2026年5月24日日曜日
カルラ・タボラ、ロサナ・ファリア作『ガウディ わすれられない夏』
2026年3月20日金曜日
紙に書く
昨年8月、豊﨑由美さんの「よんとも」に呼んでいただいたとき、「どうやって文章修行をしたのか」と尋ねられた。「どうやって?」と、そのときは首を傾げたのだけれど、あとになって、もしかしたら小学4年生から20年近くつけていた日記のおかげだろうかと思い当たった。
書きはじめたのは宿題だったからだ。担任のO先生がきれいな朱筆でコメントを書いてくれるのに励まされて、その日やったことや思ったことをせっせと書いた。学期途中の転校で、遊ぶ友だちがほとんどいなかったのも手伝っていたのかもしれない。6年生になって担任が変わり、宿題ではなくなってからも書き続けた。
最初の頃は日記帳を使っていたけれど、中学生になったくらいからは、文房具屋さんで選んだ大学ノートに書いていた。鉛筆、ボールペン、万年筆……、筆記具はさまざまだった。
その日あったこと、思ったこと、感じたことなどを書きつらねる。大半は、友だちとも家族とも話さないようなことだ。紙に書くから、ワープロやパソコンのようにあとから大幅には直せない。一発勝負で、あとから読んだときに自分がわかるように綴って、毎日自分と向き合っていたのだろう。思うように書けたり、書けなかったり。反芻するように、あるいは傷をなめるように、何度も読み返すこともあった。
考えてみると、私が物語に求めているのは、日常生活やメディアに飛び交うような言葉ではなくて、自分が日記にしたためていた、決して表には出さない言葉と関係しているのかもしれない。その物語がなければ思い至ることのなかった何か、普段は触れることのない深い何か。
「手で紙に書く」ことを改めて考えさせられたのは、ハン・ガン『光と糸』(河出書房新社)で、子どもの頃の手書きの詩集から自分を発見するというエピソードを読んだからだ。紙だから残るものがある。手書きの文字が記憶につながる。
SNSやブログに書いたことは、AIで加工されるかインターネットの塵と化すのがおちだけれど、紙に書かれたものは厳然としてそこにある。もうこれからは『アンネの日記』のような本は、出てこないかもしれない。マンガが縦スクロールで変わるように、道具で表現も変わる。絵本の絵だって、フォトショップでしばしばノイズが取り去られる。紙とヴァーチャルで、記憶の形も変わっていくのだろう。
そんな私も、自分だけの部屋を持てなかった年月の間に日記を書く習慣を失ってしまった。いまかろうじてつけているのは10年メモ。1日ほんの4、5行の、ほとんどはその日に何をしたかの記録だけれど、スクロールしないで自分の日々を追える。翻訳や仕事にパソコンは必須だけれど、ペンを持てる限り「紙に書く」ことは手放さずにいたい。
2026年1月31日土曜日
通信添削の講師を引退しました
長年お世話になってきた通信添削講座を、2025年末で引退させていただきました。「童話で学ぶスペイン語」講座を別の講師から引き継いで以来20年余り、「児童文学翻訳」「物語を読もう」を開講させていただき、みなさまと共に30冊以上の本を読んできました。読み終えたあと、「次の本も」と継続受講していただけるのが大きな励みでした。答案に添えられたお手紙やコメントもうれしく、何歳になっても読解力は伸びると、実感したものでした。不明な点を残さず的確に説明できるようにと、辞書や文法書を調べることが、私にとってもかけがえのない学びとなりました。語学学習において実用的なスキルがもてはやされる昨今ですが、普段日本語で伝えられる情報では知り得ない、スペイン語圏の人々の歴史や文化や暮らし、論理やメンタリティーにじっくり触れることができるのは、文学を読む醍醐味だと思います。講座が終わっても、文学を読み続けていただければ何よりです。受講してくださったみなさまとイスパニカのみなさまに、心より感謝申し上げます。翻訳作品で、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
