2015年10月31日土曜日

東葛飾地区母親読書センター主催講演会のお知らせ

11月18日(水)午前10時半から、下記のとおり、千葉県の柏市で話をすることになりました。
「スペイン語の児童文学と子どもたち」
翻訳をしながら考えたこと

スペイン語圏の子どもの本のこと、私が翻訳にとりくむようになったいきさつ、今思っていることなどなど、お話する予定です。広瀬恒子さんに感謝です。

翻訳デビュー20年の記念の年(!)も、これがしめくくりの話になりそうです。
どなたでも参加できるそうなので、よろしければいらしてください。また、まわりの方にもお知らせいただければうれしいです。お待ちしています。


 






映画『マーシュランド』La isla mínima

ラテンビート映画祭をすっかり見逃し、何かスペイン映画をやっていないかなと、公開中の映画名を見たときも、気づかずに通り過ぎてしまっていたこの映画、長男に「面白いスペイン映画を見た」と言われて、初めてスペイン映画だと気づきました。
なんでも英語名にするのをやめてほしいものです。

原題はLa isla mínima.  セビーリャの南にある、グアダルキビール川のlas maresmas という湿地帯が舞台。「マーシュランド」というのは、湿地帯の意味だそうです。
その湿地帯で、二人の姉妹が行方不明になった事件を捜査にマドリードからやってきた刑事2人。捜査するうちに、二人は遺体で見つかり、事件の捜査が緊迫感を持って描かれています。
そのlas maresmas という土地と、80年代初頭という、フランコ後の民政移行で、大きな価値観の転換の中で揺れている社会が静かに描かれている作品でした。La isla mínima (極小の島)というタイトルは、マーシュランドよりも意味深です。

数週間の公開だけだなんて、実に残念。
11月に神戸、12月に沖縄で公開するようです。

2015年10月27日火曜日

Uvas con queso saben a beso


夏休みに滞在したスペインの家庭で、デザートを何にしようかと話しているとき、「ブドウにしたら? チーズと食べるとおいしいのよ。Uvas con queso saben a beso って言うんだから」とすすめられました。

「チーズといっしょのブドウはキスの味がする」

要するに組み合わせるとそのくらいおいしいという意味だとのこと。でも、生のブドウを???

チーズの店で、レーズンを売っているのは見たことがあるけれど、生のブドウを組み合わせるとは知りませんでした。でも、食べてみると確かにおいしい! 


というわけで、日本でも再現してみようと、やってみました。選んだのは、スペインのブドウのようにちょっと淡い色の甲州。バッチリでした。
お試しあれ!

2015年10月18日日曜日

バルセロナ到着

バルセロナの日々(11) 

到着の日
バルセロナ、プラット空港で
 翌日の朝、ホテルからタクシーでシャルルドゴール空港に向かった。ゆっくりと休んだが、疲れていたのだろう。私のひざにもたれてタイシが途中で眠りこんでしまった。ぶあいそだった黒人の若い運転手さんが、それを見てふっと笑ったのがサイドミラーにうつり、ゆかいな気分になった。
パリからバルセロナのフライトは2時間足らず。日本からのフライトと比べれば、あっという間だ。

「もう飛行機乗らないんだよね」
 着陸したとき、アキコがうれしそうにたずねた。気持ちがよくわかった。
 出口に向かう免税店のあいだの通路までくると、勝手を思い出し、私の足取りも軽くなる。今度はこの子たちもいっしょなんだ。普段着に運動靴、水筒をさげリュックをしょった3人がいとおしい。
 ふいに、ドラゴンズの青い野球帽をかぶった長男ケンシに、バカンス帰りふうのおじさんが声をかけてきた。戸惑いと照れの入りまじった顔で、「なんて言ったの?」といいたげにふりかえるケンシ。「『おう、チャンピオン!』って言ったんだよ。かわいいと思ったんだよ。だいじょうぶ」
 ああ、スペインだなあと思った。通りすがりでも、すっと声をかけてくる人間と人間の距離感。まるで子どもたちへの歓迎の挨拶のように飛び込んできた言葉。アキコは、ピンクのヘアバンドの両側に2,3本ずつ飾りピンをつけてぴっとおでこを出し、ものめずらしげに瞳を輝かせてすたすたと歩き、一番下のタイシは私にべったりとくっついている。
 ほんとにようやくたどりついた。来てしまったんだという実感がわきあがってきた。
 出口ではハルちゃんが待っていてくれた。ハルちゃんは私たちよりひと足先にバルセロナ入りしていた。喜びいっぱいの再会だった。

