2017年9月1日金曜日

ルベンとクリスティーナ

バルセロナの日々(20)


1999年9月12日 やっと3人を大聖堂に連れていった

 サルダニョーラに着いた翌日から、天気が許せば子どもたちを外で遊ばせるようになった。日本でも戸外でたくさん遊んできた三人だ。退屈しのぎにプレステやゲームボーイを持参してはいたが、そればかりになりたくなかったし、早く現地の友達をつくってほしかった。
 一番手近なのが、アパートのすぐ横の遊び場だ。ブランコと滑り台があるし、となりのアパートの外壁をゴールにしてサッカーをしている男の子がたいていいる。夕方になると遊んでいる子を見守りながらおしゃべりをする母親たちで、ベンチはすずなりになった。
 けれども、外に連れだしても、現地の子とすぐに遊びだせるものではかった。促しても、当人たちは尻込みするばかり。第一、顔形がまるで違う。それに、何を言われてもわからないし、何を言っても通じやしないのだ。二、三歳の子どもなら、言葉など関係なく遊びだせたかもしれないが、タイシですらそういう乳児期は通り越しつつあった。
「借りてきたねこ」とは、こういう状態を言うのだろうか。どことなく遠慮がちに三人かたまり、発散しきれないまま、じきにつまらないことでけんかを始める。スペインの子は人なつっこいというコメントを本で見かけることがあるがどうなのだろう。見ず知らずの相手を警戒するのは、どこも同じだった。

 ところが、中には積極的な子もいるものだ。空手を習っているという六年生のルベンくん。私たちが外に出るようになって一週間もたたないある日、近づいてきて自己紹介をしたかと思うと、翌日からアパートの入り口付近で三人を待ちうけ、遊びにさそうようになった。
 ほどなく、ルベンくんは誕生会にケンシを招待し、おかあさんのアナマリアに私をひきあわせた。いわば親公認の仲だ。こうして、四年生の妹のクリスティーナちゃんと二人で頻繁にアパートをたずねてくるようになった。アナマリアには、父親不在の家庭同士の気安さがあったのか。アナマリアはシングルマザーで、ルべンくんのおとうさんはマドリードにいた。おかあさんが仕事から帰るのは十時すぎ。だから、ケンシたちと遊ぶ時間は、子守のおばさんが世話をしていた。

 ルベンくんと言えば、一番に思い出す遊びが「かくれんぼ」だ。窓のシャッターをおろした真っ暗やみの寝室で、鬼が手探りで、隠れた子をさがす。いつ何を触るか、触られるかわからないのでスリル満点。びっくりしてひっぱたいてけんかになったり、クローゼットに隠れて背板をはずしたり、あわてて力まかせに押して電気のスイッチを壊したり、エスカレートすると少々危険だが、子どもたちが実に生き生きとする遊びだった。

 気温が下がってきた頃のことだ。思いがけない問題が発生した。我が家の室内は土足禁止だったのだが、ある日、玄関で靴を脱いだクリスティーナちゃんが、「あたしの足、すごく臭いの。匂ったらあたしだからね」と宣言した。気づくと、それまで素足にサンダルばきだったルベンくんたちが、靴下と靴をはくようになっていた。
 絶句した。あとでしばらく換気をしても、夜、帰宅したハルちゃんが、「今日、ルベンくん来たでしょう」と言い当てるほどの臭気をルベンくんたちはふりまいた。

 子どもの靴に対する意識が違うのだというのに気づいたのは、しばらくしてからだった。子ども靴の店で、三歳くらいの子に試着させた靴のひものしまり具合を、母親が熱心にチェックしている。「ははあ」と思った。日本の場合、家でも学校でも、一日何回も靴を履きなおすから、「着脱しやすい」が子どもの靴の第一条件だ。だが、あちらは脱げないことが大切なのだ。朝、身支度をしたら、家に帰るまでゆるんではならない。人前で脱ぐのはプールの着替えのときくらいのもの。それ以外はびしっと履かせておくのだから、むれるわけだ。それに、入浴せず、毎日シャワーですませているなら、子どものことだから、足の指のあいだなどいいかげんにしか洗っていなかったのかもしれない。

 子ども同士、よく衝突もしていた。うまく口で表現できないアキコやタイシがいきなり暴力をふるったり、ノーと言えずにケンシがむっつり黙りこんでしまったり。せっかく遊び始めても、お互いいやな思いをするだけの日もあった。でも、何があっても懲りずに遊びにき続けてくれたルベンくんとクリスティーナちゃんは貴重な存在だった。子どもの話し言葉や立ち居振舞いなど、私も彼らからはたっぷり学ばせてもらった。
 なのに、思い出すたび、足の匂いも一緒に思い起こしてしまうというのは、本当に申し訳ない。



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