2025年11月21日金曜日
グアダルーペ・ネッテル『一人娘』
わたし(ラウラ)とアリナは親友で、20代のころはお互いに「子どもは産まない」と誓い合った仲だった。その意志をかたくなに貫くラウラとは裏腹に、アリナは結婚し、やがて子ども(イネス)を身ごもる。そんななか、ラウラの暮らすアパートのベランダでは鳩が巣を作り、やがてラウラはアパートの隣に暮らす母子家庭の男の子ニコラスとだんだん交流を深めていく。やがてイネスが生まれるが、イネスには生まれついて重度の障害があり明日を生きる保証もない状態だった。
イネスの誕生とニコラスとの交流、ベランダに巣を作った鳩……、ラウラの心は揺れ動き、本人がそれまで思いもしなかった自らの気持ちに気づかされていく。イネスの生命や母という宿命、女として生きることの葛藤……。そして、物語は思わぬ形で最後を迎えることになる。(「版元ドットコム」より)
2025年8月21日木曜日
チリの作家マリア・ホセ・フェラーダさん来日イベントを終えて
2025年2月27日木曜日
海の向こうに本を届ける 著作権輸出への道
今月半ばの寒い朝、2月8日に栗田明子さんが亡くなられたという知らせを受けました。
栗田さんは、日本文学の版権輸出の道を拓いたパイオニアです。
縁あって私は、1997年10月ごろから1999年初夏までと、留学をはさんで2003年から2年くらい、栗田さんのアシスタントをしていました。海外からオファーが来たら、その内容を作家や出版社に連絡したり、契約書を作ったり、契約書を送って押印してもらったりという週3日のパートでした。
出産後、文化的刺激がほとんど皆無の毎日を過ごしていたときだったので、海外とつながり、文学の話題が飛び交うなかで働くのは楽しいことでした。
「出版ニュース」への連載のあと本になった『海の向こうに本を届ける』(晶文社、2011)には、驚くような冒険の数々が綴られています。大胆で、思い切りがよく、明るく、たくましく、すごいなあとため息が出ることばかりです。なかには、私がリアルタイムで見ていたこともあって、あのとき栗田さんは、こんなことに挑戦なさっていたのか、とドキドキします。
情熱、言い訳をせず、驕ることも卑下することもなく、正直に人と向き合うことが仕事のうえで大切だということは、栗田さんの仕事ぶりから学んだことかなと思います。
引退されて、芦屋に移られてから2度ほど訪ねましたが、2019年9月、芦屋文学サロン「小川洋子の世界を語る」に小川洋子さんとともに登壇されたときにお話を聞いたのが最後になりました。
静かに逝かれたとのこと。どうぞ安らかに、とお祈りします。
2025年1月25日土曜日
『この銃弾を忘れない』
2024年9月22日日曜日
翻訳特別賞をありがとうございます
このたび、フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』(早川書房)の翻訳で、NPO法人日本翻訳家協会より翻訳特別賞をいただけることになりました。
どうもありがとうございます。
気づくとデビューから25年たっていて、同年代が定年を迎える年廻りなのに、翻訳者としての足場がまだまだ安定していないことに焦りをつのらせていたのは4年前のことです。明日の保証はなく、「もうやーめた」と自分が言えばそれっきりだな、と思っていました。
そんな心持ちが少しずつ変化してきたのは、ここ3年くらいのことでしょうか。賞があってもなくても、できることしかできないし、日々やることは変わらないのだけれど、今回の表彰で、その仕事をやっていていいよ、とさらに肩を押してもらえた気がして、とても励まされました。
それに、多くの友人が自分のことのように喜び祝福してくれたのが殊の外うれしく、幸せをかみしめています。ほんとうにありがとう!
また、この仕事をいただけたのも、ネッテル『赤い魚の夫婦』(現代書館)があってのことでした。ネッテルを出してくれた編集の原島さん、あらためてありがとうございます!
