2022年9月16日金曜日

ハビエル・マリアスの最後のコラム

 ハビエル・マリアスの訃報を聞いてから、亡くなったことと同時に、日本ではこれっぽっちの扱いだというのがショックで、今週はずっと、なんで? なんで? と思いつづけていました。

 彼の小説を読みこなせなかった私が言うのも口はばったいのですが、スペインでは死去のニュースが新聞の1面で報じられるくらいの作家であり、スペインを代表する作家という言い方がこの人以上に似合う人はいないだろうというような人物だったというのに、日本ではどの新聞にも訃報が載らないか、載ってもほんの数行だなんて、そんなの、あるだろうかと、信じられない思いでした。それは日本の読者のスペイン文学への関心の低さ、あるいは、スペイン文学の遠さを如実に物語っているようでした。

 マリアスは、エル・パイス紙に2003年からコラムを書いていました。私のある友人のスペイン人は、マリアスの小説は好きになれないけれど、コラムは好きだと言います。彼の小説をなかなか読めない私も、彼のこだわりや時の話題にについてのウィットに富んだ文章はちょくちょくのぞいていました。例年8月は休載するので、9月に再開したときのためにと7月に新聞社に渡されていた939個めのコラムが、9月11日に掲載されました。それは「芸術への最も真の愛」El más verdadero amor al arteと題された、翻訳へのオマージュのようなものでした(NG覚悟で引用します……)。

 書き出しはこんなふうです。

「今もなつかしく思う活動があるとすれば、それは翻訳だ。小さな例外(詩や短編、私の小説に登場する英仏の作家の引用)を除いて、私は数十年前にやめてしまったが、自分の本と、その極めて重要な労働に対する報酬の少なさがなければ、また手がけていることだろう。翻訳が、世界一重要であるのは間違いない。」

 そのあとで、マリアスは、創作と翻訳の違いを論じ、翻訳家はかなり自由ではあるけれども、勝手に文章をつくるわけにいかないことを論じます。

 そして、彼が手がけた、最も困難だった3つの翻訳として、ジョゼフ・コンラッド『海の思い出』(The mirror of the sea)、ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』(Tristram Shandy)、トーマス・ブラウン『医師の信仰 壺葬論』(Religio medici / Hydriotaphia)を、冷や汗と大きな喜びとともに思い出すと言っています

「(訳しているとき)もうだめだ、自分にはできないと思った。だが数か月すると、スペイン語の読者がその作品を知らないままになるのは残念だと思い、改めて自分を鼓舞してとりくみ、訳了した。訳しても、読む読者は決して多くはない。彼らがその作品を読むことが、どうして自分にとってそれほど重要だったのか。それはわからない。ただ、たとえ数少ない好事家の楽しみのためだったにせよ、そのすばらしい作品は私の言語で存在するに値すると、私は判断したのだ。」

 さらに、「翻訳では食っていけない」ことに話が及び、『ドン・キホーテ』の翻訳が、刊行の7年後の1612年にはイギリスで出たことを語り、「翻訳家の仕事ほどに、『芸術への愛ゆえに働く』という表現がふさわしい仕事はない」と語っています。そして、翻訳家の報酬が限られていることを皮肉を交えて指摘します。そして、こうしめくくるのです。

「それでも、なお……、さきほどあげた私の3つの翻訳の場合がそうであったように、自分ではとうてい生み出せないすばらしいテクストを自分の言葉で『書き直す』ことが、どれほど私を満足させ感動させたかは覚えている。読み、修正し、1ページ1ページ読み直し、考えるのだ(常に誤りはつきもので、人は自分がすることに対してすぐれた裁判官ではない)。『うん、うん、コンラッド、スターン、ブラウンがスペイン語で表現したなら、こんなふうに書いただろう』と。」

 この最後のコラムを読んで、ああ、この人は翻訳を、文学を愛していたのだなと、心から思いました。自分もそんなふうに翻訳したいなとも。

 マリアスの言葉に共感し、胸を熱くしながらも、せつなくて、悔しくて、歯痒くて、地団駄を踏んでいます。これほどスペイン語圏の読書人が悲しみ惜しんでいる作家が日本の読者に知られていないというのは、スペイン語文学を紹介しようとしてきた私たちの力不足でもあるわけなので。

 追悼記事で知ったのですが、マリアスは、自らReino de Redondaという出版社を持っていて、絶版本の復刊などにも尽力していたとのこと。王立アカデミアの会員で、必ずベストセラー入りする、知的で哲学的で観念的で重厚な長編小説を書く作家以外に、そんな顔があったのですね。

 まずはCuando fui mortalを訳せたらと、私は思っています。信用ならない語り手が活躍する12篇の短篇集です。一度はマリアスをきちんと読みたいと思って、7、8年前に大人向けの講読講座でとりあげた本で、たくらみに満ちた、意地悪で、謎めいた、ちょっと怖い、おもしろい話ばかりでした。そのうちの1篇「新婚旅行で」は、以前『名作短編で学ぶスペイン語』(共編著、ベレ出版)で訳出しました(ほとんどページ数の制約から選んだので、これがこの本の中で一番好き、というのではありません)。いつか、いつかと思いながら書けずにいるレジュメ、さっさと書けよと自分のお尻を叩いています。

 みあった報酬を望めないことはマリアスも認めていますが、もっともっと多くの翻訳者が愛を共有して、多様なスペイン語の作品が訳されるようになるといいなあと、心から思います。

 それにしても悲しい。


※追記(9月17日)

>マリアスの長編小説は2点翻訳されています。

『白い心臓』(有本紀明訳 講談社 2001 絶版)

『執着』(白川貴子訳 東京創元社 2016)


>El Paísのコラムの原文はこちらです。

https://elpais.com/eps/2022-09-11/el-mas-verdadero-amor-al-arte.html

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