2020年12月7日月曜日

60歳になりました!

 

少し前まで、自分の年齢など普段は忘れていたのに、今年はかなり前から、何歳になるか意識していて、苦笑しています。何しろキリがいいから。

 画家の堀越千秋さんが、あと何日だとか、何時間だとか、数えるからいけない、数えないのがスペイン式だと、どこかに書いていらして、そういう生き方に憧れているのに、やっぱり数えてしまうのは、まだまだ修行が足りないのでしょう。母親になる前と、なってからとで、ちょうど同じくらいの年数だなと、計算すると、またまた恐ろしいことに気づきます。

 どうしたらずっと翻訳をしていけるかとばかり考えているうちに、気づくとここまできていました。それはそれで、幸せなことなのか。終わりがあることを、以前よりよく考えるようになりましたが、どこまで行けるんだろう、この先には何があるんだろうと思うのは、今も昔も同じ。私は私を生きるのみか。

 翼のべ空飛ぶ鳥を見つつ思う 自由とは孤独を生きぬく決意 鶴見和子

 これからもどうぞよろしくお願いします。

 写真は、今年の1月末、モンテビデオのLinardi y Risso 書店でのスナップです。

2020年9月6日日曜日

『アコーディオン弾きの息子』


『アコーディオン弾きの息子』
ベルナルド・アチャガ著
金子奈美訳
新潮社、2020 

「書いてくれて and 翻訳してくれて and 出版してくれてありがとう!」と心から思った。「おもしろかった」「読んでよかった」といった言葉では、とても言い尽くせない。圧巻だった。

 たてこんでいた仕事がようやく片付いて読み始めたら、途中でやめたくなくて、仕方なく翌日においておくと、また物語の世界に戻りたくてたまらなくなり、貪るように続きを読み、というふうにして、550ページを一気に読んだ。
 備忘のため、読みながら思ったことを書いておきたい。

 スペインの作家エルビラ・リンドが来日したとき、「英語圏の作品なら、片田舎が舞台の作品も海外に紹介され歓迎されるのに、スペインの現代文学は、舞台がマドリードでも、そんなローカルな話と片付けられる」と嘆くのを耳にした。
「読者になじみがないからねー」と言って持ち込みがボツになった無数の経験から僻み根性がしみついている我が身には、リンドの言葉は痛切だった。
 けれども、この作品を読んで、ローカルはユニバーサルなのだと、改めて思った。中途半端ではなく、とことん一箇所をつきつめたとき、そこに普遍が見えてくる
よい作品はそんな二分法など飛び越えてしまうのだと。

 主人公ダビは、父親アンヘルが内戦時代に村人殺しに関係していたことを知り、父親を受け入れがたくなっていく。
 この背景にある沈黙は、この時代のスペイン社会を象徴するものだ。反政府勢力に対する厳しい取り締まりが行われていた独裁時代、人びとは声をひそめて暮らしていた。自分が政治的にどちらの側なのか、だれも口に出して言うことはなかったが、日頃の人づきあいや暮らしぶりから互いに察しあい、普段はそこに立ち入ろうとしなかった。私が翻訳したYA文学『フォスターさんの郵便配達』(エリアセル・カンシーノ著 偕成社)も『ティナの明日』(アントニオ・マルティネス=メンチェン著 あすなろ書房)も、この「沈黙」の中で、大人たちが語りたがらない真実を見つけていく若者たちが描かれている。この時代の空気は、日本の戦前に一番近い気がする。
 なので、式典でアコーディオンを弾こうとしているダビに向かって、穏やかな伯父のフアンが発する「例の式典でスペイン国歌を演奏したら、お前も同じ目に遭うぞ。一生の汚名を着せられることになる、そのことを忘れるな!」(p.247)というせりふは衝撃的だった。オババで最初のアメリカ帰りの男をかくまった寡黙な伯父の言葉の凄み。
 スペイン国歌に今、歌詞がないことの意味を考えさせられる。

 それにしても、バスク語は、なんと謎めいた言葉だろう。カタルーニャ語やガリシア語はスペイン語と違う言語とはいえ、ラテン系なので、スペイン語話者なら、字面からある程度内容を知ることができる。けれど、バスク語はまったく想像がつかない。そのことが、カタルーニャとは違う深い陰影を形づくっているようだ。
 長年つきあいがある1961年生まれのバスク児童文学研究者に、児童文学を研究するようになったきっかけを何気なくたずねたとき、「自分は中学生くらいまで親にバスク語で声をかけられてもスペイン語で答えるような子どもだったが、高校生のときに自分たちの財産であるバスク語をどうして大切にしないのかという講演を聞いて、改めてバスク語を勉強し、そこからバスクの児童文学にたどりついた」と言われた。今になって、その言葉の意味を思う。