これからも精進し、翻訳していきます。
2024年7月8日月曜日
牧落の市場まで
先日、地元のあるイベントで、ボランティア仲間のMさんと話をしていたら、なんと、小学校の前半をすぐご近所で送り、共通の場所で遊んでいたことがわかりました。
大阪府箕面市の社宅で過ごした数年間。
当時の記憶をたどっていたら、牧落の駅のそばにある市場まで母と買い物にいったときのことがよみがえってきました。
昔ながらの市場は、いろんなお店が入っていて、私が覚えているのは、さまざまな色合いの味噌を山型にとんがらせてしゃもじを刺していた味噌や乾物のお店とか、サマーヤーンなどの手芸用品を売っていたお店、うぐいすもちや草餅や桜餅を売っていた和菓子屋さんなど。
母は、どんなものを買っていたのかな。
市場までの道は影がなくて、夏の日差しの下、「暑いね」と言いながら、手をつないで歩いた覚えがあります。途中に川があったような。
そういえば、歌ったら元気が出るよと言われて、かけあいで歌ったのではなかったか。
なんだったけな、どんな歌だったっけ・・・。すると、歌の最後の部分が浮かんできました。
・・・庭のおいまつ
ググってみると出てきました。
春は緑の においめでたく
夏は木かげに わたるそよかぜ
雪のあしたも 月のゆうべも
ながめゆかしき 庭の老松
渋いけど、美しい! 幼稚園児か小学校低学年だった自分が、こんな歌をうれしそうに母と道々歌っていたとは!
春は、春は・・・、緑の、緑の・・・と、母について歌えばよくて、まちがえずついて歌えると母もにこにこして、うれしかったな。
あの頃、寝たきりの祖母がいたのに、どうして祖母も姉もおいて、2人で出かけられたのかわからないけれど、子どもとたまに買い物に行くのがうれしかったのだろうなと、30代半ばだった若い母を思って、ちょっとうるっとなってしまう。
父はいたけれど、今、私の頭の中では、矢野顕子の「愛について」が鳴りひびいています。
遠い遠い、昔のこと。
Mさん、思い出させてくれてありがとう!
2024年5月19日日曜日
ある金曜日
1か月以上前に頼まれた、やっかいな原稿の締切日だった。JBBY(日本国際児童図書評議会)会長名義で書く文章で、余裕をもって頼まれていたのに案の定難航して、ゴールデンウィークごろから落ち着かなかった。
構成を考えて、資料を読んで、どうすれば説得力を持たせられるかと悩んで、書いては消し、消しては書き。削除したけれど復活させるかもとプールしたテキストが積もり積もって2000字にもなるのにまだできない。
もう一息と思いながらwordを離れると、『ハリケーンの季節』の担当編集さんからメールが来ていた。「選考会の時間は、会社で待機しております。」
この日は、日本翻訳大賞の最終選考会が5時から7時まであって、入賞した訳者にだけ電話連絡がくることになっていた。
その後、再び担当編集さんからメール。日本翻訳大賞の選考・運営委員の西崎憲さんからのメールを転送してくださる。ありがたい言葉。
正午すぎ、ようやく4000字あまりの原稿が仕上がって、副会長と事務局に、とりあえずこれで提出しますと連絡。長い長いトンネルを抜けた気分。
スパゲティをゆでて、冷凍してあったミートソースで昼ごはん。我ながらおいしい。
朝ほした洗濯物がきれいに乾いていたので、とりこんでたたむ。
ミランフ洋書店で発送する本があり、梱包する。郵便局に行こうと自転車に乗ったら、ペダルを漕ぐなりキーキーいやな音がする。
アパートの前の駐輪スペースで、カバーをかけてある隣の自転車が、風が強いと必ず倒れかかる。その前日もまきぞえをくって、自転車が横転していたのを思い出す。よく見ると、チェーンガードの一部がへこんでいる。まいったなあ。
なるべくペダルをこがないようにして、郵便局に行って帰ってきて、自転車屋さんにいつ持っていけるかなと考える。
少し前に翻訳原稿をおさめたノンフィクション絵本の進行が気になっていたので、某出版社に電話。「出すのは来年かな」と言われて、ちょっとホッとする。
昨年、スペインの翻訳助成金をもらった絵本の出版報告の文書がそろったので、提出手続きをする。担当編集に完了の連絡をして、6月になったら一度、ゆっくりお会いしましょうと、メールでやりとり。
