2017年12月17日日曜日

お別れ

火葬場から帰る車から見えた夕景色

 火曜の夜、正確には12月13日未明、父が85歳で永眠しました。肝臓と心臓に重篤な疾患をかかえて10月半ばに感染症で入院し、その後、一時は回復に向かったように見えましたが、そうはいきませんでした。最後は見るのが辛くなるほど苦しそうだったので、やっと楽になったね、という思いです。

 子どもの頃、父のことは怖いばかりで、思春期には反発を感じ、はやく自立したいと思い続けていました。毎晩、家でべろべろになるまでお酒を飲み、飲むと愚痴が始まり、独断と偏見に満ちた意見をまくしたてるということを、ここ30~40年続けていました。それでも、定年まで同じ会社で勤めあげ、家族を養い、子どもを学校に行かせ、退職後は好きなギターを買ったり、母とふたりドライブ旅行に行ったり、悠々自適に暮らしてきたのですから、大往生でした。

 それに、もしかすると、翻訳をしているのは父の血なのかも、と思っています。
 父が若いころ、母が読むようにとドイツ語の短編を訳したという、端正なブルーブラックのペン書きの原稿を、母に見せてもらったことがあります。理工系だったのに。
 おれの血をひいて、と思ったことはあったのかな。

 ここ2年間は認知症があったので、私が苦手だった父は、もうそこにいない感じでしたから、実際は長いお別れでした。
 さようなら、お父さん。ありがとう。

2017年10月23日月曜日

はじめの8冊 

本をさがしに(1)



 先日、ある編集者から「本や出版社のことも、書き残しておくといいですよ」と勧められた。そういうことを言われたのは初めてだったのでびっくりしたが、覚えていることを落穂ひろいのように書いてみるのもいいかなと思いはじめた。
 そんなわけで、「本をさがしに」というカテゴリーを作った。思いつくまま、これまで私が見てきたスペイン語圏の本のこと、出版社のことなど、本をめぐることを書いていきたい。
* * * * *

 本気で翻訳に取り組もうと決心したころ、何をやったら翻訳者になれるのだろうとヒントを求めて、翻訳学校の児童文学お試しクラスというのに出たことがある。英語で学ぶのはワンクッションあるので、学校に通うには至らなかったが、そのクラスで活躍中の翻訳家であった講師に言われた一言が心に残った。
「翻訳家は情報を持つことも大切。翻訳するだけでなく、本の情報を集めなさい」という言葉だ。

 その後私は、何かおもしろい本がないかと、いつでもどこでもスペイン語の本をさがし求めるようになった。しかし、私が最初にスペイン語の児童書を手にしたのは、それより3、4年前のことだった。1988年、まだ福武書店(現、ベネッセコーポレーション)で辞典の編集をしていたときだ。
 いつか翻訳の仕事をしたいと思っていた私は、どういう分野からなら、スペイン語で出版翻訳の世界に入れるだろうかと考え、児童書はどうだろうかと思いついた。その時点では、自分が子どもの頃に読んで楽しかったというぼんやりとした思い出しかなかったのだが、じゃあ、どんな子どもの本があるのだろうと、旅行を利用して本を買ってきたのだ。

 スペインへに行ったはそれが2度目だった。知っている書店は、学生時代に初めて旅行したときに恩師に教えてもらった、グランビア大通りにあるカサ・デル・リブロ(本の家、Casa del Libro)だけ。インターネットはなく、旅行ガイドや口コミ情報が頼りの時代だ。ほかの書店など知る由もなく、その時も向かったのはカサ・デル・リブロだった。
 
 書店に着くと、児童書売り場をさがし、そこで「スペインの子どもたちに読まれている、スペインの作家の本を10冊ほど選んでくれないか」と店員さんに頼んだ。はなはだ頼りないスペイン語だったけれど、たぶん通じたと思う。

 記憶を頼りに、その時買った本をかきあつめてみた。

Joan Manuel Gisbert, El misterio de la Isla de Tökland
ジョアン・マヌエル・ジズベルト『トークランド島の謎』
Concha López Narváez, La tierra del Sol y la Luna
コンチャ・ロペス=ナルバエス『太陽と月の大地』
Juan Farias, Algunos niños, tres perros y más cosas
フアン・ファリアス『子どもたち、犬3びきと、その他いろいろ』
Fernando Alonso, El bosque de piedra
フェルナンド・アロンソ『石の森』
Antoniorrobles, Cuentos de las cosas que hablan
アントニオロブレス『話をするものたちのお話』
Fernán Caballero, Cuentos de Encantamiento
フェルナン・カバリェーロ『おとぎ話集』
Juan Ramón Jiménez, Canta, pájaro lejano
フアン・ラモン・ヒメネス『うたえ、とおくの鳥よ』(詩集)
Maria Gripe, Los hijos del vidriero
マリア・グリーペ 『忘れ川をこえた子どもたち』  
 
 ずっと「はじめの10冊」と記憶していたけれど、8冊だったのか! 今となっては確かめようがない。
 しかも、最後のマリア・グリーペは、スペインではなくスウェーデンの国際アンデルセン賞作家だから笑ってしまう。店員さんも、スペイン人だと思いこんでいたのだろう。
ヒメネスの詩集の値段は350ペセタ。

 これらを読んで私は、スペインにもおもしろい児童文学がありそうだ、児童文学の翻訳をやってみようと決心した。しかも、その後も何かと、この8冊には世話になった。
『太陽と月の大地』は、今年、30年近い時を経て福音館書店で翻訳出版した。ジズベルトは私の翻訳デビュー作の作家だ。フアン・ファリアス、フェルナンド・アロンソはほかの作品だが、その後翻訳する機会を得た。
 昨年刊行した『名作短編で学ぶスペイン語』に収録したフェルナン・カバリェーロの1編も、このとき買ってきた本から選んだし、数年前、NHKのラジオ講座のテキストでLeer y cantar というコーナーを担当したとき、この詩集にあったヒメネスのヒナゲシの詩を載せた。

 マリア・グリーペの本以外は、みなエスパサ-カルペEspasa-Calpe という出版社のアウストラル・フベニルAustral Juvenil というシリーズだ。
 これは、歴史ある文芸出版社エスパサ・カルペが1981年に刊行を開始した子ども向けのシリーズで、1995年まで159タイトルを名編集者フェリシダー・オルキンFelicidad Orquín が担当した。
『ハックルベリー・フィンの冒険』、『灰色の畑と緑の畑』、ドリトル先生シリーズなど海外の作品も充実し、民主化した新しい時代のスペインで、最初の本格的児童文学シリーズとして親しまれた。
 私が本さがしの旅を始めた1994年、1997年にも、書店にはこのシリーズがずらっと並んでいた。

 その後、エスパサ-カルペはプラネタPlaneta グループに吸収された。エスパサレクトールEspasalector にインプリントを変えながら、これらの1980年代の本はしばらくの間は生き残っていたが、今は残念なことにほとんどの作品が姿を消してしまった。

 11×17センチというこぶりの並製で、中は白黒という質素なつくりだが、1点1点ていねいに挿絵が入っている、子どもと本への愛情がにじみ出たシリーズだった。
 
 あのとき、このシリーズの本に出会えたのは本当に幸運だったと思う。

2017年9月30日土曜日

補習校に行こう!

