2015年10月9日金曜日

いざ出発

バルセロナの日々(10)


 出発は9月6日に決めた。学生ビザの場合、法的には授業の始まる二週間前からでないと入国できない。守らなくてもばれやしなかったのかもしれないが、カタルーニャ語の語学クラスの開始日から逆算すると、一番早いのがこの日だった。
 奨学金の通知を受け取ってからの1ヶ月は慌ただしかった。
 8月中に、学生ビザ(子どもたちは、学生の家族ビザ)の申請をし、航空券の手配をした。ビザをとるには、戸籍謄本をとりよせた上、外務省でアポスチーユ認証というのをもらうなど、思いもよらない手間がかかった。
 心配なのは飛行機だった。大人1人でもしんどい長時間のフライトだ。3人はおとなしくしていてくれるだろうか。しかも、バルセロナに行く直行便はない。正午ごろ成田を発って、12時間のフライトで日本の夜中にヨーロッパに着き、待ち合わせを入れるとそこからさらに4、5時間はかかる計算だ。大丈夫だろうか。3人とも眠りこけてしまったら身動きがとれない。着くとバルセロナは夜だというのに。
 考えた末、トランジットのパリで1泊することにした。そうすれば、一休みして、翌日昼ごろにバルセロナに着き、そのまま家の契約に行ける。
 9月に入ると、いよいよ秒読みに入った。
 ベランダの鉢植えを近所の人にあずけたり、着られなくなった子どもの服を処分したり、冷凍庫の買い置きを片づけたり、身の回りをどんどん軽くしていった。
 毎日ふだんどおりにすごしてきた子どもたちも、夏休みが明けると、担任の先生とクラスメイトから励ましをいただいて送りだされ、ようやく気持ちが切りかわった。
 そして、9月6日。とうとう出発の朝が来た。
 3人の子連れの移動は、どんなに余裕を見ていても時間がおせおせになるものだ。保育園に送っていたころも、「さあ、行くよ」と声をかけてから、3人そろって玄関を出るまで30分かかるのはざらだった。
 前の晩、明け方近くまでかかって準備をしたにもかかわらず、成田に行くこの朝もそうなってしまった。ほとんど駆けるようにして電車にとびのり、新宿でリムジンバス乗り場についたのは発車の5分前。新宿まで送りにきてくれたつれあいと、別れの惜しむひまもなかった。リムジンの席もばらばらになってしまった。
 さらに、新宿を出て30分すぎたころから、タイシとアキコが酔いだした。うかうかしているうちに成田エクスプレスの切符がとれなくなったことが悔やまれた。電車にすべきだったのに。一人旅ならリムジンに乗ると、スペインに行くんだなあという感慨が湧いてくるのに、日本を離れる感傷にひたるどころではない。
 成田空港に着くと、見送りにきてくれた私の両親が待っていた。長旅はあきるだろうと、おもちゃをプレゼントしてくれる。さっきまでの青い顔はどこへやら。タイシとアキコはたちまち元気になった。現金なものだ。忘れないうちにと、私も冷蔵庫からさらえてきた野菜を母に渡した。とことんケチな性分だ。
 荷物をあずけ、喫茶店で人心地ついたとき、孫の写真をパチパチととっていた父が、水のコップを倒した。あっ。とっさにおしぼりでふく母。ニ人ともそわそわしているのがわかった。鼻の奥がツーンとなった。
 ゲートに入るとき、ならんで手をふる、小さな母と帽子をかぶった父に手をふりかえしていると、涙がこぼれてきた。やるといいだしたらきかない、いい年をした強情な娘を心配しながら見送りにきてくれた両親。なんの因果かこんな娘に育って、二人ともどう思っているのだろう。 2年間孫に会わせることもできない。私の涙に、子どもたちはキョトンとしていた。「なんで泣いてるの」と、タイシがたずねた。
 元気でいてね、私、がんばってくるからね、と胸のうちで言った。
 出国審査をぬけて出発ロビーについても、子どもたちはひょうしぬけするほど普段どおりだった。ちょっとしたきっかけですぐふざけだし、ちっとも落ち着かない。飛行機に乗る前にこれだけは言っておこうと思っていたことを、私は伝えることにした。
「ここからは日本じゃないんだよ。あんたたちのパスポートはおかあさんが持ってるから、迷子になったら、会えなくなっちゃうよ。おかあさんのあとをしっかりついてきてよ。それから、自分の持ち物は自分でしっかりと持っててね。置きっぱなしにしたら、すぐなくなっちゃうよ。自分のとなりに置くときも、ぜったい手をはなしちゃだめよ」
 見ているつもりでも3人いると、ときどき一人が意識の外に出てしまうことがある。私は視力にも自信がない。だから、はぐれないように3人が自分から気をつけてほしかった。それに、手荷物のリュックに詰まっているのは、着替え3組とパジャマとお気に入りのおもちゃ、筆箱、色鉛筆、はさみなど最低限の文房具は、最低限の身の回り品だ。バルセロナまで無事持っていってくれないと困る。
 子どもたちははじめての飛行機にまいあがっていた。ベルトをしめると、忙しく前のポケットに入っているものをすべてとり出し、ヘッドホンをはめてみて、テーブルを出し、いすを倒して注意された。
「おかあさん、これ開けていい?」「おかあさん、お菓子だしていい?」「おかあさん!……」「おかあさん!……」
 ああ、やかましい。そういえば、ここ数年で何回か私は飛行機に乗ったけど、そのときはいつも子どもから解放された旅だったんだっけ。でも、今日はみんないっしょ。いつも大人として楽しんでいた空間。子どもたちはまるで異分子だ。
 子どもたちはちょっとおとなしくしていたかと思うと、こぜりあいからけんかをし、ヘッドホンのプラグがへんなふうにはまってしまったの、もらった飲みものをこぼしたの、機内食をめずらしがってつついてみたものの、「おかあさん、これ残していい?」「おかあさん、ケーキだけ食べてもいい?」とほとんど手をつけず、機内が仮眠のために暗くなっても騒ぎ続け、何度もほかの乗客から注意を受けた。
 3人がようやく眠りこんだのは、着陸の2時間前。パリに着いたときには、出したおもちゃや本をかたづけさせるのがこれまたひと苦労だった。

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