スペインの翻訳助成金の申請サイトに入ったついでに、今年の申請時の記入事項を一通りチェック。去年とかわりがなくて安心する。
くだんの原稿を、メールで送信して納める。
夕方、『赤い魚の夫婦』の編集者さんとの待ち合わせ場所に向かう。「前のときは、一緒にいられなかったから、今度は一緒にいますよ」と、声をかけていただいていた。
電波が入りそうな焼き鳥屋を予約してくれていて、近況報告をしあう。
生ビール2杯目に入る。普段の家飲みだと350cc缶で十分なのに、どうして飲みにいくと2杯は飲んでしまうのか。
窓際の席から、だんだん暮れていく街が見える。ずいぶん日が長くなったなと感じる。
7時をまわって、「もうないかな」と思ったけれど、担当編集さんに電話したら、受賞したと勘違いされそうで申し訳なく、テーブルに置いたスマホをただ見ている。
スマホに着信があり、とると担当編集さん。
「来ませんね」「ダメでしたね」「引き続き売りますよ。また別の作品も」「すみません」みたいな会話。気づかいに、いたみいる。
「2時間です」と、焼き鳥屋を追い出される。
沖縄料理屋へ。
最近の仕事のこと、秋に予定している本のこと、腹立たしく思ってしまう赤字とそうでない赤字がどうしてあるのだろうという話、メキシコ大使館のイベントで声をかけてもらってから『赤い魚の夫婦』に至るまでの思い出話、「ネッテルは、ほんとによかったね」「ゴーヤが苦くておいしいね」「シークワーサーサワー、濃いね」「ネッテル、またよろしく」など。
沖縄料理屋を出て、地下鉄の入り口近くの、植え込みのレンガのところで、さらに30分以上おしゃべり。かたい握手で別れる。
帰りの地下鉄のなかで、「人様の運命を少し変えるかもしれないことなので、できればやりたくない。逃げだしたい。」という、西崎憲さんのツイートを読む。
だいじょうぶ。賞がなくても、運命は変わらないよ、と思う。
2年前と違って、これからも自分なりの仕事ができる自信がついたから。もういいよ、という気持ち。
悔しくなくはないけど、審査員に読んでいただき、真剣に討議していただけたのは、信じられない僥倖だ。10年前の自分に教えてやりたい。
審査員にも賞の運営スタッフにも、応援してくれた読者の方にも感謝。10回も続けてこられたなんて、スゴイ。
日曜日は、受賞者をたたえよう(と、思えたのは、ほんとうは翌土曜日)。
2024年5月6日月曜日
『アチケと天のじゃがいも畑』
2024年4月18日木曜日
広瀬恒子さんのこと
広瀬恒子さんが亡くなられた。
広瀬さんのお名前をはじめてきいたのは、『ペドロの作文』(アントニオ・スカルメタ著 アルフォンソ・ルアーノ絵 アリス館 2004)が翻訳出版されたときだった。
「高く評価してくださった」と、編集者からきいてうれしかった。だけど、ご本人にお会いしたのは、もっとあとになってからだ。
日本子どもの本研究会の機関誌「子どもの本棚」2014年1月号(No.543)で、「スペイン語圏の子どもの本の世界 翻訳家宇野和美のしごと」という特集を組んでいただいたとき、広瀬さんは「子どもの可能性への信頼」という文章を寄せてくださった。そこでとりあげられていたのは、『ペドロの作文』と『雨あがりのメデジン』(アルフレッド・ゴメス=セルダ作 鈴木出版 2011)だった。
『雨あがりのメデジン』に登場するマールさんという図書館員のことを「本当の司書ってマールさんのような人ではないかと共感させられた」と書かれている。この本のこと、マールさんのことは、会うたびに話題にしてくださり、ご講演でもとりあげてくださった。心許ない翻訳者にとって、そういうご縁をいただけたのは、とてもありがたいことだった。
最後にお会いしたのは、東京外国語大学で非常勤講師をしていたときだ。コロナになる前の年かその前くらいか。帰り道の西武多摩川線で、ばったりお会いした。夜にかかる会合などには、もうお出にならなくなっていて、しばらくお会いしていなかったので、1駅だけだったけれどうれしくて、疲れもふっとんだ。
訳書が出たとき、広瀬さんはどう読んでくださるだろうと考えずにはいられない、鋭く厳しく、そして子どもを大切にする読み手だった。広瀬さんのような方がいるから、いい仕事をしたい、いいかげんなことはできない、といつも思わせてくださる存在だった。