バルセロナの日々(21)


 小学校がはじまって1ヶ月。子どもたちのストレスは、日ましにふくらんでいった。
 ちんぷんかんぷんの言葉の中で、身振りや表情、数字や教科書の挿し絵など、わかるきっかけを探しながら毎日九時から五時までしのいでいるのだから無理もない。辛いだろうと思ったけれど、「辛いでしょう。ごめんね」とは、口にできなかった。言っても状況は変えられない。クレンフォルをやめさせるわけにはいかない。子どもが学校に行ってくれないと私は大学に行けず、スペインに来た意味がなくなってしまう。愚痴や弱音をききだしたら、きりがなくなりそうでこわかった。最初から無理は承知だったのだ。気の遠くなりそうに長いトンネルをいく気分だったけれど、後戻りはできない。いつかは外に出ると信じたかった。
 それにしても、子どもたちの負担を少しでも軽くしてやることはできないだろうか。

 10月半ば、やっぱり調べてみようと決心したのは補習校のことだった。
 海外の日本人学校には、土曜日、ウィークデーの学校と別の形で、日本人の子どもが集まるクラスがあるというのをきいたことがあった。バルセロナの日本人学校にも、そういうのがあるかもしれない。通わせられるかわからないけれど、ともかく調べてみよう。
 領事館で日本人学校の電話番号をきき、土曜日のクラスのことをたずねた。学校とはまったく別組織だが、日本人学校の校舎を使って土曜日にやっている補習校というのが確かにあるという。日本人学校は、私たちが住んでいるサルダニョーラの隣町、サンクガットにあった。
 問い合わせ先として教えてもらったのは、リコさんの電話番号だった。大学のあるベリャテラに住んでいるというリコさんは事情を話すと、「ともかく一度見にきたら?」とさそってくれた。「足がないなら、うちの車でのせてってあげるわよ」と言う。電話をしただけで、いきなり好意に甘えていいのだろうか。一瞬迷ったものの、場所もわからない日本人学校に1人では行けそうにない。この際、お願いしてしまえ。そんなわけで、翌々日の土曜日にさっそく見学することになった。

 土曜日、子どもたちは興奮ぎみだった。どういうことかよくわからないけれど、日本人、それも、ひょっとしたら自分と同じような年の子に会えるかもしれないというのだから無理もない。でも、ぬか喜びに終わったらかわいそうだ。「通えるかどうか、行ってみないとわからないんだからね」と、私は念を押した。
 リコさんにベリャテラの駅で拾ってもらうと、十分足らずで小高い丘の上にある日本人学校に着いた。手前にヒューレットパッカードの工場があるが、学校のまわりは広々とした草地だ。子どもを乗せた車が、次々と到着する。
「おはよう。元気?」
 日本語のあいさつがとびかう。それだけで、みるみるケンシたちの緊張がほどけていくのがわかった。

 補習校では、幼稚園の年中から中学生までの子どもたちが、国語を中心に、毎週土曜日3時間の授業を受けていた。保護者の手による自主運営の塾のようなものだ。
 子どもの大半は、日本人とスペイン人の国際婚ペアの子どもだった。ふだんから日本人の親と日本語で会話している子もいれば、そうでない子もいる。日本人学校は幼稚園がないので、就学前の子どもを連れてきている両親とも日本人の赴任家族もいたが、どっぷりと日本で育ってきた小学生は少数派だった。

 学校の概要やしくみなどは、一回説明をきいただけではよくわからないこともあったけれど、その日が終わったとき、ともかく通わせてみようと決心していた。
 というのも、子どもたちのそんなくつろいだ表情を見るのは久しぶりだった。思った以上に現地育ちの子が多く、子ども同士のコミュニケーションの意味では正直やや物足りない気がした。でも、何十人かの日本人が集まる環境の中で、子どもたちは、毎日の生活では見せない、穏やかな顔を見せた。
 通学は心配だったけれど、行き帰りタクシーでも通えないことはない。出費はかさむが、背に腹はかえられない。こういう場があるのを知った以上、通わせないわけにいかないではないか。
「困ったことがあればなんでも言ってくださいね。みんなが助けてくれるから大丈夫」という委員長のIさんの言葉にささえられて、土曜日の補習校通いがはじまった。

 でも、補習校で救われたのは、子どもたちではなく、実は私だった。
「ようやるわ、と思ってたよ」
と、そのあとさんざん世話になった、同じ町に住むクルコさんがあとで言っていた。
 私たちの事情を話すと、現地生活の長い日本人の保護者たちはびっくりし、その後、数え切れないほどの場面で手をさしだしてくれたからだ。この親同士のつきあいについては、思い出すたび胸がキュンとなるのだが、またあとであらためて触れたいと思う。

2017年9月14日木曜日

『エンリケタ、えほんをつくる』紹介情報1


 先月末に刊行になったリニエルス『エンリケタ、えほんをつくる』(ほるぷ出版)ですが、千葉市の児童書専門店「子どもの本の広場 会留府」のブログ「エルフ通信」で紹介されました。こちらです。
「読んでいるうちに私も昔こんなことして1人の時あそんだっけ!と思い出しました。」「時々こういう楽しい本にであうと、エンリケタのように元気がでます。」など、うれしい言葉がいっぱい。ありがとうございます!

 会留府さんは、読書会や憲法カフェなど、定期的にさまざまなイベントをしながら、こうして新刊を1冊1冊、ていねいに紹介し続けていらっしゃいます。ブログの右側のイベント欄も注目です!

