2015年7月3日金曜日

翻訳は難しい

昨夜は、セルバンテス文化センターで、柳原孝敦さんの講演「翻訳は難しい」を聞いてきました。

先日、私自身も、3名の児童文学翻訳者とのイベントをジュンク堂池袋本店でしましたが、翻訳の話というと、自分でもよく足を運びます。最近では、〈ことばの魔術師 翻訳家・東江一紀の世界〉のトークイベントや、ラカグであった、酒井順子×中島京子×鴻巣友季子「すべての女はスカーレット・オハラである~『風と共に去りぬ』に愛あるツッコミを入れる~」 も行ってきました。

柳原さんのお話も、例にもれずおもしろく聞きました。
セサル・アイラのCómo me hice monjaのことも、¿Querés c...? のことも、La Nación の記事のタイトルや最後の呼びかけのこと、ボラーニョの通話のbueno・・・

そういった微細な事柄をどう日本語にしていくかという話を聞いて、やはり翻訳家というのは、日本語力が必要なんだなと思った方も多いと思いますが、私は同時に、前提になっているのは外国語の読解力だな~、と思いました。

小説家は、物語の中のちょっとした言葉にも、何かのニュアンスや示唆、時代の空気や人物像の雰囲気などを負わせていますが、ひととおり文法を終えただけの読解力だと、なかなかそういった個性までたどりつけません。読書の経験値が必要です。
翻訳の過程で、よくネイティブに確認することがありますが、その疑問が、「単純に自分がスペイン語をわかっていないのか、それとも、この作家のスタイルの問題か、はたまた、この登場人物の発話ゆえか」が、大いに問題であることもしばしば。
読みによって、翻訳者は鍛えられます。
意識的な読書は、翻訳者にとって筋トレですね。だからといって、読書の愉しみが減るわけではなく、「そうか!」と気づいて、ひとりニンマリしながらのトレーニングです。

最終的には、翻訳者の裁量で日本語となって伝えられていくのが、おもしろくもあり、おそろしくもあり。
柳原さんのお話は、学者としてのアプローチに加え、多数の翻訳の経験からくる、やや職人的な実感もこもっているようで、興味深かったです。

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