2016年8月23日火曜日

言語文学教育課程大学院

バルセロナの日々(18)

 9月に到着後、カタランの授業が始まると同時にコロメール教授の属する教育学部言語文学教育過程大学院の事務室に寄った。スケジュールを確認すると、授業が始まるのは10月半ばだが、その前にガイダンスがあり、そのあとで正式な登録手続きをすることになるらしい。
  10月11日午後6時。ガイダンスの部屋に入った私は、真っ先に「ほんとだ!」と思った。スペインの大学院は、社会人が仕事の傍ら学びにくるところだときいていたが、本当だったからだ。私より長男に年が近い、カタランクラスの若者たちとは明らかに雰囲気が違う。正直ほっとした。
 でも、部屋にいる人たちは、まるで数年来の友人同志のようにすでに話の花を咲かせている。あいた席に座り、置いてあった書類を見ながらようすをうかがっていた私は、あれっと思った。カタランにまじって、今まで聞いたことのない響きのスペイン語が聞こえてくる。そういえば、顔つきがどことなくスペイン人と違っている人たちがちらほらいる。
 そのうち、「どちらから?」と聞かれ、「日本から、あなたは?」「メキシコだよ」と会話が始まった。
 その年、言語文学教育過程には5人のメキシコ人が加わった。毎年中南米の留学生は受け入れていたが、カタラン勢7人に対して、スペイン語を母語とするメキシコ勢5人、そして、私というのは、かなり異例の構成だったようだ。おかげで私は、ほとんどが現場の教師である忙しいカタラン人の同僚よりも、故郷を離れて勉強しに来ている、同じサルダニョーラ住まいのメキシコ人留学生に、よく助けてもらうことになった。

 さて、「大学院」と、ここまで当たり前のように書いてきたが、私が大学院の呼んできたのは、ドクトラードdoctoradoのことだ。バルセロナ自治大学の場合、各学部の学科ごとにドクトラードが開設されている。つまり、私が在籍していたのは教育学部言語文学教育過程ドクトラードだけれど、教育学部でも、ほかに自然科学教育、社会科学教育など、学科ごとにドクトラードがあった。ドクトラードは、大学卒業相当の学位があれば進学でき、そこで、一定の授業単位をとり、最初の論文が審査に通るとマスター(修士)の学位がもらえる。マスター取得後研究者能力試験に合格すると、博士論文を書く資格が与えられる。博士論文の審査に通ると、晴れてドクター(博士)の学位がもらえるという仕組みだ。
 ガイダンスでは、年間スケジュールと授業内容説明の資料が配られた。私たちのドクトラードの講義開始は10月19日。講義は毎週火曜日と木曜日の3時半から6時と、6時から8時半の時間帯で組まれている。10月から2月半ばまでが前期、2月半ばから5月までが後期で、前期だけですむ講義もあれば、両方にまたがった講義もあった。
 修士論文を書くには、20単位の授業をまずとらないといけないので、2年間で修士まで終わらせたい私は、1年目で20単位分、つまり7コマの授業をとらなければならない計算だ。結局私は、前期に3コマ、後期に翻訳学部の1コマを含む4コマをとることにした。前期の1コマは2月にある集中講義だから、10月に始まるのは2コマだけ。カタランの進み具合から考えても、それが一番無理のないスケジュールだった。

 勉強もさることながら、留学の1年目は手続きもややこしかった。7月の下見の際、必要な書類はないかと事務局にたずねたときには、特にない、と言われたのに、9月に行ってみると、正式な手続きの際に、大学の成績証明書がいると言われた。
 ないものは仕方がないので、大急ぎで父にたのみこんでとりよせ、その書類にアポスティーユ認証をとって送ってもらった。この認証がないと、海外では正式な書類として認定してもらえないからだ。さらに、届いた書類は翻訳をして、領事館で翻訳証明をもらわなければ、大学に出す正式な書類にならない。
 けれども、超特急で準備しても、手続きの期日にこの書類だけ間に合いそうにない。ここまできて、書類がそろわなくて大学院に行けなくなったらどうしよう。真っ青になって、学科のコーディネーターの教授に相談した。すると、こういうところがスペインだ。教授が大学院事務局にかけあうと、あとから提出でかまわないと、あっけなく返事がきた。
 間に合うかどうかと、毎日ドキドキしていたのはなんだったのだろう。ここでは何事も言ってみるものなのだ。
 しかも、慣れない手続きは、戸惑うことの連続だった。

 たとえば写真。スペインでは手続きというと、たいがい証明写真が必要になる。準備書類の欄には、「証明書用写真」という言い方をしているのだけれど、最初はそれが何かわからなかった。日本なら、3センチ×4センチの写真というような言い方をしているから、「どのくらいの大きさですか?」とたずねても、いっこうに要領を得ない。それもそのはず。証明写真というのは、DNIなどと呼ばれている身分証明書を初め証明書類全般に使われるもので、証明写真と言えばサイズはひとつしかない。だから、だれもサイズなど測らないし、どこの写真屋でも言えばわかるのだった。。
 大学の卒業証明書、つまり学位証明書もややこしかった。私の場合「文学士」なので、教育学部の大学院に入るには、文学部の学部長に学位流用認定のはんこをついてもらってこなければならないと言われた。「手続き上のことだから、問題ないわよ」と、コーディネーターの教授は言ってくれたけれど、どこに行けばいいかまで教えてくれるわけではない。ただでさえ不案内な大学の中で、文学部に行って、あちこちでたずねながらようやく事務局を探しあてて手続きを頼むだけで、結局半日つぶれてしまった。
 そんなこんなで、10月末、授業の登録が無事終わって学生証を手にしたときは、とにもかくにもホッとした。2005年7月まで有効の学生証。
 やっと正式にバルセロナ自治大学大学院の学生になれたという実感がわいてきた。

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