 ところで、上の写真は、先日、この本の刊行記念イベントが開催されたホォアナ・デ・アルコの表参道店のレジ奥にかけてあったリニエルスの原画です。アルゼンチンの大手新聞「ラナシオン」に10年以上続いているリニエルスの「マカヌド」で、2011年3月13日に掲載されたカートゥーン。

「このハグが日本にとどきますように」

 まだこの原画、かかってるかな。
 ホォアナ・デ・アルコでは、リニエルスの絵の入ったTシャツやぱんつも売っていますよ。

2017年9月6日水曜日

『いっぽんのせんとマヌエル』


『いっぽんのせんとマヌエル』
マリア・ホセ・フェラーダ文
パトリシオ・メナ絵
星野由美訳
偕成社

 先月末に刊行された上記の絵本をかいた、チリ出身の作家と画家が来日し、今日は神保町ブックハウスカフェでイベントがありました。
2017.9.4 神保町ブックハウスカフェで・
左からフェラーダさん、星野さん、メナさん。

 1本のせんを中心にしてマヌエルくんの1日をたどった、こぶりのかわいらしい絵本です。

 この絵本の特徴は、ピクトグラムがついていること。
 そもそものきっかけは、作家のフェラーダさんが、ピクトグラムつきの絵本を読んでいる自閉症のマヌエルくんとお母さんの映像を見たこと。その後、実際に二人と出会い、「せん」にこだわりを持つマヌエルくんのことをみんなが知ってくれると同時に、マヌエルくん自身も楽しめる絵本をつくろうと、この絵本がうまれたとのこと。
 ガリシア地方に滞在していたフェラーダさんと、バルセロナ在住のメナさんが、マヌエルくんとお母さん、カウンセラーさんと学校のほかの子どもたちにも何度も見てもらいながら、苦労しながら仕上げていったそうです。

 今日のお話を聞いてなるほどと思ったのは、学校から帰ってきたマヌエルくんが、「せんの むこうの ママと あくしゅ」する場面。
 なにげなく読んでいましたが、フェラーダさんの説明によると、自閉症の人はほかの人と関係を持ちにくく、感情を表現するのもむずかしい。けれどもここで、家に帰ってきたマヌエルがにこにことママとあくしゅするというのは、自閉症の子どもでも自分からこのように握手することもできることをあらわしている、とても重要な画面だとのこと。
 線があるから、安心して人と関係を持てるということも、原文のpor ella(por la linea線によって) は表しているのかなと改めて思いました。

 スペイン語版にはピクトグラムはついておらず(出版社のホームページからダウンロードできる)、日本語版では、スペイン語版のピクトグラムをもとに、訳文に合わせて独自にピクトグラムをつけていったそうです。
 そのあたりのプロセス、製作の工夫も偕成社の編集者の千葉美香さんが説明してくださいました。日本語の意味に合わせて、画家のメナさんが、新しい図案でつくったものもあります。この絵本は、日本だけのオリジナル版になっているのです。
 テキストの語ること、絵の語ることをそこなわずに、ピクトグラムというもうひとつことばを添えていくという試みは挑戦だったが、たいへん豊かな経験だったとメナさんが語っていました。

 ラテンアメリカ発の、新しいバリアフリー絵本。
 公共図書館はもとより、この絵本そのものを楽しめる保育園、幼稚園、小学校はもちろん、インクルーシブな試みや福祉について学ぶ中学校、高校、大学でも、置いてもらえますように。

 9月8日、9日のイベント情報はこちらで。
 http://www.kaiseisha.co.jp/news/23431

2017年9月1日金曜日

ルベンとクリスティーナ

バルセロナの日々(20)


1999年9月12日 やっと3人を大聖堂に連れていった

 サルダニョーラに着いた翌日から、天気が許せば子どもたちを外で遊ばせるようになった。日本でも戸外でたくさん遊んできた三人だ。退屈しのぎにプレステやゲームボーイを持参してはいたが、そればかりになりたくなかったし、早く現地の友達をつくってほしかった。
 一番手近なのが、アパートのすぐ横の遊び場だ。ブランコと滑り台があるし、となりのアパートの外壁をゴールにしてサッカーをしている男の子がたいていいる。夕方になると遊んでいる子を見守りながらおしゃべりをする母親たちで、ベンチはすずなりになった。
 けれども、外に連れだしても、現地の子とすぐに遊びだせるものではかった。促しても、当人たちは尻込みするばかり。第一、顔形がまるで違う。それに、何を言われてもわからないし、何を言っても通じやしないのだ。二、三歳の子どもなら、言葉など関係なく遊びだせたかもしれないが、タイシですらそういう乳児期は通り越しつつあった。
「借りてきたねこ」とは、こういう状態を言うのだろうか。どことなく遠慮がちに三人かたまり、発散しきれないまま、じきにつまらないことでけんかを始める。スペインの子は人なつっこいというコメントを本で見かけることがあるがどうなのだろう。見ず知らずの相手を警戒するのは、どこも同じだった。

 ところが、中には積極的な子もいるものだ。空手を習っているという六年生のルベンくん。私たちが外に出るようになって一週間もたたないある日、近づいてきて自己紹介をしたかと思うと、翌日からアパートの入り口付近で三人を待ちうけ、遊びにさそうようになった。
 ほどなく、ルベンくんは誕生会にケンシを招待し、おかあさんのアナマリアに私をひきあわせた。いわば親公認の仲だ。こうして、四年生の妹のクリスティーナちゃんと二人で頻繁にアパートをたずねてくるようになった。アナマリアには、父親不在の家庭同士の気安さがあったのか。アナマリアはシングルマザーで、ルべンくんのおとうさんはマドリードにいた。おかあさんが仕事から帰るのは十時すぎ。だから、ケンシたちと遊ぶ時間は、子守のおばさんが世話をしていた。

 ルベンくんと言えば、一番に思い出す遊びが「かくれんぼ」だ。窓のシャッターをおろした真っ暗やみの寝室で、鬼が手探りで、隠れた子をさがす。いつ何を触るか、触られるかわからないのでスリル満点。びっくりしてひっぱたいてけんかになったり、クローゼットに隠れて背板をはずしたり、あわてて力まかせに押して電気のスイッチを壊したり、エスカレートすると少々危険だが、子どもたちが実に生き生きとする遊びだった。

 気温が下がってきた頃のことだ。思いがけない問題が発生した。我が家の室内は土足禁止だったのだが、ある日、玄関で靴を脱いだクリスティーナちゃんが、「あたしの足、すごく臭いの。匂ったらあたしだからね」と宣言した。気づくと、それまで素足にサンダルばきだったルベンくんたちが、靴下と靴をはくようになっていた。
 絶句した。あとでしばらく換気をしても、夜、帰宅したハルちゃんが、「今日、ルベンくん来たでしょう」と言い当てるほどの臭気をルベンくんたちはふりまいた。

