2015年4月18日土曜日

留学してしまえ!

バルセロナの日々(2)

 それにしても、学生や学者でもあるまいし、なんでまた留学しなければならなかったのか。
 一度外国に住んでみたいという気持ちは、さかのぼれば高校時代からあった。けれど、思い切れないまま、大学を出、就職し、結婚し、子どもを持った。あーあ、一生外国暮らしとは縁がないのかと、思ったものだった。
 心の底に押しこめていた日本脱出願望が再燃したのは、長男出産後、本格的に翻訳にとりくみだした頃からだった。やっぱり留学してみたい! 翻訳を一生の仕事にしたいという意志がかたまるにつれ、このままでいいのか、という思いがふくれあがっていった。
 現地の経験がないのは大きなコンプレックスだった。旬の野菜や果物の味、季節ごとの風や光の感じ、町の景観や匂い。そういったことを実感として知らないままの翻訳は、ためらいと不安があった。文字にあらわれない人々の表情や仕草、声の調子など、想像の土台となる体験がほしかった。
 会話ができないのもつらかった。読むのはよくても、話すとなると腰がひけた。翻訳に携わるなら、外国から作家を招いたとき案内できるくらいしゃべれないとなあ、という思いがあった。
 翻訳修行を始めてから、旅行で2回スペインに行きはした。一度目は、末の子がおなかにいた1994年春、翻訳中の作品の著者に会いに。2度目は97年秋、児童図書館とブックフェアを見るため。一度目のとき恩師から、「作家に会ったりしたら、こんなにスペイン語のできない人が自分の作品を訳すのかと、がっかりされますよ」と、さんざんイヤ味を言われた。実際、会話力のなさには、ほとほと泣かされた。
 それに、旅行は所詮旅行だった。留学が無理だからと、子どもの世話を母や家人に頼みこんで駆け足で旅行をしても、できることは限られている。腰をすえて勉強したいという思いがかえってつのった。
 スペインのことをもっと知りたい。スペインの児童文学を理論的に語れるようになりたい。自己流でなく、一度きちんと勉強したい。現地の書店や図書館で本をじっくりとさがしてみたい。スペイン語を話せるようになりたい。
 だけど、どうして留学なんかできるだろう。
 子どもはどうするの? だれが面倒を見る? 
 留学と言うと、まずネックになるのは子どもだった。第一、つれあいがうんと言うわけがない。両親も卒倒ものだ。子どもの友だちの母親たちや近所の人からも、どんなふうに言われるだろう。
 やっぱり、子どもが高校を卒業するくらいまで待つしかないか……。
 でも、行きたいなア。住みたいなア。勉強したいなア。
 留学願望の内圧が、そんなふうに高まりきった1998年夏の終わりか秋のはじめだったろうか。はじけるように、「じゃあ、子どもも連れてっちゃえばいい」という考えがひらめいた。
 そうだよ、連れてっちゃえばいいんだ。どっちみち子育てはほとんど一手に引き受けてるんだもの。日本にいようが、外国にいようが同じじゃないか。小西章子さんが『スペイン子連れ留学』を著されたのは、もう20年以上前のことだ。行けない、行けないと、うじうじうらめしそうにしけた顔をしているくらいなら、いっそ、飛び出してやってみればいい。
 これがすべての始まりだった。

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