子どもの本の翻訳をするようになって出会った、ふたまわりかそれ以上か年上の、一家言ある活動的な先輩の多くがあの世の人となっていき、いつのまにか自分も、当時の先輩たちの年齢に近くなった。
今はただ感謝し手を合わせている。ありがとうございました。
2024年1月23日火曜日
『キミのからだはキミのもの』
この本は性について説明する本ではありません。子どもの生活や体は子ども自身のものであり、性暴力は身近にあることを知ってほしい、防ぎたいという願いから生まれた本です。子どもを被害者にも加害者にもしたくない、という願いです。
「プライベートゾーン」「同意」という新しい時代に即した言葉や考え方、自分のからだのことは自分で決めるという考え方や実際の対処のしかた、まわりに信じられる人がきっといるということを伝えたいと考えます。(ポプラ社HPより)
※こちらのページもご参照ください。
昨年の初夏くらいから本格的に動きだして、じっくりと翻訳にとりくんできた、スペイン発のノンフィクション絵本です。幼児から読めるようなシンプルな本ですが、
2024年1月15日月曜日
『ガウディさんとドラゴンの街』
スペインの建築家ガウディさん。彼の1日は、グエル公園にある家から仕事に出かけることから始まります。カサ・ミラ、サグラダ・ファミリア、カサ・バッリョ・・・バルセロナ出身の絵本作家が、モノづくり精神に打ちこんんだガウディの1日を綴り、2年をかけて詳細で緻密な絵で描いた作品。(版元ドットコムより)
2023年12月29日金曜日
『ハリケーンの季節』
ブッカー国際賞、全米図書賞翻訳部門、名だたる国際的文学賞候補となったメキシコの新鋭による傑作長篇魔女が死んだ。鉄格子のある家にこもり、誰も本当の名を知らない。村の男からは恐れられ、女からは頼られていた。魔女は何者で、なぜ殺されたのか? 現代メキシコの村に吹き荒れる暴力の根源に迫り、世界の文学界に衝撃を与えたメキシコの新鋭による長篇小説
(版元HPより)
この作品の翻訳の依頼が舞いこんだのは、グアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』が発売になってまもない2021年9月8日のことでした。
実はこの作品、ブッカー国際賞のファイナリストになったあと、日本でも翻訳出版されるべきと思い、2020年の末に、ある出版社に私ももちこみました。けれども、その後、連絡のないまま時がすぎ、日本翻訳大賞の授賞式のときだったかに、偶然顔を合わせた編集者から、ほかの社に版権が売れたと告げられたのでした。そのときは、自分には縁がなかったという思いと、やらなくてよかったかもしれないという思いがありました。翻訳が難しいことはわかっていたからです。
なので、依頼をもらったときは仰天しました。もう誰かが手がけていると思っていたし、怖気づきもしました。だけど、「やらないと一生後悔する」という気持ちが勝って、翌日には、よろしくお願いしますと返事をしました。
それにしても、ほんとうに難しかった。登場するさまざまな〈声〉の方向がなかなか定まらず、わからない表現も多く、時間がかかり、「これでこけて、翻訳者として終わりになるのでは」という不安にさいなまれました。
翻訳していると、自分に足りないものがおのずと見えてきます。今回は特に罵倒語や俗語がそれでした。人が殴られたり死んだりするのや物が壊れるようなシーンが出てくるものは、小説でも映画でも、普段できるだけ近づかないようにしているたちなので、そういう方面の語彙の引き出しが極端に貧弱なのです。そこでインプットしようと、マンガを描いている映画好きの長男に頼みこんで、参考になるマンガや映画を教えてもらいました。マンガはまだ抽象化されているので読めても、映画は見ていられず(気持ちが悪くなる……)、音声だけ聞いたものも多々ありましたが。若者のあいだで使われている性的俗語も、彼が頼りでした。そんな付け焼き刃で大丈夫かと心配されても、付けないよりマシかと。
方言をどうするかの問題もありました。これは考えたすえ、川上未映子著『夏物語』の英訳者の話を聞くなかで、人物間の関係性を反映した口語にすることを目指すことに決めました。