 子どもの靴に対する意識が違うのだというのに気づいたのは、しばらくしてからだった。子ども靴の店で、三歳くらいの子に試着させた靴のひものしまり具合を、母親が熱心にチェックしている。「ははあ」と思った。日本の場合、家でも学校でも、一日何回も靴を履きなおすから、「着脱しやすい」が子どもの靴の第一条件だ。だが、あちらは脱げないことが大切なのだ。朝、身支度をしたら、家に帰るまでゆるんではならない。人前で脱ぐのはプールの着替えのときくらいのもの。それ以外はびしっと履かせておくのだから、むれるわけだ。それに、入浴せず、毎日シャワーですませているなら、子どものことだから、足の指のあいだなどいいかげんにしか洗っていなかったのかもしれない。

 子ども同士、よく衝突もしていた。うまく口で表現できないアキコやタイシがいきなり暴力をふるったり、ノーと言えずにケンシがむっつり黙りこんでしまったり。せっかく遊び始めても、お互いいやな思いをするだけの日もあった。でも、何があっても懲りずに遊びにき続けてくれたルベンくんとクリスティーナちゃんは貴重な存在だった。子どもの話し言葉や立ち居振舞いなど、私も彼らからはたっぷり学ばせてもらった。
 なのに、思い出すたび、足の匂いも一緒に思い起こしてしまうというのは、本当に申し訳ない。



2017年8月27日日曜日

リニエルス『エンリケタ、えほんをつくる』刊行!


『エンリケタ、えほんをつくる』
リニエルス作
宇野和美訳
ほるぷ出版

「ラ・ナシオン」紙に2002年から連載されている『マカヌド』(Macanudo) は、アルゼンチンでは知らない人のいないコマまんがです。この『マカヌド』の作者リニエルスの絵本が日本に上陸しました!

主人公のエンリケタは、『マカヌド』にも登場する、本を読むのが大好きな、想像力豊かな女の子。色鉛筆のセットをもらったエンリケタはいろえんぴつのセットって、にじのかけらみたいだね」といって、絵本をかきはじめます。どんな絵本ができるのでしょうか……

楽しくかわいい本になりました!

何よりも注目は、絵とぴったり合った描き文字です。
エンリケタが描いた絵本の部分は原作でもみな、鉛筆がきの描き文字なので、日本語でも描き文字でデザインしていただきました。子どもっぽいけれど、可読性がある描き文字なぞできるのかしらと心配しましたが、編集者さんとデザイナーさんが、原作のイメージどおりにしあげてくれました。

実は、ここはテキストもがんばりどころでした。文字部分は、手描きか、まんがの吹き出しかのどちらかなので、すべてひらがなにしなければならなかったからです。
漢字を使っている文章をそのままひらいただけでは、読める文にならないので、ひらがなだけでも読みづらくなく頭に入り、ひびきのよいテキストになるように、ああでもない、こうでもないと、頭をひねりました。
デザイナーさんが描き文字を入れてくださってからも、文字づらからやっぱり変えたくなったり、スペースの関係で文字数を調整しなければならなくなったり、大幅な手直しも入ってしまいましたが、編集者さんが「校正が終わるまでは、いいですよ」とドーンと構えていてくれて、とてもありがたかったです。変えてよくなった、前のほうがわかりやすいのではなど、修正についてはっきり言ってもらえたのも助かりました。

「エンリケタ」は少々なじみのない名前ですが、原題から離れないでほしいというリニエルスの要望があり、タイトルはこうなりました。日本でもエンリケタがかわいがられるようになるといいなと思っています。スペイン語圏では、大人気のキャラクターです。

絵本をつくりながら、エンリケタが、

いいおはなしでは いつでも「ふいに」なにかがおこるんだ
おはなしには ひらめきが かんじんなの

など、本好きらしいコメントをするのも、おもしろいところです。
こういう部分は、小学生も楽しめそうです。絵本だけでなく、幼年童話の棚にも置いてもらえるといいな。

英語版は、2016年のバッチェルダー賞のオナーにも選ばれています。

リニエルスのブログはこちら。http://www.porliniers.com/
エンリケタEnriquetaの顔のリンクを開いてみてください。エンリケタが登場する、『マカヌド』のコママンガが見られます。本を持っているのが多いでしょう? ネコのフェリーニと、テディベアのマダリアーガは、『えほんをつくる』にも出てきます。
Todas las tiras を開くと、テーマごとの検索もできます。「愛」「イマジネーション」「読書/教育」「映画」「環境」……というテーマを見るだけでも、『マカヌド』を読んでみたくなるのでは? 
『マカヌド』の全編を読みたい方、どこかの出版社に訳してくださいのコールを!

「ぱんつ 当たるの!?」
9月30日まで、刊行記念のプレゼント企画があります。
応募して、アルゼンチンのファッションブランド、ホォアナ・デ・アルコのグッズをあててください。ホォアナ・デ・アルコのデザイナー、マリアナとリニエルスは大親友だそうです。
www.juanadearco.jp

2017年8月25日金曜日

記憶の底の風景


 20日に北九州で開催されたセミナーに出席したあと、大分に寄ってきました。目的は宇佐市を訪れること。終戦後、朝鮮から引き揚げてきた両親が出会った場所です。

 このところ父の思考力は衰える一方。毎年、終戦記念日の頃になると、引き揚げのときの思い出話をしていたのに、今年は今が何月かもわからず、今日は終戦記念日だよ、と声をかけても無反応でした。母が「もう何度聞いたか」と嫌味を言っていた、以前、父のその思い出話をまとめたブログを再録します。
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父の終戦

韓国の釜山で終戦を迎えた、当時13歳だった父の思い出話。

終戦の年の春、親父が急に亡くなってね、「まだ若いのに情けない。自分とかわってやれればよかったのに」と嘆いていたじいさんが、それからいくらもしないで死んでしまった。

学校の校庭で玉音放送を聴いたとき、何を言われているのか、さっぱりわからなかった。でもすぐに、「明日から学校はない。内地に帰ったらこの書類を渡しなさい」と、学校から書類を渡されて学校は解散になった。

まもなく、近所の人が「軍属の乗る船があるが、よかったら乗せてやろう」とうちに来た。するとおふくろは、「この子と娘をのせてください。私は残ります」と言ったんだよ。びっくりしたよ。当時姉は16歳。帰ると言ったって、2年前に1度行ったことしかない、大分の親父のいとこの家が頼りだよ。行って面倒を見てくれるかもわからないのに、2人で帰れっていうんだから。一番上の兄貴が、兵隊で満州に行っていたから、おふくろはその連絡を待つというんだ。

船はもともと博多に着く予定だったが、途中で船体がいたんで志賀島に漂着した。だれかが綱をひいてつなぎとめてくれて、はしけで上陸した。翌日見たら、沖合にあるはずの船がばらばらになっていたから、間一髪だったんだな。