 訳者あとがきに「オババの村は、アチャガにとって、独自の語彙や論理、世界観を備えた一つの宇宙」(p.568)とある。《第一の目》《第二の目》で描かれる二つの世界をアイデンティティとすることはどういうことだったのか。父に手ほどきされたアコーディオンの重み。洋裁をするダビの母の姿。昨年訪れたバスク地方の緑豊かな風景、ドノスティア(サン・セバスティアン)やビトリアで会った知人たちから滲みでていた郷土愛を思い出しながら、さまざまなイメージを反芻している。
 深刻なばかりだけではなくて、景色や自然、望みや無謀さや屈託や悲しみなど微妙な感情が仄見える若者たちの会話、アメリカで再会した晩年のダビとヨシェバの冗談めかしたからみあいなど、ほんとうに豊かだった。

 私がスペインの児童文学を読み始めた1990年代、アチャガは児童文学でもバスクを代表する作家だった。Memorias de una vaca (ある牛の回想)は、スペイン内戦をYA小説でこんなふうに語るのかと驚かされた作品だった。そこで、代表作と言われている『オババコアック』をスペイン語で手にとったけれども、その時はあの世界を理解しきれなかった。でも、今回、これほど豊かな形でアチャガに出会えて、もう一度読んでみたくなっている。

 蝶とアコーディオンの装画がいい。

2020年8月16日日曜日

Casa Brutus 9月号「大人も読みたい子どもの本100」に


   先週あたりから、SNSをにぎわしている「カーサ ブルータス」。

 このたぐいの特集に、スペイン語圏の本がとりあげられることはめったにないので、「どうせ、載っていないだろうな」と思いつつ、おなじみの往来堂書店さんで手に入れました。けれど、あけてびっくり! なんと、2冊も紹介されていました。

「贈る絵本は、色で選ぶ」のBlack【黒の本】で、

『くろはおうさま』メネナ・コティン文 ロサナ・ファリア絵 宇野和美訳 サウザンブックス 2019

「MASTERPIECES①児童文学の新定番30冊。」の【友達・家族の話】で、

『ピトゥスの動物園』サバスティア・スリバス作 スギヤマカナヨ絵 宇野和美訳 あすなろ書房  2006 


 読み応えがあるこの特集で、選んでいただけて、とてもうれしい。

 大阪の「こども本の森」、行ってみたいな。選ばれている本で読んでいないもの、私も手にとりたくなりました。

『ピトゥスの動物園』の紹介の、「手も口も出さず見守る大人の姿も見習いたい」という最後の文もステキ。ほんとうにそのとおりです。この作品を読むと、バルセロナの町と人のさまざまな思い出がよみがえってきます。

 2006年に出てから、夏休みになるとよく手にとられていたのですが、ここ2, 3年は、動きがにぶくなってきていたので、この特集で見つけて、こおどりしました。

『ピトゥスの動物園』のとなりには、石井桃子さんの『ノンちゃん雲に乗る』があり、同じページには『Wonderワンダー』や、『クマのプーさん プー横丁にたった家』などが。それだけで、ドキドキします。

 元気な子どもたちに出会える、夏休みにピッタリの『ピトゥスの動物園』、繰り返し愛でたくなる『くろはおうさま』の2冊とも、より多くの方の手に届きますように。

2020年7月23日木曜日

Mar dulce スケッチ(6) ディエゴの原画を見る

1月末にモンテビデオを訪問したとき、スペイン文化センターというスペイン政府の施設でちょうど、ウルグアイの作家マリオ・レブレロ(1940-2004)の展覧会が開かれていました。
そこにディエゴ・ビアンキさんの絵本Cuentos cansados の原画が展示されているときいて、実はモンテビデオの街に出て一番に連れていってもらったのがここでした。



ディエゴ(と、呼んでしまおう!)は、 昨年6月末、イタリア・ボローニャ国際絵本原画展のときに板橋区立美術館で開催された夏のアトリエの講師として来日したアルゼンチンのイラストレーターです。成田空港へのお迎えから、前日の打ち合わせ、5日間のワークショップ、翌日の講演まで、通訳としてご一緒させてもらい、濃密な1週間を過ごしました。私にとっては、またとても大きな出会いでした(書ききれないので、詳細はここでは割愛しますが)。
ディエゴ・ビアンキについて詳しく知りたい方は、雑誌『イラストレーション』No.224 2019年12月号をご覧ください。来日のときのインタビューと、彼の作品が紹介されています。

