いや、むしろ最初は、「連れてっちゃえ」というよりも、「連れていくっていうのも、もしかしてありかな?」くらいの気持ちだった。
そう思い至ったのには、実は現実的な理由があった。
いくらかまとまった自己資金があったのだ。結婚前にためたお金をつっこんであった10年満期養老保険が、その年の春に満期になっていた。何か大事なことに使おうと思っていたお金。1年間(この時点では、留学は1年のつもりだった)子どもと留学できるくらいの額はあった。お金の工面に奔走しなくていいのは、大きな強みだった。
けれども、本当に子どもを連れていってよいものだろうか。
幼い頃の海外経験は、きっとかけがえのないものになる。翌年から1年連れていったとしても、帰ってきたとき上の子は小学校5年生。中学受験の予定もなし、勉強はなんとかなるだろう。けっしてマイナスにはならないはず。
でも、そんなにうまくいくものだろうか。都合よく考えすぎてはいまいか。3人とも、スペイン語はおろか、外国が何かすらわかっていない。どのくらいで話せるようになるのだろう。言葉がわからないのはきついだろう。友だちと別れさせるのもつらい。母親の身勝手で、子どもたちによけいな努力を強いてよいのだろうか。
そんな迷いの真っ只中で出会ったのが、次の文章だった。
須賀さんが私の目をのぞきこんで、いつにない語気でいったのを思い出す。「あなたみたいな人は一度は外に出るべきよ。子どもたちも少し大きくなったら、 じゃなければ三人連れてってもいいじゃない。どうにかならないの」(『追悼特集須賀敦子 霧のむこうに』(河出書房新社)所収 森まゆみ「心に伽藍を建てたひと」より)タイトルからして「これは!」と思った。
須賀さんの『ヴェネツィアの宿』という本の中に、「大聖堂まで」という章がある。そこで須賀さんは、大学院の女ともだちとの議論はほとんどいつも「女が女らしさや人格を犠牲にしないで学問をつづけていくには、あるいは結婚だけを目標にしないで社会で生きていくには、いったいどうすればいいのか」ということに行きついたと回想し、さらに、そのころ読んだ「自分がカテドラルを建てる人間にならなければ、意味がない。できあがったカテドラルのなかに、ぬくぬくと自分の席を得ようとする人間になってはだめだ」というサン=テグジュペリの文章に揺り動かされたと綴っている。須賀さんの文章の中でも一番好きで、何度も何度も読み返してきた箇所だった。
そこに持ってきて、「いつにない語気で」だ!
自分が「あなたみたいな人」にあたると思ったわけではない。けれど、外国に住むのに、3人の子を連れていくという選択肢もある、少なくとも子どもにとって悪いことでない、と肩を叩かれた気がした。
よし、もう子どものことで迷うまい。子どもたちにも得るものがあると信じて連れていこう。
私は本腰を入れて、スペインに行けるかどうかを調べ始めた。
0 件のコメント:
コメントを投稿