訳者の言いわけ
―スペイン語翻訳者 宇野和美のページ―
2026年5月24日日曜日
カルラ・タボラ、ロサナ・ファリア作『ガウディ わすれられない夏』
2026年3月20日金曜日
紙に書く
昨年8月、豊﨑由美さんの「よんとも」に呼んでいただいたとき、「どうやって文章修行をしたのか」と尋ねられた。「どうやって?」と、そのときは首を傾げたのだけれど、あとになって、もしかしたら小学4年生から20年近くつけていた日記のおかげだろうかと思い当たった。
書きはじめたのは宿題だったからだ。担任のO先生がきれいな朱筆でコメントを書いてくれるのに励まされて、その日やったことや思ったことをせっせと書いた。学期途中の転校で、遊ぶ友だちがほとんどいなかったのも手伝っていたのかもしれない。6年生になって担任が変わり、宿題ではなくなってからも書き続けた。
最初の頃は日記帳を使っていたけれど、中学生になったくらいからは、文房具屋さんで選んだ大学ノートに書いていた。鉛筆、ボールペン、万年筆……、筆記具はさまざまだった。
その日あったこと、思ったこと、感じたことなどを書きつらねる。大半は、友だちとも家族とも話さないようなことだ。紙に書くから、ワープロやパソコンのようにあとから大幅には直せない。一発勝負で、あとから読んだときに自分がわかるように綴って、毎日自分と向き合っていたのだろう。思うように書けたり、書けなかったり。反芻するように、あるいは傷をなめるように、何度も読み返すこともあった。
考えてみると、私が物語に求めているのは、日常生活やメディアに飛び交うような言葉ではなくて、自分が日記にしたためていた、決して表には出さない言葉と関係しているのかもしれない。その物語がなければ思い至ることのなかった何か、普段は触れることのない深い何か。
「手で紙に書く」ことを改めて考えさせられたのは、ハン・ガン『光と糸』(河出書房新社)で、子どもの頃の手書きの詩集から自分を発見するというエピソードを読んだからだ。紙だから残るものがある。手書きの文字が記憶につながる。
SNSやブログに書いたことは、AIで加工されるかインターネットの塵と化すのがおちだけれど、紙に書かれたものは厳然としてそこにある。もうこれからは『アンネの日記』のような本は、出てこないかもしれない。マンガが縦スクロールで変わるように、道具で表現も変わる。絵本の絵だって、フォトショップでしばしばノイズが取り去られる。紙とヴァーチャルで、記憶の形も変わっていくのだろう。
そんな私も、自分だけの部屋を持てなかった年月の間に日記を書く習慣を失ってしまった。いまかろうじてつけているのは10年メモ。1日ほんの4、5行の、ほとんどはその日に何をしたかの記録だけれど、スクロールしないで自分の日々を追える。翻訳や仕事にパソコンは必須だけれど、ペンを持てる限り「紙に書く」ことは手放さずにいたい。
2026年1月31日土曜日
通信添削の講師を引退しました
長年お世話になってきた通信添削講座を、2025年末で引退させていただきました。「童話で学ぶスペイン語」講座を別の講師から引き継いで以来20年余り、「児童文学翻訳」「物語を読もう」を開講させていただき、みなさまと共に30冊以上の本を読んできました。読み終えたあと、「次の本も」と継続受講していただけるのが大きな励みでした。答案に添えられたお手紙やコメントもうれしく、何歳になっても読解力は伸びると、実感したものでした。不明な点を残さず的確に説明できるようにと、辞書や文法書を調べることが、私にとってもかけがえのない学びとなりました。語学学習において実用的なスキルがもてはやされる昨今ですが、普段日本語で伝えられる情報では知り得ない、スペイン語圏の人々の歴史や文化や暮らし、論理やメンタリティーにじっくり触れることができるのは、文学を読む醍醐味だと思います。講座が終わっても、文学を読み続けていただければ何よりです。受講してくださったみなさまとイスパニカのみなさまに、心より感謝申し上げます。翻訳作品で、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
2025年11月21日金曜日
グアダルーペ・ネッテル『一人娘』
わたし(ラウラ)とアリナは親友で、20代のころはお互いに「子どもは産まない」と誓い合った仲だった。その意志をかたくなに貫くラウラとは裏腹に、アリナは結婚し、やがて子ども(イネス)を身ごもる。そんななか、ラウラの暮らすアパートのベランダでは鳩が巣を作り、やがてラウラはアパートの隣に暮らす母子家庭の男の子ニコラスとだんだん交流を深めていく。やがてイネスが生まれるが、イネスには生まれついて重度の障害があり明日を生きる保証もない状態だった。
イネスの誕生とニコラスとの交流、ベランダに巣を作った鳩……、ラウラの心は揺れ動き、本人がそれまで思いもしなかった自らの気持ちに気づかされていく。イネスの生命や母という宿命、女として生きることの葛藤……。そして、物語は思わぬ形で最後を迎えることになる。(「版元ドットコム」より)
2025年8月21日木曜日
チリの作家マリア・ホセ・フェラーダさん来日イベントを終えて
2025年2月27日木曜日
海の向こうに本を届ける 著作権輸出への道
今月半ばの寒い朝、2月8日に栗田明子さんが亡くなられたという知らせを受けました。
栗田さんは、日本文学の版権輸出の道を拓いたパイオニアです。
縁あって私は、1997年10月ごろから1999年初夏までと、留学をはさんで2003年から2年くらい、栗田さんのアシスタントをしていました。海外からオファーが来たら、その内容を作家や出版社に連絡したり、契約書を作ったり、契約書を送って押印してもらったりという週3日のパートでした。
出産後、文化的刺激がほとんど皆無の毎日を過ごしていたときだったので、海外とつながり、文学の話題が飛び交うなかで働くのは楽しいことでした。
「出版ニュース」への連載のあと本になった『海の向こうに本を届ける』(晶文社、2011)には、驚くような冒険の数々が綴られています。大胆で、思い切りがよく、明るく、たくましく、すごいなあとため息が出ることばかりです。なかには、私がリアルタイムで見ていたこともあって、あのとき栗田さんは、こんなことに挑戦なさっていたのか、とドキドキします。
情熱、言い訳をせず、驕ることも卑下することもなく、正直に人と向き合うことが仕事のうえで大切だということは、栗田さんの仕事ぶりから学んだことかなと思います。
引退されて、芦屋に移られてから2度ほど訪ねましたが、2019年9月、芦屋文学サロン「小川洋子の世界を語る」に小川洋子さんとともに登壇されたときにお話を聞いたのが最後になりました。
静かに逝かれたとのこと。どうぞ安らかに、とお祈りします。
2025年1月25日土曜日
『この銃弾を忘れない』











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