このCuentos Cansadosは、息子ニコラスにねだられて、くたびれた「わたし」が、くたびれたお話をしてやるという、ちょっととぼけた味わいのあるお話です。冒頭部分を紹介しましょう。
ニコラス:ねえ、おはなしして。 
わたし:だめだ。くたびれてるんだ。 
ニコラス:くたびれててもいいから、おはなしして。 
わたし:しょうがないな。でも、くたびれたおはなしになるぞ。 
ニコラス:うん、いいよ。くたびれたおはなしでいい。 
わたし:よし。(ふぁー)むかしむかし……(ふぁー)……あるところに、とてもくたびれた男の人がおりました。とても、とてもくたびれていたので、ねるのに、家に帰ることもできなくて……(ふぁー)……もっていたかさを開いて、じめんの上にさかさまにおいて、かさの中にねころんでねむりました。ぐうぐう、ぐうぐうねむるうちに、雨がふりだしました。ざあざあ、ざあざあ、雨がふって、しまいにかさいっぱいに雨がたまって、男の人はおぼれそうになって、「おぼれるー、たすけてくれー!」とさけびながら、目をさましました。男の人は起き上がると、雨がふっているのを見て、雨をよけようとかさをつかみましたが、かさの中にはいっぱいに雨がたまっていたので、ザバーッと雨をかぶって、ますますずぶぬれになってしまいましたとさ。おしまい。 
ニコラス:もうひとつ。
(2ページより)
ディエゴはこの親子を、鳥の姿で描き、テクストの空想をさらにおし拡げるような絵を繰りだしていきます。テクストと絵のどちらも読む楽しさがたっぷりある、豊かな絵本です。
原画は、本で見るよりも色鮮やかで、1点1点見入ってしまう美しさでした。

この絵本を作るとき、ディエゴはレブレロの短編を読みこんで研究したと言っていたので、「訳したいけど、まだ研究不足」と私が言うと、「そこまでしなくていいよ」と言っていましたが。この絵本、日本でも紹介したいな。

この絵本の制作のようすのビデオはこちら
この展覧会のときに、この絵本についてディエゴがラジオ番組で語ったものはこちら。(スペイン語)
また、まだ少し先ですが、英語版が出るそうです。予告はこちら

レブレロの展示は、レブレロのめがねがあったり、昔の雑誌のコラージュがあったり、インスタレーションがあったり立体的で、とてもおもしろいものでした。

スペイン文化センターは、昔は金物屋だった建物のようです。
スペインは、スペイン語圏以外の国にはセルバンテス文化センターを起き(日本にもあります)、スペイン語圏の国には、スペイン文化センターを置いているとのこと。


この展覧会が見られたのは、ほんとうにラッキーでした。

2020年7月7日火曜日

Mar dulce スケッチ(5) モンテビデオの本屋さん

スペイン語圏の本屋に入ったとき、まず最初に考えるのは、「日本でも手に入る本」か「日本では手に入らない本」かということだ。
スペインに某密林書店が進出してから、日本にいながらにして手に入るスペイン語の作品は驚くほど多くなった。自分が若い頃のことを思うと、(当たり前だが)隔世の感がある。

日本で手に入る本なら、わざわざ旅先で買って、重さを気にしながら持ち帰ることはない。買うなら、日本で手に入らない本がいい。
中南米のスペイン語圏の書店で並んでいる本は、オリジナル言語がスペイン語でも、もともと出版されたのが、その国ではないことが多い。スペインで作られた本だと密林で買えることが多く、そういう本を買ってしまうと、あとでがっくりする。

そんなわけで、モンテビデオで、一番充実した書店と言って連れていったもらったMás Puro Verso でも、まずは日本では手に入らない文学作品を探した。

モンテビデオの書店 Más puro verso



しばらく棚を見ていると、その本屋が、ジャンルや作家の出身国について、どのくらい意識しているか、見えてくる。文学の棚が、スペイン語(その国、それ以外のスペイン語圏)と海外に分かれていると嬉しくなる。でも、分かれていなくても、テーマやジャンルで刺激的な棚になっていることもあって、へーっと思うことがある。

棚を見ていたら、「読んでくれ」と呼びかけてくる本があるものだ、という知人がいる。あやかりたいが、私はいっこうにそういう境地に達しない。だから、本屋さんに入ってしばらく見てから、店員さんにおすすめの本を教えてもらうのが好きだ。そうすれば、思わぬ本に出会う楽しみがある。