志賀島から、姉はおやじのいとこに迎えに来てくれるように手紙を書いた。すると、いとこの家の人と、思いがけず五高に行っていた2番目の兄貴が迎えにきてくれた。兄貴は、勤労奉仕で長崎にいるとき被爆したが、休みになったのでちょうど大分に行っていたらしい。それで、無事に親父のいとこの家についた。

あとできくと、8月になっておふくろは五高の兄になぜか200円を送金していたらしい。初任給が50円、60円の時代だから相当な金額なんだ。なぜおふくろが金を送ったのか、わからないが、おかげでいとこの家で面倒をみてもらえた。でも、居心地は悪かった。田舎で、中学に行っている子どもなんかまわりにいないのに、居候のくせに中学に行かせてもらうんだから。

9月に入って、姉が疫痢になった。死ぬ何日か前だったか、出されたおかゆを姉が食べないので食べたら、おばさんにえらい怒られてね。こっちはひもじくて仕方なかったのだけれど、ひどく後味が悪かった。

姉が死ぬ前日の夜、突然おふくろが帰ってきた。「お世話になりました」と言って、玄関で頭をさげると、リュックの肩ひもをざっと切って、中からたたんだお札を何枚も出して居候先のおばさんに渡した。釜山じゃ日本のお札はなかなか手に入らなかったのに、どうやってそんなに集めたのかわからないけど、途中でとられないように肩ひもに縫いこんで持ってかえったんだよ。おばさんも、「そんなことしなくていいのに」って、涙を流していたよ。

その翌日、姉が死んだ。学校の帰り道、近所の人に「姉さん死んだぞ、すぐ帰れ」と呼びかけられて、わけがわからず走って帰った。悲しかったなあ。半年の間に、3人も逝ってしまった。
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 両親がどのあたりに住んでいたか知りませんが、宇佐高校で知り合ったということ、宇佐八幡が近所だったことはよく聞いていたので、一度行きたいと思っていました。
 JRの宇佐駅から宇佐八幡までは4キロくらい。レンタサイクルを借りようと考えていましたが、雨になるかもと言われて、結局1時間に1本しかないバスで行きました。
 
 バス停で降りて、参道を歩き、蓮の池を通りすぎると、やがて鳥居。
 

石段をのぼって上宮へ。母のために、申年のお守りの根付を買い求めました。



 下宮もちゃんとまいってから、いよいよ、宇佐八幡から数百メートルのところにある宇佐高校へ。校門には、70年前の面影はまったくなさそうでした。


 建物は変わっても山は変わらないだろうと、幹線道路から学校にのぼる坂の途中から、遠くの山を撮りました。母に見せても、「はぁ?」という反応でしたが。


  町や村ではなく市なので、両親の思い出話からも、もう少し町っぽい場所を想像していたのですが、少なくともJRの駅と宇佐八幡の間は、こんな風景ばかり。


 引き揚げ体験という共通項をもっていた二人がひかれあうようになったのは、いつのことなのか。宇佐か、そのあと東京でか。
 記憶の底に沈んで、もう心をかき乱すこともない悲しみや初恋のときめきを思いながら、駅まで歩いてもどり、景色を胸に刻みつけました。

2017年8月15日火曜日

栗祭りカスタニャーダ

バルセロナの日々(19)


 十月の半ばを過ぎたころ、私たちのアパートのすぐ前にあるケーキ屋さんに秋が来た。ショーウィンドーに木の葉や松ぼっくりが飾られ、松の実をあしらったお菓子が並んでいる。気づくと、ずっと半袖Tシャツで過ごしていた地元の子どもたちが、長袖を着るようになっていた。

 そんなある日、タイシとアキコが、学校からお便りをもらってきた。
「今年もカスタニャーダをします。アーモンドの粉百グラムと松の実五十グラムを持たせてください」
 カスタニャーダってなんだろう? アーモンドや松の実を何に使うんだろう?
 クラスメイトのおかあさんに聞いてみると、パナイェッツの材料だと言う。十一月一日の諸聖人の日につきもののお菓子らしい。
 うわー、楽しみー! 
 保育園では秋になると子どもたちが芋掘りに行き、園庭で焼き芋をしたものだった。カタルーニャでは、パナイェッツというわけか。幼児や低学年の子どもたちの園生活、学校生活が、季節にちなんだ行事で彩られるのは、どこも同じなんだなあと思った。
 ハルちゃんに話すと、カタルーニャでは諸聖人の日Dia de tots sants(「とっつぁんの日」と聞こえると、ハルちゃんはおもしろがった)に、カスタニャーダcastanyadaという栗のお祭りをするのだと教えてくれた。このお祭りに欠かせないのが、焼き栗やパナイェッツ、それからモスカテルという甘いデザートワインに焼いたサツマイモだ。アパート前のケーキ屋さんに並んでいた、松の実の「かのこ」のような焼き菓子が、そのパナイェッツだった。

 スペインのドライフルーツは多彩だ。市場に行くと、日本でもおなじみのレーズンやピーナッツ、干しプラム、干しアンズからナッツ類まで、何十種類とならんでいる。
 スペインらしいのは、ひまわりの種pipasとコーンkikos(うちのまわりの子どもたちはこう呼んでいたが、帰国してから話していたら、そこにいたスペイン人にそんな語は聞いたことがないと言われた。いつもひく西西辞典でひいてみたところ、商標名としてちゃんと「炒ったトウモロコシの実」という語釈があった)。コーンは、普通のとうもろこしをミックスナッツのジャイアントコーンのように加工したものだ。この二つは駄菓子の王様で、パン屋やキオスクで、二十ペセタくらいの小袋になったのもよく売っている。広場のベンチのまわりには、たいていこのひまわりの種の殻が散らばっている。
 アーモンドやヘーゼルナッツは、煎ったものと生のものがあって、つまみにもいいし、カタルーニャ料理ではソースの食材として多用される。クルミは、カリフォルニア産よりも小粒で黒っぽい、見た目は貧相なスペイン産のほうが味があり、値段も高い。
 私のいちばんのお気に入りは、干しいちじくと干しなつめやし。いちじくは、スペイン産のとトルコ産のがある。スペイン産のは、暗紫色の実のまわりに白っぽく粉をふいていて、中はむっちりねっちょりし、ほんのり甘く滋味がある。くるみといっしょに食べると、いっそう味がひきたつ。夜、口寂しいとき、一つ二つつまむのにちょうどよかった。
 なつめやしは、干し柿の赤ちゃんみたい。まわりがテラテラ光っているのと、ナトゥラルと呼ばれる自然のままのものがあって、やはり自然の甘さが心地よい。バレンシアやエルチェあたりに行くと、ヤシの木の下にぼとぼと落ちているらしい。
 それからマラガ産干しブドウ。近頃日本でもカリフォルニア産で見かけるようになった、種入りの少し大粒の干しブドウだ。種ごとゴリゴリとかみ砕いて食べつけると、やみつきになる。
 セラパレーラ市場にあるドライフルーツの量り売りの店で、私は、アーモンドの粉と松の実を買いこんだ。

