方があるので、そんなふうにぎちぎち考えないほうが気楽でいいという方もいらっしゃるのは承知しています。でも、同じようなことで悩んでいる翻訳者さんはいらっしゃらないのかなと思います。

 手順を説明してくださいと、私はできるだけ言うようにしているつもりですが、あたりまえすぎるのか、当然のことのようにささっと流されてしまうこともあります。今さら、説明することもないでしょう、というふうに。でも、面倒かもしれませんが、きちんと説明してもらえると、少なくとも私はとても助かります。だって、編集者お一人おひとり、ほんとうに違っているのです。互いの常識がかみあっていないことにそこで気づけば、すりあわせればいいわけですし。

 気づくと、自分より年下の編集者と仕事をすることが圧倒的に増えていて、こちらが何か言うとびびられることもあるようです。翻訳者は怖がられるようなエライ人ではないし、権威は無用で、先生でもないのですが。互いに敬意をはらいつつフラットな関係というのが、私は心地よいです。

 対面での打ち合わせが減っているので、「そういえば」などと言って、補足的な話をしにくいということもあるのでしょうね。

 愚痴っぽく思われたならすみません。何はともあれ、よりよい仕事ができるように今日もがんばります。

2022年5月20日金曜日

今のきもち

最終選考対象作品になったときお祝いにいただいたロバ

第8回日本翻訳大賞の受賞作が発表になりました。

昨年翻訳出版されたグアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』(現代書館)に多くの推薦をいただき一次選考に残り、さらに最終選考候補の5冊の中に入りという、昨年の今ごろには考えられなかった展開になりました。

少なくなったとはいえ、1年間に翻訳出版される本は1000点以上にのぼり、話題にならなければ店頭からはすぐに退散させられてしまうことを思うと、昨年8月に海外文学とはあまり縁のなさそうな(?)出版社から出たこの作品が、今も書店の店頭に並べてもらえていること自体、すごいことです。

でも、そういう優等生的な発言の傍らで、あわよくばという気持ちがまったくなかったわけではなくて、発表前の数日間は思った以上に平常心が失われて自分でも驚きました。煩悩にまみれた、ちっこい人間です。だけど、私にとってはとても大きな出来事だったので。

だめだったとわかったあと、編集の原島さんに「残念でした」とメッセージを送ったら、「こんな舞台まで楽しませていただいて、感謝しています」と返事をいただき、ハッと我にかえりました。

ネッテル『赤い魚の夫婦』を多くの読者のみなさま、そして選考委員の方々に読んでいただけたこと、日本翻訳大賞という舞台で翻訳者と読者のすばらしいコミュニティーに入れてもらえたことがとてもうれしいです。

昨日は、長男に残念会をしてもらいました。去年4月15日に「ネッテル、進めたいと存じます」と連絡をもらうまで、しばらくこの本を出せるかわからなかったこととか、刊行前に原島さんと書店まわりをしたこととか、いろいろあったんだよと話しておきたくて。

もうとっくに大人の長男は、何を言っても「この人は、しょうがねえな」と聞いてくれて、すっきりしました。ついでに、20数年前のスペイン留学のとき、9歳の彼はどんな気持ちだったのか話を聞けて、いい夜でした。

残念会はモダンメキシカン カボスで

これからもやることは同じで、読んで、訳すのみ。

「もっと読みたい」「こんな作品があったんだ」と言ってもらえるような本を手がけていけたらいいなと思っています。

ネッテルの次作もあるし、アルマダもあるし、メルチョールもあるし、楽しみなYAもあるし、精進していきます。