いきなり「おもしろい本をすすめてください?」と聞いたのでは向こうも困るだろうから、もうちょっと絞り込む。この本屋さんでは、「長く読み継がれているウルグアイの児童文学作品」と「ウルグアイの現代の女性作家の作品」を、紹介してもらった。本を見せてもらいながら、スペインだとこういう作品が好きなんだけどとか、この作家のこれがおもしろかったとか、このジャンルは苦手だとか、自分の好みを話していくと、それならこれはどう?などと、話題が広がっていく。

たとえば、この書店では、こんな本や、

ウルグアイ児童文学の古典的作品。

こんな本を教えてもらった。
1975年生まれの女性作家の作品。ロードムービーのよう。

モンテビデオに行く機会があったら、ぜひお立ち寄りください。

Más puro verso 
Peatonal Sarandí 675




2020年7月3日金曜日

Mar dulce スケッチ(4) モンテビデオのボローニャ展入選作家たち

モンテビデオに行ったら、ボローニャ展の入選作家に会いたいなと思っていました。

ここ何年か、日本で開催されるイタリア・ボローニャ国際絵本原画展の図録で、スペイン語圏の入選者たちの名前やタイトル翻訳の仕事をいただいていて、どうしてもわからないことがあると、作家ご本人とやりとりすることがありました。

2019年の、セシこと、マリア・セシリア・ロドリゲス・オドーネさんの作品タイトルもそうでした。もらった書類にhomeraとあり、 homero なら「ホメロス」だけれど、homeraはその女性? でも、絵とのつながりがさっぱり見えず、本人に確認したのでした。
すると、homeraではなくて、hornera だったのが判明。horno(かまど)みたいな巣を作る鳥「カマドドリ」のことだったのです。確かに、絵を見ると、鳥と巣が描かれています。シルクスクリーンのシックな色使いの作品です。
https://www.instagram.com/ceciro/
(入選作品は、こちらの2018年10月の投稿に出ています。)

連絡したところ、1月30日に友達の本のプレゼンテーションに行く予定だから、そこに来ないかと誘われました。友人が一緒に行くと言ってくれて、二人で出かけました。
行ってみると、会場は旧市街の共同アトリエとなっている家で、あらゆるところがアート。来ているのもアーティストらしい若い人ばかりで、まったく場違いなところに迷いこんでしまったようでした。

共同アトリエの家の屋上テラス。

壁という壁に絵が




セシさんは、ボローニャ入選者2018年のダニ・シャルフさん、2019年のサブリナ・ペレスさんも呼んでくれていて、なんとダニさんが、第一声、友人の名前を呼んだのでびっくり! そういえば、シャルフという姓の読み方に自信がなかったので、私が友人にたずね、友人がHP経由で本人に確認してくれたということが、一昨年あったのでした。
https://www.instagram.com/danischarf/

また、サブリナさんも、タイトルOut there をどう訳せばよいかわからず、昨年問い合わせをしていました。
https://sabrina-perez.format.com

そんなわけで、地球の反対側で、ボローニャ入選作家の若いアーティストたちとおしゃべりを楽しみました。3人とも、まだ出版経験はないそうですが、サブリナさんは、今とりかかっている本があるとか。昨年のちょうど今頃、板橋区立美術館で出会った夏のアトリエの受講生たちの姿とも重なって、胸が熱くなりました。
セシさんが手がけたという、旧市街に入ってすぐの広場にある壁画を見て家路につきました。

セシさんは、アーティスト・イン・レジデンスがあれば、日本に来たいとのこと。コロナ禍で今はそれどころではなさそうですが、その方面のことをご存知の方、情報をいただけたらうれしいです。

2020年7月1日水曜日

Mar dulce スケッチ(3) パニと2人のぺぺ

昨年、大学の「ヤングアダルト文学講読」の授業でHistorias de la cuchara: cuentos latinoamericanos sobre historia y buen comer(おさじの物語 歴史とご飯についてのラテンアメリカ短編集:María Cristina Aparicio, Norma, 2011)という本を読みました。ラテンアメリカ各国の名物料理と歴史をからませた短編集です。その中の、ウルグアイの短編Empanadas criollasは、エンパナーダを作る男の子のこんなお話でした。