 十一月一日は祝日なので、その前日、アキコとタイシは、松の実がかの子状についた少しいびつなパナリェッツが六つずつのった紙皿をささげもって、ニコニコ顔で学校から出てきた。タイシのには、包んだセロハンに、自分の名前を書いた栗の形のカードがはりつけてある。
 フアニ先生に言われたとおり、十分くらいオーブンで焼くと、香ばしい匂いが家じゅうに広がった。日本にいるときはよくケーキやらクッキーやら子どもたちに作っていたのに、スペインに着いてからは初めての手作りお菓子だった。なれないオーブンの焼きぐせを確かめながら、たまには好きなお菓子でも作ってやりたいなあと思いながら、焼きあがったパナイェッツをかじってみる。
 松の実独特のすっぱいような風味が、アーモンドを使った中だねの甘みと混じりあって、口いっぱいに広がる。ナッツ類が苦手なケンシとアキコはあまり好まなかったが、タイシは気に入ったようで、次々口にほうりこんだ。
「とっつぁん」の日、ハルちゃんと近所の酒屋でモスカテルを買い、ちびちびとなめた。こうして季節ごとに、スペインの、カタルーニャの新しい味を一つ一つ体でおぼえていくんだなあ、と一人感動しつつ、秋の夜はふけていった。

2017年7月15日土曜日

1日1日を穏やかに

近所の観音様のほおずき市に次男と行って買いました。
母と鳴らせるかな。

5月末に両親の引っ越しを決行してからひと月半。認知症のある老いた両親との時間を組み込んだ生活に、少しずつなじみつつあります。

場所をうつすと認知症は進みますよ――
さんざん忠告されたとおり、引越しのあと2、3週間は試練のときでした。無事なじんできたかと思ったら、「お母さん、どうしてここにいるのかわからないの」という電話がひっきりなしにかかってきたり、ここは自分のうちじゃないと、父が家のなかをぐるぐる歩いたり。ケアマネさんに相談しながら、介護の体制をととのえたりさまざまな手続きをしたりと、姉がかけずりまわってくれましたが、まだ課題がいくつも残っています。
また、父の体に異変があり、いやがる父を姉が病院に連れていくといくつか問題も見つかりました。

食べ方がわからなくなって、一口大でお皿に並べたおかずをおはしで口に運ぶしかできなかったり、生理的に気持ちがいいとにこにこしたりしている父は、子どもたちが赤ん坊のときとおんなじ。
最初はそれが辛かったけれど、今はふっきれてきた感じです。でも、できるだけ機嫌よくしていてくれたらと思う一方で、あまりにわかりが悪いとかりかりしてしまい、しんどくなるのも子育てと同じ。
子育て優先の20数年の後、ここ何年か、自分の時間を自分の都合だけでまわせる自由を満喫していましたが、しばらくはこちらにシフト。
昔の父は受け入れがたくて、大人になってからもどちらかというと敬遠してきたのですが、今の父はもう別人。こんな日が来るとは思っていませんでした。

昨日は次男の誕生日でした。子どもが生まれたとき、いつも手伝いに来てくれた母を思い出しましたが、昨日の母は、「今日はタイシの誕生日だよ」と言っても、「タイシくんってどの子だっけ」と聞き返しました。
なくなってしまったものを思って一抹の寂しさをいだきつつ、両親が困ったとか辛いとか思うことなく1日1日をしのぐことだけを考えています。


2017年5月7日日曜日

「としょかん通信」5月号付録 ぷらす・あるふぁ


全国学校図書館協議会(SLA)「としょかん通信」5月号付録の「ぷらす・あるふぁ」(小学生版)(中学生版)「世界に出会うブックトーク」のコーナーで、「乗り物と旅」をテーマにした本の紹介記事を書きました。
ご興味のある方は、「としょかん通信」を購読している図書館で探してみてください。

それぞれ4冊までと言われ、最近の作品と少し前のもの、フィクションとノンフィクションをとりまぜ、なるべくバラエティ豊かになるように、さんざん迷って選びました。

スペイン語圏にかかわる作品で、小学生版に、ルードヴィヒ・ベーメルマンス『きかんしゃ キト号』(ふしみみさを訳、BL出版、復刊したときに書名が変わりました)や、ジャネット・ウィンター『ろばのとしょかん コロンビアでほんとうにあったおはなし』(福本友美子、集英社)、中学生版に、エルネスト・ゲバラ『モーターサイクル・ダイアリーズ』(棚橋加奈江、角川文庫)も入れたかったのですが、今回は断念。

よかったら合わせてどうぞ!

2017年4月13日木曜日

『太陽と月の大地』ついに刊行!



『太陽と月の大地』
コンチャ・ロペス=ナルバエス作
宇野和美 訳
松本里美 画
福音館書店
本体価格1600円



「今、何訳してるの?」と聞かれて、ここ何年もタイトルを言い続けてきた本がついに出版されました! スペインで1980年代に書かれ、30年以上読み継がれてきた名作『太陽と月の大地』La tierra del Sol y la Lunaです。
 ちょっとした紹介文を、福音館書店のPR誌『あのね』4月号に書きました。福音館書店のサイトでも4月半ばには見られるそうですが、こちらのリンクでご覧ください。
 訳者がぐずぐずしているあいだに、松本さんがブログにもたくさん書いてくださっていて感謝です。

 出会ったのは、まだ翻訳の勉強も始めていなかった1988年、旅先のマドリード、グラン・ビアのCasa del Libro で、よく読まれているスペインの作家の児童書10冊を選んでもらったなかの1冊でした。それが、上の写真の左側の本。
 その後、ミランフ洋書店を始めた10年前に出ていた版が、右側の本です。

 表紙と挿画は松本里美さんの美しい銅版画です。
 この原画はなんと(!)、4月17日から30日まで銀座伊東屋のギャラリーで開催の松本さんの個展『ノクターンーNoctune for Jー』で全点見られるそうです。私も今から楽しみにしています。詳しくはこちらを。

 コンチャ・ロペス=ナルバエスは以前、『約束の丘』(行路社)という作品を訳しました。こちらは、15世紀に統一スペインができ、国外にユダヤ人が追放されたときの物語。今回のは、イスラム教徒を排除していく時代が描かれた、『約束の丘』と対になるような作品です。
「名前がややこしい」とよく言われますので、冒頭に主な登場人物の家系図と、舞台となったグラナダ付近の地図を入れてもらいました。