 電車を乗りついで、サルダニョーラに到着。駅のそばの中華料理屋で奇妙奇天烈な中国料理を食べ、4時半に不動産屋さんに行った。大家さんのマルタはもう来ていた。契約書をひととおり読み合わせて双方でサインをし、1ヶ月分の家賃と1ヶ月分の敷金、1ヶ月分不動産屋さんへ手数料を払ったら手続きは終了。あっけないほど順調だった。
 子どもたちと荷物を見るとマルタは、「車で送ってあげるわ」と申し出てくれた。お言葉に甘えて、スムーズにアパートに到着。
 アパートの入り口で遊んでいた高学年くらいの男の子が、東洋人の一家を目を丸くして見た。中に入ると、子どもたちは大はしゃぎで家中を見てまわった。「広ーい!」と気に入ったようす。4つあるベッドルームの部屋割りをまず決める。
 ハルちゃんに1部屋。私に1部屋。残りのツインとシングルの部屋をどうわりふるかが問題だった。3人とも1人部屋へのあこがれがある。でも、1人で寝ることを考えると、アキコとタイシは尻込みし、1人部屋はケンシのものとなった。
 一休みしてから、食料や野菜、トイレットペーパーやシャンプー、シーツなど、当面必要なものを買いにいった。

2015年10月9日金曜日

いざ出発

バルセロナの日々(10)