モンテビデオに住む二人の兄弟。兄のパニはデブで運動神経も頭も鈍く、みなからバカにされているが、人あたりがいい。弟のペペはかっこよく、サッカーをやらせればピカ一。最初はサッカーに夢中だったパニだが、自分がぺぺのようではなく、みなの足をひっぱっているのがわかると熱が冷め、日曜日に父親や弟とテレビでサッカーの試合を見るのもやめて、母親のエンパナーダづくりを手伝うようになる。パニが近所で上手に注文をとるようになると、母のエンパナーダ屋は大繁盛。父親も会社をやめて、エンパナーダ作りを手伝うようになり、一家の暮らし向きもよくなる。
一方、サッカーが得意だった弟ぺぺは、勉強もできて、医学部に進むが、社会運動にかかわるようになる。トゥパマロスの活動に参加して、警察から追われ、身を潜めて暮らすようになる。
そんなある日、ぺぺがパニに、肉を手に入れたので、長持ちさせるためにチョリソを作りたい、作り方を調べて教えてくれと頼んでくる。パニはトゥパマロスの隠れ家に教えに行くが、それでもまだ肉は余っている。パニは、次はエンパナーダを教えてやると約束する。ところが、エンパナーダを作っているところで警察の手入れがあり、パニは捕まってしまう。
パニは拷問を受け、仲間の居所をはけと言われるが、何も言わない。拷問でほとんど死にかけたとき、やってきた警官が、「なんだパニじゃないか」と言う。「こいつがトゥパマロスのはずがない。エンパナーダを作るしか能のないうすのろだ」と。じゃあ、それを証明しろというので、パニは震えながら、警官たちの前でエンパナーダを作り、釈放される。その後、エンパナーダ屋は繁盛し、パニは奥さんとともに6店舗に店を広げる。
ぺぺはその後警察につかまり、15年投獄されたあと、やせ細って帰宅する。
ぺぺはパニに初めて謝るが、パニは「ぼくは何も知らなかったから、何も言わなかったよ。知ってたって言わなかったけどさ」と答える。兄弟は日曜日に二人そろって、テレビでサッカーの試合を見るようになる。

トゥパマロスというのは、『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(くさばよしみ文 汐文社)で知られる、元大統領のホセ・ムヒカさんも属していたグループです。

ムヒカさんも一時収監されていた刑務所、プンタ・カレタス刑務所が、今はショッピングセンターになっているということで、モンテビデオに着いたその日の午後、友人に連れていってもらいました。



旧刑務所を見て、パニとぺぺの物語を思い出しました。ちなみに、ぺぺというのは、ムヒカさんの愛称です。

そういえば、この物語に出てきたサッカー場センテナリオを、外からだけでも見てくればよかったと後で思いました。授業で「Centenarioはサッカー場ですね」と説明したら、「サッカー場をCentenarioというとは知らなかった」と学生がリアクションペーパーに書いてきて、焦って説明し直しました。説明は難しい。「甲子園」は野球場だけど、野球場は甲子園ではないのであーる。

また、この物語に「チリやアルゼンチンやブラジルの仲間から拷問の仕方を習った政府」と言う表現が出てきましたが、学生にはすぐにはピンとこなかったようでした。こういうのが、面白いんだけどね。

パニは学生に人気で、「パニ、かわいそすぎー」と、みな途中でさんざん気を揉んでいました。
これも、いつか訳したい本のひとつ。

日本でムヒカさんは人気ですが、ウルグアイ在住の知り合いは「理想は高いが、口ばっかりで、結局何もしなかった」と辛口でした。


2020年6月28日日曜日

Mar dulce スケッチ(2)ガレアーノをたずねて

モンテビデオの友人を訪ねることが決まったとき、「どこに行きたい?」と問われ、まずお願いしたのがエドゥアルド・ガレアーノゆかりの地の文学散歩でした。

数年前、『火の記憶』(飯嶋みどり訳、みずず書房)の中のいくつかの創世神話をスペイン語専攻の2年生と読んだことがあります。「何でこうなるの?!」と、学生がなかなかのってこず、苦しかった記憶がありますが、ラテンアメリカの中でのガレアーノの存在感は特別なものがあります。
特別ガレアーノが好きというわけではないのですが、『日々の子どもたち』(久野量一訳、岩波書店)の記憶も新しく、モンテビデオに行くなら行ってみたいというミーハー丸出しで、まずは、ガレアーノが足しげく通ったというCafe Brasileroを目指しました。


ちょうどお昼前だったので、店内のそれほど多くない席はランチのお客さんですでに埋まっていて、残念ながらコーヒーは飲めず。
店内には、写真や新聞の切り抜きが飾られていました。
https://www.cafebrasilero.com.uy
予約すればよかったんですね。