 図書館で、書店で、手に取っていただけたらうれしいです。

アルバイシンからのぞんだアルハンブラ宮殿(グラナダ)

アルハンブラ宮殿の内部

アルハンブラ宮殿からグラナダ市街を見おろして















2017年3月11日土曜日

メデジンより(図書館編)


『雨あがりのメデジン』に出てくるメトロカブレ
いつか行きたいと思っていたコロンビアのメデジンにとうとう行ってきました。
 メデジンに行くならぜひ「文学工房ジョルディ・シエラ・イ・ファブラ財団」のフアン・パブロを訪ねてみるようにと人にも勧められました。同財団は、2012年にIBBY朝日国際児童図書普及賞を受賞している団体です。IBBY世界大会での授賞式には私も立ち会っていたので、彼らのその後の活動も知りたく連絡をとりました。
 すると、3日間、自分たちが見るべきところを案内する、ついては図書館で翻訳について話さないかと提案され、EPM図書館でトークをすることになったのです。
財団事務所でIBBY朝日賞の賞状の横でスタッフのみなさんと。左端がフアン・パブロ。
『雨あがりのメデジン』に登場するのは、正確には図書館ではなく図書館公園でした。図書館公園とは、図書館と公民館が合体したような複合施設で、いわゆる公共図書館よりも大規模な施設を指すとのこと。図書館だけではなかなか人が集まらないので、ホール、展示室、集会室などでさまざまな活動を行い、地域の核にしていこうということのようです。市内には、9箇所(たぶん)の図書館公園があり、下の写真のベレン図書館公園は、東京大学の援助を受けて内藤廣氏が設計したそうで、日本の部屋もありました。
 児童室にいた司書さんは、Taller de letras財団の人たちが講師を務める大学の司書課程を出た女性。親子や子ども向けに熱心に活動しているようすを説明してくれました。
ベレン図書館公園入り口
ベレン図書館公園児童室
児童室にお母さんと来ていた男の子!

「児童文学翻訳の技」というトークの会場になったEPM図書館は、市庁舎前のルス広場の前にある逆ピラミッド型の建物。知識がだんだんと広がることを象徴的に表しているとのこと。メデジンの日本人コミュニティーでも情報がまわったようで、トークには大勢の参加があり、ありがたいことでした。
EPM図書館外観

 楽しみだったエスパーニャ図書館公園は、悲しいことに現在閉鎖中でした。急勾配の斜面に建てられた隕石のような建物ですが、地盤が弱って崩壊の危険があると、2015年の夏に閉鎖され、現在解体工事中。もう一度建てる予定ではあるそうです。
解体中のエスパーニャ図書館公園
  でも、この地域での図書館活動は、「バリオに公園をparque al barrio」として続いていました。午前から午後まで毎週決まった場所に80冊くらいの本を持っていって開く移動図書館や、おじいさん、おばあさんのお話のプロジェクトなど、これまで以上に活発な活動を図書館員11名が続けていると、下の写真のマリアンMarianさんが説明してくれました。『雨あがりのメデジン』の図書館員のモデルかしらと思ってしまいました。
エスパーニャ図書館公園の図書館員マリアンさんと

「バリオに公園をParque al barrio」については、こちらのビデオも合わせてどうぞ(スペイン語)。





 

2017年2月17日金曜日

ときには生徒に


「荻内勝之先生と読む『ドン・キホーテ』」の授業を、先週からとりはじめました。
 
 おとといの授業で「へえ~」と思ったのはsuerteという語。登場するbachiller がYa que así lo ha querido mi suerte. 「私の運がそう望んだから」と言う場面です。
「カトリックの信者がsuerteという言葉を言い放つところにおかしさがあるんです。信者は、何事も神の思し召しと考えるでしょう。教皇は、決してsuerte という語は口にしないはずですよ」と指南されました。
 こうやって接続法過去完了で言うのはおごそかな感じですねとか、この語は「おとなしい」というだけでなく、いざとなったら何をするかわからない感じがありますねとか、奥行きのある解説です。

『ドン・キホーテ』の原文に触れるのは大学の授業以来ですが、気楽でのびのび、楽しくてしかたありません。予習ができていなくても、わからない箇所が残っていても、教えてもらう側だからニコニコ。生徒になるのも時にはいいな。
 
 セルバンテスの時代、マドリードのこのへんは肉屋やパン屋があったなど、さまざまな雑学もとびだして、とても豊かな時間です。

 ただいまクラスメイト募集中です。大学の外でこういう授業はなかなかないですよ。初級レベルの方でも、読んでみたいという気持ちがあればOK。

 詳細はこちら
 荻内先生がマドリードにお出かけになっていない期間に限ってなので、開講日は問い合わせてください。読み終わるまで続くはず(!)です。


 

2017年2月11日土曜日

ポール・ジンデル『高校二年の四月に』(講談社) ヤングアダルト文学との出会い

 

 ヤングアダルトという言葉も知らなかった高校1年のとき、高校の図書館にあったこの本を偶然手にとりました。「ああ、もっとこんな本が読みたい!」と思ったのを鮮明に覚えています。
 子どもでもなければ大人でもない、自分と同じくらいの年齢の等身大の主人公たちの心理がこまやかに描かれている本に触れたのは初めてでとても新鮮だったのです。ヤングアダルトとの出会いでした。
 世界文学や日本文学も読んでいましたが、子どもではないけれどまだ大人にはなっていない当時のモヤモヤした自分の胸にピッと突き刺さりました。

 タイトルも読んだこともすっかり忘れていたのですが、何年か前に、あれは何という本だっただろうと思い出しました。「高校2年」「4月」というキーワードのほかに、なぜか「平井イサク」という訳者名を覚えていたのは、当時から翻訳者を意識していたからか。
 ところが再読しようにも地域の図書館にはどこにもなく、あるのは国会図書館だけ。いつか行こうと思いながら数年が過ぎ、一昨日、ようやく読めました。
 ああ、こういう本だったんだと、改めて楽しみました。二人の高校生が、あてずっぽうに電話をかけてなるべく長く会話を続けるという退屈しのぎの遊びでおじいさんと出会い、交流するようになる話です。あたりまえに両親がいるのではない家庭環境や一人住まいの老人が描かれていて、古い部分もありますが1968年に書かれた本とは思えない新しさもあり、米国のヤングアダルトの歴史を感じました。

