長年お世話になってきた通信添削講座を、2025年末で引退させていただきました。「童話で学ぶスペイン語」講座を別の講師から引き継いで以来20年余り、「児童文学翻訳」「物語を読もう」を開講させていただき、みなさまと共に30冊以上の本を読んできました。読み終えたあと、「次の本も」と継続受講していただけるのが大きな励みでした。答案に添えられたお手紙やコメントもうれしく、何歳になっても読解力は伸びると、実感したものでした。不明な点を残さず的確に説明できるようにと、辞書や文法書を調べることが、私にとってもかけがえのない学びとなりました。語学学習において実用的なスキルがもてはやされる昨今ですが、普段日本語で伝えられる情報では知り得ない、スペイン語圏の人々の歴史や文化や暮らし、論理やメンタリティーにじっくり触れることができるのは、文学を読む醍醐味だと思います。講座が終わっても、文学を読み続けていただければ何よりです。受講してくださったみなさまとイスパニカのみなさまに、心より感謝申し上げます。翻訳作品で、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
訳者の言いわけ
―スペイン語翻訳者 宇野和美のページ―
2026年1月31日土曜日
通信添削の講師を引退しました
2025年11月21日金曜日
グアダルーペ・ネッテル『一人娘』
わたし(ラウラ)とアリナは親友で、20代のころはお互いに「子どもは産まない」と誓い合った仲だった。その意志をかたくなに貫くラウラとは裏腹に、アリナは結婚し、やがて子ども(イネス)を身ごもる。そんななか、ラウラの暮らすアパートのベランダでは鳩が巣を作り、やがてラウラはアパートの隣に暮らす母子家庭の男の子ニコラスとだんだん交流を深めていく。やがてイネスが生まれるが、イネスには生まれついて重度の障害があり明日を生きる保証もない状態だった。
イネスの誕生とニコラスとの交流、ベランダに巣を作った鳩……、ラウラの心は揺れ動き、本人がそれまで思いもしなかった自らの気持ちに気づかされていく。イネスの生命や母という宿命、女として生きることの葛藤……。そして、物語は思わぬ形で最後を迎えることになる。(「版元ドットコム」より)
2025年8月21日木曜日
チリの作家マリア・ホセ・フェラーダさん来日イベントを終えて
2025年2月27日木曜日
海の向こうに本を届ける 著作権輸出への道
今月半ばの寒い朝、2月8日に栗田明子さんが亡くなられたという知らせを受けました。
栗田さんは、日本文学の版権輸出の道を拓いたパイオニアです。
縁あって私は、1997年10月ごろから1999年初夏までと、留学をはさんで2003年から2年くらい、栗田さんのアシスタントをしていました。海外からオファーが来たら、その内容を作家や出版社に連絡したり、契約書を作ったり、契約書を送って押印してもらったりという週3日のパートでした。
出産後、文化的刺激がほとんど皆無の毎日を過ごしていたときだったので、海外とつながり、文学の話題が飛び交うなかで働くのは楽しいことでした。
「出版ニュース」への連載のあと本になった『海の向こうに本を届ける』(晶文社、2011)には、驚くような冒険の数々が綴られています。大胆で、思い切りがよく、明るく、たくましく、すごいなあとため息が出ることばかりです。なかには、私がリアルタイムで見ていたこともあって、あのとき栗田さんは、こんなことに挑戦なさっていたのか、とドキドキします。
情熱、言い訳をせず、驕ることも卑下することもなく、正直に人と向き合うことが仕事のうえで大切だということは、栗田さんの仕事ぶりから学んだことかなと思います。
引退されて、芦屋に移られてから2度ほど訪ねましたが、2019年9月、芦屋文学サロン「小川洋子の世界を語る」に小川洋子さんとともに登壇されたときにお話を聞いたのが最後になりました。
静かに逝かれたとのこと。どうぞ安らかに、とお祈りします。
2025年1月25日土曜日
『この銃弾を忘れない』
2024年9月22日日曜日
翻訳特別賞をありがとうございます
このたび、フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』(早川書房)の翻訳で、NPO法人日本翻訳家協会より翻訳特別賞をいただけることになりました。
どうもありがとうございます。
気づくとデビューから25年たっていて、同年代が定年を迎える年廻りなのに、翻訳者としての足場がまだまだ安定していないことに焦りをつのらせていたのは4年前のことです。明日の保証はなく、「もうやーめた」と自分が言えばそれっきりだな、と思っていました。
そんな心持ちが少しずつ変化してきたのは、ここ3年くらいのことでしょうか。賞があってもなくても、できることしかできないし、日々やることは変わらないのだけれど、今回の表彰で、その仕事をやっていていいよ、とさらに肩を押してもらえた気がして、とても励まされました。
それに、多くの友人が自分のことのように喜び祝福してくれたのが殊の外うれしく、幸せをかみしめています。ほんとうにありがとう!
また、この仕事をいただけたのも、ネッテル『赤い魚の夫婦』(現代書館)があってのことでした。ネッテルを出してくれた編集の原島さん、あらためてありがとうございます!
これからも精進し、翻訳していきます。
2024年7月8日月曜日
牧落の市場まで
先日、地元のあるイベントで、ボランティア仲間のMさんと話をしていたら、なんと、小学校の前半をすぐご近所で送り、共通の場所で遊んでいたことがわかりました。
大阪府箕面市の社宅で過ごした数年間。
当時の記憶をたどっていたら、牧落の駅のそばにある市場まで母と買い物にいったときのことがよみがえってきました。
昔ながらの市場は、いろんなお店が入っていて、私が覚えているのは、さまざまな色合いの味噌を山型にとんがらせてしゃもじを刺していた味噌や乾物のお店とか、サマーヤーンなどの手芸用品を売っていたお店、うぐいすもちや草餅や桜餅を売っていた和菓子屋さんなど。
母は、どんなものを買っていたのかな。
市場までの道は影がなくて、夏の日差しの下、「暑いね」と言いながら、手をつないで歩いた覚えがあります。途中に川があったような。
そういえば、歌ったら元気が出るよと言われて、かけあいで歌ったのではなかったか。
なんだったけな、どんな歌だったっけ・・・。すると、歌の最後の部分が浮かんできました。
・・・庭のおいまつ
ググってみると出てきました。
春は緑の においめでたく
夏は木かげに わたるそよかぜ
雪のあしたも 月のゆうべも
ながめゆかしき 庭の老松
渋いけど、美しい! 幼稚園児か小学校低学年だった自分が、こんな歌をうれしそうに母と道々歌っていたとは!
春は、春は・・・、緑の、緑の・・・と、母について歌えばよくて、まちがえずついて歌えると母もにこにこして、うれしかったな。
あの頃、寝たきりの祖母がいたのに、どうして祖母も姉もおいて、2人で出かけられたのかわからないけれど、子どもとたまに買い物に行くのがうれしかったのだろうなと、30代半ばだった若い母を思って、ちょっとうるっとなってしまう。
父はいたけれど、今、私の頭の中では、矢野顕子の「愛について」が鳴りひびいています。
遠い遠い、昔のこと。
Mさん、思い出させてくれてありがとう!










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