2つめは、ガレアーノが通ったという古本屋Librería Linardi y Risso。


店に入ると、左の壁面いっぱいの本棚に圧倒されます。低い面陳の棚の本は、どうということのない新しい本でしたが、本棚の古い本を1冊1冊見だしたらきりがなさそう。
http://www.linardiyrisso.com/index.html
HPには、ガレアーノを批判したバルガス=リョサの写真は出てくるものの、ガレアーノは見当たりませんが。

モンテビデオの街はヨーロッパ的な印象ですが、いくらか素朴。下は、ガレアーノが歩いたに違いない旧市街のようす。

旧市街のPlaza Matriz(次も)

旧市街のSarandi通り

1月末はいつもはとても暑いそうですが、私がいた間は初夏のように爽やかでした。


2020年6月25日木曜日

雨の日がいい

もう10年以上前になるが、初めて仕事場を借りた。たぶん次男が中学の頃。

3人の子が小さかったときは、ほうっておいても死なないくらいに、早く大きくなってほしいと思っていたけれど、いざ全員が中学以上になると、長期休暇は地獄だった。
部活の都合によって、出かける時間はまちまち、帰る時間もまちまち、お昼の時間もまちまち、「おなかすいた」「わたしのxx知らない?」「xx食べていい?」「xxに行ってもいい?」「明日xxがいるんだけど」「えー、オレもう出かけるんだけど(昼ごはんできてないのか、ということ)」などなど、その度に集中が途切れて、ようやく集中したと思うと、また声がかかる。
ほっといてくれと思うけれど、だれかが出かけるときと、戻ってくるときは、やっぱり「行ってらっしゃい」「おかえり」と声をかけたくて、その前後はそわそわしてしまう。
しかも、出かける時間、ごはんの要不要、帰宅時間など、カレンダーにメモしておいてというのに、だれも書いてくれず、「昨日、言ったじゃん」と言われても、ぜんぜん覚えられない。
そっちは1対1のつもりでも、こっちは1対4(家人もいる)なんだから、いつ言われたかすら覚えていない。

まいったなあと思っていたとき、うちから自転車で10分ほどのところに住んでいた友人が引っ越すことになった。前に、「いいね」と、私が言ったのをおぼえていてくれて、「借りるなら、大家さんに話してあげるよ」と言ってくれ、トントン拍子で話が決まった。
家賃が4万円という破格の2K。

借りるつもりで、もう一度見せてもらいにいった日、友人が言った。
「雨の日がいいのよね。静かで」
へえーと思った。
「日当たりがいい」とか「風通しがいい」とかじゃなくて、「雨の日がいい」というのが新鮮だった。
実際、雨の日は、自転車に乗れず、行き来がたいへんだったけれど、築40年の団地のような作りの5階建マンションの1階にあったその部屋は、窓をあけると戸建の隣家との間に狭い庭があって、そこにキンカンの木が立っていて、雨の日は、しとしとと雨の音だけが聞こえた。

今朝、目が覚めたとき雨音を聞こえて、ふと、「雨の日がいいのよね」と言っていた友人の声と、10数年前、初めて持った自分のスペースを思い出した。
あそこで思い切って仕事場を借りなかったら、私は息が詰まっていただろう。
すごく貴重な空間だった。

今は一人で、誰ともしゃべることなく1日がすぎることも多く、あの頃のにぎやかさが、ちょっとだけ懐かしい。

2020年6月23日火曜日

仲間意識と羨望と

今、ある翻訳の最後の仕上げにかかっています。久々の一般向けの文芸です。

この作品、4月に英語版が発売になったので、解釈に自信がないところは、その英語訳で確認していますが、その作業が思いのほか楽しくて、にやにやしています。

「うーん、これでいいのかな」と迷っている箇所を読んで、自分と同じ解釈をしていると、「やっぱり、そうだよね」と、握手をしたくなります。
一方で、読み比べてみると、英語版は「なーんだ、ただ言葉を置き換えてるだけじゃん」というところも多く、「これでいいなら、1日にいくらでも訳せるよ!」と羨望の念がわいてきたり。文のリズムも、ほとんど変わらないんですね。
だけど、ときどき、「これを、こう訳すのか!」と、はっとする表現があって、「こうきましたか!」と、拍手したくなることも。

会ったわけじゃないけれど、仲間を得たような気持ち。
一人でぶつぶつつぶやいて、かなりあやしい。
あとしばらくがんばりどころです。



ほとんど変化のないまま過ぎゆく毎日。ベランダのミニトマトの成長だけが、時の経過を実感させます。「支柱のいらないミニトマト」の苗を買ったら、高さは30センチにもならないのに、横は直径1メートル以上に育ち、実が鈴なり。これからが楽しみです!

