2015年11月19日木曜日

荷物が着いた!

バルセロナの日々(12)


 どうやって身の回りの品をスペインまで持っていくかは、悩みの種だった。
 ハルちゃんに荷物をどうしたか聞くと、彼女は、エアメイルと船便でダンボールをいくつか送っただけだったらしい。
 試しに運送会社にきいてみると、海外への引っ越しは通関手続きがこみいっていて、運送料が思ったよりかかることがわかった。その上、荷物を、入国後すぐと受け取るわけにいかないらしい。国境を越えるというのは、何につけ面倒なことだ。
 迷った末、郵便で送ることにした。最大の理由は、持っていくうちでいちばん大きな電化製品であるプリンターを、入国後すぐに使いたかったからだ。コスト的にも、全部EMSで送っても運送会社を使うより安かった。
 テレビと電子レンジとアイロンだけは、スペインに着いて買おうと決めた。テレビは信号方式が違うので日本の規格では使えないし、消費電力の高い家電に対応する変圧器は、高価だしかさばるので、2年だけのことに買う気になれなかった。
 よって、電化製品で持っていくのは、ビデオ(日本・スペイン両方式対応のもの)、ラジカセ(音楽は私の必需品)、プレーステーションとプリンターだけ。炊飯器もやめた。2年だけのために、ヨーロッパ規格の炊飯器を買いたくなかった。ご飯炊きは、中学校の家庭科で、文化鍋で叩き込まれたので自信があった。
 着るあてがなさそうなスーツやよそいきは置いていき、衣類も極力しぼった結果、できたダンボールは8個。そのうち1つは、すぐには手に入りそうにない日本食材。これらをEMSで送ったあと、別口で、私の辞書、参考書類と、厳選した子どもたちの絵本を、書籍小包で出した。

 到着の翌日、日本領事館に在留届を出しに行って帰ってみると、ポストに郵便局の通知が入っていた。日本からEMSで送ったダンボール8箱の引っ越し荷物の配達の不在連絡票だった。「翌日午前中に、もう一度配達をします」とある。早々と荷物を受け取れそうで、ほっとした。
 ところが、翌日、待てど暮らせど荷物が来ない。しびれをきらして、アパートの入り口の郵便受けを見におりてみると、2度目の不在配達票が入っていた。「2度目の配達をしたがいないので、2週間以内に郵便局にとりにきてください」とある。
 ええーっ! そんな殺生な!
 あんな荷物、運べるわけがない。それに、ずっと、呼び鈴が一番聞こえやすい居間にいたのに、気づかなかったなんてことがあるだろうか。ひょっとして、8箱の荷物をドア口まで運ぶのが面倒だから、最初から呼び鈴を鳴らさず、不在通知を入れたんじゃないの? まさかねえ。
 青くなって、私は郵便局に駆けこんだ。サルダニョーラの郵便局は、家から歩いて15分ほどのところにあった。
 窓口で、私は必死でくいさがった。
「昨日の通知をもらっていたから待っていたのに、呼び鈴は鳴りませんでした。私は9時からずっと部屋で待っていたのだから、聞き逃すわけがありません。もう一度配達してもらえませんか」
「2度目の通知が入っていたなら、配達したはずよ。それに、配達員が何時に帰るかわからない。一時半までに戻ってこなかったら、局の窓口は閉めてしまうからどうしようもないわ」
「でも、中には子どもたちが楽しみにしてたものも入っているんです。昨日の通知を見て今日は着くと待っていたのに。取りにくるっていっても、タクシーでも呼んでこないといけないし」。
「車はないの」
「ありません」
 黒いショートヘアーにめがねの女性局員は、ちょっと気の毒そうな顔をしてから、奥に入り、改めて出てくると言った。
「ともかく、配達の車が帰ってきたら、運べるかどうかきいてみるわ」
 家に帰って待つこと30分。もう、どうしてこんなことになるよッ! ああ、持ってきてくれなかったらどうしよう。あれこれ考えていると電話が鳴った。午後1時25分だった。
「今から届けにいくわね」
 よかったあ。
 私は子どもといっしょに、アパートの入り口に降りた。郵便局の黄色いワゴンがやってくる。配達員の人が、さっきのめがねの女性局員といっしょに、見覚えのあるダンボールをおろして台車にのせた。ちょっと強引だったかなあと思ったけれど、配達員の人がそんなに不機嫌でもなかったのでほっとした。その後、このめがねの女性局員とは、日本からの荷物がくるたびに局で顔を合わせ、すっかり顔なじみになった。
 アパートの入口の4、5段の階段をあがるときやエレベーターにのせるときは、同じアパートに住む中学生のアルバロくんとクリスティアンくんも手をかしてくれた。
 手がたくさんあったので、荷物はあっという間に運びあげられた。
 玄関に置いていかれた荷物を見ながら、言ってみるものだなあと思った。黙っていたら、たいへんなことになっていた。
 ビギナーズラックというべきか、結果オーライだったこの事件は、これからのスペイン人とのつきあいを象徴する出来事だった。なぜなら、買い物でもちょっとした修繕の依頼でも、スペインでは、苦情を言わねばならない場面にしょっちゅう出くわすからだ。交渉するなら、理屈を通して、ねばり強く説得しないといけない。私の場合、苦情を言うエネルギーがなくて、泣き寝入りするときもあった。今回のように、個人の裁量で融通をきかせてもらっていい結果に終わることがある一方で、マニュアルがあればありえない水準の低いサービスに泣かされることもあった。
 これを不快と思う人は、スペインでの生活は耐えられないだろう。時に憤慨しながらも、私はむしろこういうきちんとなっていない部分が、社会生活に余裕を生み出しているように感じられ、それほど悪い印象を持たなかった。失敗すれば無駄が出るし、効率も悪い。でも、それを包みこんでまわっている社会のほうが、ずっと人間的な気がする。日本のビジネスマンが、スペインに来ると苦労するわけだ。
 こんな洗礼の末に、到着3日目にして日本から持参した身の回りの細々とした品がそろった。アパートは、着々と我が家らしくなっていった。

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