 10代の読者に、「中高校生ならこれも楽しめるよ」と一般読者対象の文学を勧めることもできますが、背伸びは必要だけど、そんなに急がなくてもいいのになとも思います。
 いいヤングアダルト文学は、いつまでも子どもがいいよねということだけではなくて、大人もきちんと描いて、大人になってこれからも続く人生に踏み出すことをそっと後押ししてくれるものだから。
 10代だからこそ心に残る体験を持てる本がまだまだあるんじゃないかな、そういう本を、もっともっと紹介していきたいなと思うのです。

2017年2月5日日曜日

子どもによりそって60年 西野さんのこと



 調布のたづくりで開催されていた「子どもによりそって60年 西野みのりがのこしたもの」を、先週の木曜日に見てきました。

 西野さんと出会ったのは、1996、7年ごろ。子どもの本の翻訳を始めて、もっと学びたい、仲間がほしいと私がもがいているときでした。「調布の図書館をもっともっとよくする会」が、調布の中央図書館の民営化反対運動のために作っていたチラシの中で、「調布子どもの文化ねっとわーく やかまし村」という、子どもと本に関係する人たちの集まりがあるのを知って、たずねてみたのがきっかけです。
 深大寺のたんぽぽ文庫のご夫婦を中心に、市内で文庫をしている方、学校や児童館で読み聞かせをしている方などが集まった「やかまし村」のメンバーのなかに、西野さんがいらっしゃいました。
 
 小学校教員として定年まで勤め上げたあと、語りや読み聞かせ、絵本づくり、自然観察など、毎日精力的に動いていらっしゃる方でしたが、おいくつになっても好奇心旺盛で、おしゃべりをすると、「そう、すてきすてき」と、しきりに感心しながら聞いてくださるのでした。
 一昨年の11月に亡くなられたというのを聞いたとき、享年84歳とうかがって、私の両親よりも1つお年が上だったというのを初めて知りました。まるで仲間のように接してくださっていた西野さんが、自分の親よりも年上だったとは。

「かにかに、こそこそ」や「番ねずみのヤカちゃん」など、アルトの静かな声で楽しげに語る西野さんの語りは絶品でした。

 やかまし村は、数年前に解散になりましたが、最後の数年、「秋の遠足」を実施していました。Nさんと私が担当で、上野の国際子ども図書館、鎌倉、三鷹の星と森と絵本の家、ちひろ美術館など、子どもや本とゆかりの場所を訪ねましたが、普段早起きらしい西野さんが、11時半ごろになると必ず「おなかがすいた」というので、昼食をとれる場所があるか、おやつを食べる場所があるかと、下調べに苦心したのがなつかしい。

 最後にお会いしたのは、2012年に調布の西部公民館の絵本と童話の会でスペインの絵本の話をと呼んでくださったときでしょうか。やかまし村や西野さんを通して、多くの人に出会いました。
 今回会場では、やかまし村のメンバーのなつかしい人たちにも会って、思い出話に花が咲き、ご縁のありがたさを痛感してきました。
(西野さん、すてきねぇと言ってくれるかな)と、訳書を出すたびにこれからも私は思い続けることでしょう。
 
 




2017年1月30日月曜日

2016年度 授業最終日



 今日で今年度の大学の授業がすべて終了。
 成績をつけ終わり、来年度のシラバスの準備もできたし、ようやくホッと一息ついています。

 お疲れ様ということで、PAULのタルトを買って帰り、家でお茶にしました。
 こないだ実家で見るともなく見ていたテレビで、ある喫茶店のマスターが説明していたとおりにやるようになってから、自分の淹れるコーヒーがおいしくなりました。お湯を注ぐ位置とタイミングを変えただけで、こんなに違うとは。何ごともプロはすごい。
 
 3月20日ごろまでもう予定は満杯とはいえ、春休みが始まる前日はうれしいものです。
 明日ははやく目が覚めそう。

2017年1月10日火曜日

『ちっちゃいさん』絵本屋さん大賞2016で24位入賞!


先月末に発売になった月刊MOE2月号で発表されたMOE絵本屋さん大賞2016で、イソール作『ちっちゃいさん』(講談社)が24位に入りました。
 30位までに翻訳ものは6点のみ。1年間に刊行されている絵本の数を思うと大健闘です。

 『ちっちゃいさん』は64ページというボリュームも手伝ってか、「大人向け?」とたずねられることが多いのですが、これを機に、ぜひとも少しおねえちゃん、おにいちゃんになったお子さんと読んでくれる人がふえるといいなと思っています。

 保育園で働いている友人からは、次のような感想が届いています。
 保育園の5歳児に読み聞かせしたところ、今まで読み始めるとすぐ「この本つまんな~い!」なんて言っていた女の子が最後まで食い入るように挿絵を追い、時には笑いながら時には質疑応答しながら、とても真剣に聞いてくれました。その後、5回ほど子どもからリクエストがあり!(こんなこと初めてなの)読んでいます。感謝しています。
 
 子ども達によんだら、「かわいい」「ウンウン……」
 。共感できるユーモアあふれる内容ですね。
 ほらね、子どもたちもこんなに楽しんでくれるのです!

 保育園で、幼稚園で、小学校で、子どもたちとぜひ。
 下のお子さんができたとき、上のお子さんと読むのもおススメです。

 『ちっちゃいさん』で、子どもたちもしあわせになってくれますように!

2017年1月3日火曜日

2017年

元旦に調布の家からのぞんだ富士山

 ここ数年は、毎年年始は私の実家に両親、姉一家、私の家族が集まり、とりたててごちそうはなくても、それだけで「またみんなで会えたなあ」という充足感があるのですが、今年は集まったものの、気持ちが晴れずにいます。

 というのも、ここ数か月で私の両親の衰えが激しくなってきたからです。昨年の頭ごろから、父の歩行がかなり怪しくなってきて、ときどき孫の顔もわからなくなるようになり、どうしようと思っていたら、今度は、父につきあって、一日何もせずに家にこもるようになってしまった母が、あれよあれよという間に衰えてきました。
 母に、「あなたのうちは、子どもは男の子ばっかりだったっけ?」と言われたり、「大学に行かない日は何しているの? 翻訳? 何語の?」などと問われたりして、呆然としています。
 何十回となく同じことを嘆かれたり、同じことを繰り返し聞かれたりするので、悲しいし、気持ちがどんどん落ちこんできます。

 認知症という言葉は知っていても、実際に自分の家族がそうなったときに、どんな心持ちになるか、まったく想像が働いていなかったのがよくわかりました。
 
 逃げずに向き合うしかないですね。まあ、なるようになるでしょう。

 翻訳ではやりたいことがたくさんあるし、がんばろう。
 今年もよろしくお願いします。

近所の骨董品屋さんで