2020年6月12日金曜日

Mar Dulce スケッチ(1) 

今年の1月末から2月上旬にかけて、モンテビデオ、ブエノスアイレスを旅しました。2.3月は予定があれこれあったので、そこしかないと思って入れた予定でしたが、今から思うと夢のような夏休みでした。

モンテビデオとブエノスアイレスは、海のように川幅の広いラ・プラタ川に面しています。この川は、別名Mar Dulce(直訳すれば「甘い海」ですが、「真水」agua dulce と同じ意味のdulceか)。なんと美しい名前!
こんな時ですが、Mar Dulce の旅のあれこれを、少しずつつづってみます。

ホテルの前の公園にあったgomeroの木。とにかく大きい!
ブエノスアイレスで泊まったのは、中心街をちょっとはずれた通りのホテル。かの有名な書店Ateneo に、どうにか歩いていけるあたりです。
朝、ホテルから外に出たとき、思わず路上に見入りました。ホテルと道をはさんだところにある公園の角、ゴミのコンテナのとなりにマットレスがあり、ホームレスの女性が寝ていたのです。

「ラテンアメリカが生んだ新世代のホラープリンセス!!!」というオビのついた短編集、マリアナ・エンリケス『わたしたちが火の中で失くしたもの』(河出書房新社)の1つめの短編「汚い子」に、道ばたに三枚積みあげたマットレスで暮らすホームレスの母親と子どもが出てきます。

その後、4日ほど街を歩くあいだに、ほかの通りでも、マットレスのホームレスの姿は何度か見かけました。ブエノスアイレスではよくある光景なのか。夏だったからか。
現実とフィクションが交錯して、「汚い子」がリアルに迫ってきた瞬間でした。

2020年5月22日金曜日

変化のとき

新型コロナによる自粛生活が始まって数ヶ月。

これを機に、今までやっていなかったことを始めた。
この時期が、ただコロナでたいへんだったときになるのはしゃくだから、「そういえば、あれを始めたのはコロナのときだったよね」と、うれしく思い出せることがほしくなった。
ほんの小さなことだけど、ちょっとだけ自分のために時間をつくって、新しいことをする。
自分にだけ意味のある、ほんのささやかなこと。

続けていこうという自分への期待をこめて、ここに書いておこう。



1月に訪れたコロニア・デ・サクラメント、おいしかったアイスティー

2020年3月17日火曜日

紙芝居『ドラゴンのバラ』

 スペイン・カタルーニャのサン・ジョルディ伝説に基づく紙芝居が発売になりました。

『ドラゴンのバラ』
脚本 あべしまこ
絵 スズキコージ
再話 宇野和美
童心社 2020.2

 スペインの昔話で紙芝居を、というのでいただいたお話でしたが、紙芝居ははじめてでわからないことだらけ。いくつか提案するも、どれもボツ。結局、編集者さんが最初に候補として目をつけていた、サン・ジョルディ伝説で作ることになりました。ドラゴン、おひめさま、真っ赤なバラの華やかさも紙芝居に向いているとのこと。

 そこで、留学時代に手に入れた、サン・ジョルディの日についてのカタルーニャ州政府発行のパンフレットなどを参考に、手とり足とり教えていただいて、ようやく原稿を書きました。

 ただ、原稿と言っても、初心者の私は原作までで、脚本にしたててくださるのは専門の方。脚本の方に原稿をパスしてからは、あとは楽しみに待つだけでした。「カタルーニャと『サン・ジョルディ伝説』」というちょっとした解説も書きましたが(⑤の紙に載っています)。

 紙芝居の大きな紙に書かれたコージさんの絵は、構図も展開も色使いも驚くことばかりり。本当にすばらしいので、ぜひ図書館などでさがしてみてください。
 これで、サン・ジョルディ伝説と言えば、この紙芝居を紹介できます。

バルセロナの小学校で、次男がサン・ジョルディの時に作ったプラスチック粘土のバラ。
柏の児童書店ハックルベリーブックスさんで3月22日から4月4日まで開催の「かみしばい展」に、何枚か原画が展示されますので、このような時ですが、ご都合のつく方、ぜひお運びください。
 4月19日(日)に予定されている「柏サンジョルディの日」のイベントでも、読んでいただけるそうで、とても楽しみです。
 この紙芝居で、本の日をもりあげていきたいと思います!
 

