バルセロナの日々(15)
9月15日、小学校が始まった。さあ、いよいよだ。小中学校で3回の転校を経験した私は、新しい学校に初めて行く日の緊張は身に覚えがある。朝、つとめて元気に声がけをして起こしながら、ケンシたちの不安を思った。
朝食を食べさせ、早めにうちを出る。持ち物は「おやつ」だけ。
えっ、学校におやつ? なんでも、午前中の休みの時間に、サンドイッチやビスケットなどを食べるらしい。見学の日、初日の持ち物をたずねたら、「おやつだけでいいわよ」と言われたのだ。それにしても、ノートも筆箱も持たずに、おやつ?
9時少し前に着くと、学校のまわりにはもう、わさわさと親子づれがいた。話には聞いていたが、やはり小学生の間は大人が登下校の送り迎えをするようだ。3ヶ月近い長い夏休み明けだ。子どもたちもにぎやかだし、久しぶりに会ったおかあさんたちもかしましい。
へえーっ、これがスペインの小学生か。
心配そうな我が子をよそに、私は思わず見とれてしまった。髪が茶色くて、くりくりっとした目の子が多い。高学年になると、私よりりっぱな体格の子もいる。こういう子たちに向けて、これまで読んできたスペインの児童文学作品って書かれてきたのか。不思議な気がした。
9時ちょうどに学校の小学部側の扉が開いた。校舎前の小さな中庭で、担任の先生が学年ごとに子どもたちを集めている。校長のエドゥワルドは2年生の担任だった。私たちを見つけるとやってきて、「だいじょうぶ、安心しなさい」といいながら笑顔で、さっさとアキコとケンシをそれぞれの学年の場所に連れていった。学年の最初の日と言っても、入学式も始業式もないのだった。
そこで私はタイシを連れて、建物の反対側にある幼児部の入り口にまわった。幼児部では、教室の入り口まで親が子どもを連れていくと、先生は子どもの両頬にキスをしてあいさつし、子どもを部屋に入らせる。担任のフアニが、
「ボン ディア タイシ」
とキスをした。タイシがもじもじしていると、同じクラスだというジョルディという子が、いきなりタイシの肩をだきかかえて、部屋の中にひきこんだ。
慣れた保育園でだって、別れ際、ぐずる日はぐずるものだ。朝は、先生にお願いしたら、潔く立ち去るに限る。私はバイバイを言って、そのままタイシを残して立ち去った。こうして、第1日目の幕が切っておとされた。
クレンフォル校は、9時に始まり、午前の部が1時まで、午後の部が3時から5時という時程だった。午前の部と午後の部の間の2時間がランチタイム。3分の2の子どもは、家に帰って食べる。だから、家に帰る子の親は、昼にも送り迎えをする。両親とも働いているような子だけが、学校に残って給食を食べる。
スペイン人は、朝はあまり食べない。コーヒーや子どもなら牛乳と、コーンフレークやマリービスケットくらいですませてしまう人も多いから、昼ご飯までの腹つなぎが必要なのだろう。12時前後のバルには、ボカディーリョ(バゲットで作ったサンドイッチ)やドーナツをほおばる勤め人がたくさんいる。子どもたちは、11時ごろ、「パティ」と呼ばれる休み時間におやつを食べる。1時には昼ご飯になる子どもに、おやつは不要な気もしたが、一般の大人の昼ご飯は2時か3時なので、それならうなずける習慣だ。
みんなどんなものを持ってきているのだろう。子どもたちにきくと、小さなボカディーリョや、ビスケット、チョコレート、クロワッサン、バナナなど、さまざまだった。
ちなみに、一度、読書の調査で、午前の休み時間に中学校に行ったことがあったが、中学生の男の子はのきなみ、20センチか30センチはありそうなボカディーリョをほおばっていた。
1日目、タイシはチョコクリームをはさんだクロワッサン、アキコはジャムをはさんだクロワッサン、ケンシはソーセージをはさんだコッペパンを持たせた。タイシが帰ってくると、「あしたもクワガタのパンにチョコをはさんで!」と言った。タイシには、クロワッサンは、三日月ではなく、クワガタに見えたようだ。だが、最初の頃こそめずらしがってクロワッサンを使っていたが、クロワッサンは普通のパン(つまりバゲット)と比べるとうんと高い。その後おやつは、おにぎりやボカディーリョなどに変わっていった。
午後5時。いったいどんな顔をして出てくるだろうと思いながら、3人を迎えにいった。校長のエドゥワルドは、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と笑顔で言うと、ちょっと待ってと事務室に行き、各学年の買い揃えるべき教科書や学用品のリストを持ってきた。やっぱりノートや鉛筆だって必要だったんじゃない! 「順々に持ってくればいいですよ」なんて、のんびりしたものだ。でも、そんなわけにはいかないだろう。その日、帰りがけに、教えてもらった本屋と文房具屋に買いにいった。
子どもたちは、それぞれに表情がかたかった。「何言ってるかぜんぜんわからない」とケンシ。「遊びに入れてくれなかった」とアキコ。「1人でいたいのに、さそわれていやだった」とタイシ。
これからどうなるのだろう。
校長のエドゥワルドがいくら「だいじょうぶ」と言ってくれても、私の胸の中では期待と不安が錯綜していた。でも、エドゥワルドの言葉や態度には、思いがけずやってきた日本人の子どもにいい学校生活を送らせてやろうという、教育者らしい思いやりが感じられた。「だいじょうぶ」と、私も信じたかったし、子どもたちにがんばってほしいなあと思うのだった。
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