また、上岡伸雄訳『ネイティヴ・サン アメリカの息子』には、主人公の思考をたどるところに類似する部分を感じて、大いに刺激されました。参加している読書会がきっかけで、ちょうどその時期に出会えてラッキーでした。
スペイン語も難しかった。同じメキシコ人作家でも、ネッテルの文章はユニバーサルな書き言葉ですが、メルチョールのこの作品は極めてローカル。ベラクルス方言や口語など、みたことも聞いたこともない表現については、メキシコ大使館のベラクルス出身の方が力になってくださいました。でも、自分の勘違いだったらめちゃくちゃ恥ずかしいと思って、思い切って聞けない卑猥な表現もあって、そんなことや、日本語でしかうまく尋ねられないことなどで、強い味方になってくれたのが棚橋加奈江さんでした。映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』の原作本の訳者である棚橋さんには、メキシコの作品で翻訳に戻ってきてほしいと心から思います。
「こういう世界もある」ということを、数か月間つきつけられつづけるような翻訳作業でした。ともかく、フェルナンダ・メルチョールの代表作となるに違いないこの作品を、日本の読者に読み通していただけるよう、ただただ願っています。
どんな作品か、ご興味のあるかたは、こちらであとがきの一部をご覧ください。
https://www.hayakawabooks.com/n/n8b6060878fe0?sub_rt=share_h
2023年12月24日日曜日
クリスマスの思い出
2023年12月10日日曜日
『吹きさらう風』
アルゼンチン辺境で布教の旅を続ける一人の牧師が、故障した車の修理のために、とある整備工場にたどりつく。
牧師、彼が連れている娘、整備工の男、そして男とともに暮らす少年の4人は、車が直るまでの短い時間を、こうして偶然ともにすることになるが――
ささやかな出来事のつらなりを乾いた筆致で追いながら、それぞれが誰知らず抱え込んだ人生の痛みを静かな声で描き出す、注目作家セルバ・アルマダの世界的話題作。(版元ドットコムより)
2023年9月9日土曜日
はじめての青森(1)
9月6日から8日まで青森に行ってきました。
仕事が一段落したら、何日かすっかりオフで過ごそうと決めていて、このへんなら大丈夫かと、日程を決めたのは8月下旬。楽しみに予定を立てました。
1日目 青森
なんとはなしに行き先を青森に決めてから、そういえば、アフリカ子どもの本プロジェクトでおつきあいがあった沢田としきさんは青森の人だったなとか、4年前に亡くなった友人が、最後の夏にねぶたを見に行ってたなとか、母の十八番が「津軽海峡冬景色」だったなと思い出して、案外、ご縁があるじゃないと思ったことでした。
午前中に到着し、涼しさを喜びながら、まずは県立美術館へ。「メイキング・オブ・ムナカタ」という、大規模な企画展をやっていました。特に興味があったわけではなかったのですが、今回改めて全体像を見て、作品のデザイン性を強く印象づけられました。
心に残ったのは、キリストの十二使徒を描いた作品と、最後の展示室にあった大きな壁画のような作品。これはそのうちのひとつ。もっと大きなのもありました。
また、地元出身の奈良美智さんの作品のコレクションもおもしろかった。最近話題の「あおもり犬」にも会えました。
美術館は順路が複雑で、要所要所にスタッフの女性が立っているのですが、ユニフォームが、ワンピースというか、長めのスモックのような服で新鮮でした。ランチをした美術館のレストランも、ゆったりしていて、とても居心地がよかったです。
午後は、美術館に行く途中にバスの車窓から見えた古書らせん堂さんへ。ぱっと目に入ってX(旧twitter)ですぐに検索するとアカウントがあったので迷わず行けました。文学や人文関係、美術書、郷土資料その他、充実した品揃え。青森にいらっしゃる方はぜひお立ち寄りください。
読んだことのない倉橋由美子の初期の作品と、読み返したかった短編が収録されている有名な英米文学、2冊の文庫を購入。青森に来てよかった! という気持ちになりました。
そのあと海に出て、海沿いのウッドデッキをぷらぷら歩いて港のほうへ。曇っていても、いつでも海の景色は好き。