 出発は9月6日に決めた。学生ビザの場合、法的には授業の始まる二週間前からでないと入国できない。守らなくてもばれやしなかったのかもしれないが、カタルーニャ語の語学クラスの開始日から逆算すると、一番早いのがこの日だった。
 奨学金の通知を受け取ってからの1ヶ月は慌ただしかった。
 8月中に、学生ビザ(子どもたちは、学生の家族ビザ)の申請をし、航空券の手配をした。ビザをとるには、戸籍謄本をとりよせた上、外務省でアポスチーユ認証というのをもらうなど、思いもよらない手間がかかった。
 心配なのは飛行機だった。大人1人でもしんどい長時間のフライトだ。3人はおとなしくしていてくれるだろうか。しかも、バルセロナに行く直行便はない。正午ごろ成田を発って、12時間のフライトで日本の夜中にヨーロッパに着き、待ち合わせを入れるとそこからさらに4、5時間はかかる計算だ。大丈夫だろうか。3人とも眠りこけてしまったら身動きがとれない。着くとバルセロナは夜だというのに。
 考えた末、トランジットのパリで1泊することにした。そうすれば、一休みして、翌日昼ごろにバルセロナに着き、そのまま家の契約に行ける。
 9月に入ると、いよいよ秒読みに入った。
 ベランダの鉢植えを近所の人にあずけたり、着られなくなった子どもの服を処分したり、冷凍庫の買い置きを片づけたり、身の回りをどんどん軽くしていった。
 毎日ふだんどおりにすごしてきた子どもたちも、夏休みが明けると、担任の先生とクラスメイトから励ましをいただいて送りだされ、ようやく気持ちが切りかわった。
 そして、9月6日。とうとう出発の朝が来た。
 3人の子連れの移動は、どんなに余裕を見ていても時間がおせおせになるものだ。保育園に送っていたころも、「さあ、行くよ」と声をかけてから、3人そろって玄関を出るまで30分かかるのはざらだった。
 前の晩、明け方近くまでかかって準備をしたにもかかわらず、成田に行くこの朝もそうなってしまった。ほとんど駆けるようにして電車にとびのり、新宿でリムジンバス乗り場についたのは発車の5分前。新宿まで送りにきてくれたつれあいと、別れの惜しむひまもなかった。リムジンの席もばらばらになってしまった。
 さらに、新宿を出て30分すぎたころから、タイシとアキコが酔いだした。うかうかしているうちに成田エクスプレスの切符がとれなくなったことが悔やまれた。電車にすべきだったのに。一人旅ならリムジンに乗ると、スペインに行くんだなあという感慨が湧いてくるのに、日本を離れる感傷にひたるどころではない。
 成田空港に着くと、見送りにきてくれた私の両親が待っていた。長旅はあきるだろうと、おもちゃをプレゼントしてくれる。さっきまでの青い顔はどこへやら。タイシとアキコはたちまち元気になった。現金なものだ。忘れないうちにと、私も冷蔵庫からさらえてきた野菜を母に渡した。とことんケチな性分だ。
 荷物をあずけ、喫茶店で人心地ついたとき、孫の写真をパチパチととっていた父が、水のコップを倒した。あっ。とっさにおしぼりでふく母。ニ人ともそわそわしているのがわかった。鼻の奥がツーンとなった。
 ゲートに入るとき、ならんで手をふる、小さな母と帽子をかぶった父に手をふりかえしていると、涙がこぼれてきた。やるといいだしたらきかない、いい年をした強情な娘を心配しながら見送りにきてくれた両親。なんの因果かこんな娘に育って、二人ともどう思っているのだろう。 2年間孫に会わせることもできない。私の涙に、子どもたちはキョトンとしていた。「なんで泣いてるの」と、タイシがたずねた。
 元気でいてね、私、がんばってくるからね、と胸のうちで言った。
 出国審査をぬけて出発ロビーについても、子どもたちはひょうしぬけするほど普段どおりだった。ちょっとしたきっかけですぐふざけだし、ちっとも落ち着かない。飛行機に乗る前にこれだけは言っておこうと思っていたことを、私は伝えることにした。
「ここからは日本じゃないんだよ。あんたたちのパスポートはおかあさんが持ってるから、迷子になったら、会えなくなっちゃうよ。おかあさんのあとをしっかりついてきてよ。それから、自分の持ち物は自分でしっかりと持っててね。置きっぱなしにしたら、すぐなくなっちゃうよ。自分のとなりに置くときも、ぜったい手をはなしちゃだめよ」
 見ているつもりでも3人いると、ときどき一人が意識の外に出てしまうことがある。私は視力にも自信がない。だから、はぐれないように3人が自分から気をつけてほしかった。それに、手荷物のリュックに詰まっているのは、着替え3組とパジャマとお気に入りのおもちゃ、筆箱、色鉛筆、はさみなど最低限の文房具は、最低限の身の回り品だ。バルセロナまで無事持っていってくれないと困る。
 子どもたちははじめての飛行機にまいあがっていた。ベルトをしめると、忙しく前のポケットに入っているものをすべてとり出し、ヘッドホンをはめてみて、テーブルを出し、いすを倒して注意された。
「おかあさん、これ開けていい?」「おかあさん、お菓子だしていい?」「おかあさん!……」「おかあさん!……」
 ああ、やかましい。そういえば、ここ数年で何回か私は飛行機に乗ったけど、そのときはいつも子どもから解放された旅だったんだっけ。でも、今日はみんないっしょ。いつも大人として楽しんでいた空間。子どもたちはまるで異分子だ。
 子どもたちはちょっとおとなしくしていたかと思うと、こぜりあいからけんかをし、ヘッドホンのプラグがへんなふうにはまってしまったの、もらった飲みものをこぼしたの、機内食をめずらしがってつついてみたものの、「おかあさん、これ残していい?」「おかあさん、ケーキだけ食べてもいい?」とほとんど手をつけず、機内が仮眠のために暗くなっても騒ぎ続け、何度もほかの乗客から注意を受けた。
 3人がようやく眠りこんだのは、着陸の2時間前。パリに着いたときには、出したおもちゃや本をかたづけさせるのがこれまたひと苦労だった。