2020年3月5日木曜日

『イデアル〈改訂新版〉』と『うりぼうウリタ』


『イデアル〈改訂新版〉』
著者 宇野和美、平井素子、Paula Letelier 
出版社 同学社
2020.2.1 

 4年前に出版したスペイン語の教科書『イデアル』の改訂新版が、この春刊行になりました!
 初版刊行後、大学で使ううちに、「こうしたほうがよかった」とか「こんなものもあればよかった」と思う部分があり、共著者の平井素子さん、パウラ・レテリエルさんと、2年ほどかけて見直しをし、仕上げたもの。
 週1、2回だけ第二外国語でスペイン語を習う平均的な大学生が、1年間でここまでは身につけてくれるといいなと思う要素にしぼりこんだ、シンプルなつくりです。手一杯な内容を積み残して進むより、基本をしっかり身につけて達成感をもって学ぶほうがいいと、何年かの経験から実感して、こんなふうになりました。

 自慢は、最初の版と同じく、イラストをおくやまゆかさんが描いてくださったこと。マンガで活躍するおくやまさんに、もうしわけなく思いつつ(という割に、ずうずうしく……)、今回も表紙絵やいくつかの新しいカットを描いていただきました。
 語学教科書には異色の軽やかさ、楽しさ、明るさで、少しでも教科書を開いてくれるといいなと思います。

 また、今回、文化紹介の写真をいくつか差し替え、昨年10月に他界した大学時代の友人の撮ったサンティアゴ巡礼の道の写真も3点入れました。数年前に巡礼の道を踏破したとき写真をFacebookにあげていたので、できたら掲載させてもらえないかと頼むと、「うれしい!」と言って、選んでくれました。
 私はこの教科書を使う機会はなさそうだけれど、載せられてよかった!

 おくやまゆかさんは、この2月に幼年童話『うりぼうウリタ もりのがっこう』(偕成社)を刊行しました。あわてんぼうでくいしんぼうのかわいいウリタのお話、おすすめです!

 こうして2冊並べると、いとこ同士みたいだね。

2020年2月18日火曜日

「子どもの本を選ぶ」土居安子さんの講演とワークショップ

 もう半年以上ブログを書いていなくて、ちっともログになっていないなと苦笑しています。もっと構えず書けばいいのかな。

 先週の日曜日2月16日に、日本子どもの本研究会の年1回の研修会が開催されました。
 ここ3、4年、埼玉の図書館員の代田知子さんとともに担当してきた企画で、これまでも「本を選ぶ」「本を手渡す」などをテーマにいろいろな方のお話や実践報告をうかがってきました。

 実際に本を読んで、さらにこのテーマを深められないかと思案していたところ、大阪国際児童文学振興財団の土居安子さんがワークショップをしているとの話を聞き、ぜひお願いしてみたいということで、今回の企画が実現しました。

 6冊の本を読んでワークシートを埋めてくるという宿題があり、貴重な休みを使って5時間あまり講座に参加するというハードな研修。果たして参加者がいるだろうかと心配でしたが、なんのなんの、60人満席になり、問題意識を共有する参加者の積極的な参加をいただいて、充実した1日になりました。

事前に読んでくることになっていた6冊。
『すきですゴリラ』は、新版は表紙と判型が異なる。

 土居安子さんの、関西弁の軽妙で内容がぎっしりつまったマシンガントーク(という表現がまさにぴったり)は、最初の瞬間から参加者の心をとらえ、最初から最後まで本当に濃密な時間でした。

 1冊の本をめぐって、思ったことを文字にすること、ポジティブな評価もネガティブな評価も疑問も出し合うことも、講座の中でやった、絵本の表紙からみなで読み取っていくグループワークもとてもおもしろかった。
 参加者から意見を求める場面で、作品に対する賞賛だけでなく、批判的な意見や日頃抱いていた疑問なども出てきたのは、さまざまな意見を受け入れる土居さんの姿勢への信頼感と議論の深まりの証拠かなと。
 作品を読み、討議することは、日本子どもの本研究会では研究部会でもしていることなので、それももっとアピールしていきたいし、「子どもに手渡す」という共通の問題意識を持って本を読み、多面的に考えを深めていく機会は、もっとあっていいということも思いました。

 冒頭で土居さんが、「蔵書構成」が大切とおっしゃったことに、私自身はなるほどなあと思いました。さまざまな本をどのようにとりまぜるかが、腕のみせどころだということ。すべての作品の読みにもつながることで。

 終わったと思ったら(!)、もう代田さんから、もう来年の研修会の日程の打診が! 来年は2月28日(日)になりそうです。