それから、ねぶたの家ラ・ワッセで、ねぶたを見て圧倒され、ビデオで雰囲気を少し味わってきました。若いねぶたの作り手がいるのがすごい。いつかお祭りそのものを見たいな。
夜は、らせん堂さんで、青森で一番おいしいと教えてもらった一八寿司へ。たいへん満足。
特に予定を決めず、体の動くままの旅の1日目、無事終了。
2023年7月24日月曜日
聞かぬは一生の恥
今、ゲラを見ている作品で、どうも自信のないところがあり、ネイティブに確認したところ、「何できいてくるのか、わからない。これしかないだろう」というような返事が来て、ちょっと凹みました。
そうなんだろうけど、「ねえ、ここってこうだよね?」というのを、確かめたいことはときどきあるんですよね。「そうだよ」と言ってもらえたら、それで気がすむのですが、ときにはぜんぜん勘違いしていることもあるので。
行き場のない思いをかかえて、「あーあ」と思いながら歩いていたら、母がよく「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言っていたのを思い出しました。
どんな文脈で言われたか、もう覚えていないけれど、もじもじしていると、そう言って、肩を押されていたような気がします。
で、まあいいか、わかったんだから、という気持ちになりました。
でも、そのあとで、父によく「見てわからんもんは、きいてもわからん」と言われていたのも思い出しました。
父は、人にものをならうのが好きじゃなくて、なんでも本を買って独学でおぼえようとする人でした。でも、年をとるほどにあきっぽくなって、何もかも中途半端で投げ出していたのを見ると、先生にちょっとコツを教えてもらったら、もっと伸びて、続けられたのでは?と思いもしたものでした。独習の限界もあるなと思えて。でも、楽しかったのなら、あれはあれでよかったのか。
いや、「見てわからんもんは、きいてもわからん」と言ったのは母だったか……? 小学生のころ、母がやっている刺繍を「教えて」とたのんだら、本を渡されて、「これを見てやりなさい」と言われた気もします。もう記憶があやふやです。
でも、孫がクロスステッチをしたいと言ったときは、母は手とり足とり教えていました。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」から、父母のことをあれこれと思い出した日でした。
2023年7月4日火曜日
『かげふみ』記憶を伝え警鐘を鳴らす
朽木祥さんの新作『かげふみ』(光村図書)に、『見知らぬ友』が出てきますよ! と編集者さんが知らせてくれたのは6月中旬のことでした。
時間がかかってしまいましたが、本をとりよせて、ようやく読むことができました。
朽木さんは、『八月の光』『光のうつしえ』『パンに書かれた言葉』『彼岸花はきつねのかんざし』など、多くの作品でさまざまな形で広島を描き、記憶を伝え、警鐘を鳴らし続けている作家です。
『かげふみ』は、夏休みに広島に住むおばあちゃんのところで過ごすことになった小学5年生の拓海が、児童館の図書室で見かけた女の子「澄ちゃん」をめぐって物語が展開します。児童館で仲良くなった地元の子たちと遊ぶうちに、拓海はこれまで考えたことのなかった、広島のあの夏の出来事と向きあっていくのです。
「おはぎが およめに いくときは……」という歌や広島の方言を織りまぜた文章がみごと。遊びから広がっていくところも好きだな。拓海が石けりをする澄ちゃんを見送った場面は、いつまでも余韻が残りました。
拙訳のマルセロ・ビルマヘール著『見知らぬ友』(福音館書店)は、拓海が初めて児童館の図書室に行った日、「タイトルと表紙が気に入った本を、カウンターに持っていった。『見知らぬ友』という外国の物語だ。」(p.15)として登場します。
先日、どこかの図書館のtwitterの新着本写真に『見知らぬ友』が並んでいたのは、この本のおかげかも。物語のなかで物語が生かされる、これほど光栄でうれしいことはありません。
朽木さん、どうもありがとうございます。











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