元旦に調布の家からのぞんだ富士山 |
ここ数年は、毎年年始は私の実家に両親、姉一家、私の家族が集まり、とりたててごちそうはなくても、それだけで「またみんなで会えたなあ」という充足感があるのですが、今年は集まったものの、気持ちが晴れずにいます。
というのも、ここ数か月で私の両親の衰えが激しくなってきたからです。昨年の頭ごろから、父の歩行がかなり怪しくなってきて、ときどき孫の顔もわからなくなるようになり、どうしようと思っていたら、今度は、父につきあって、一日何もせずに家にこもるようになってしまった母が、あれよあれよという間に衰えてきました。
母に、「あなたのうちは、子どもは男の子ばっかりだったっけ?」と言われたり、「大学に行かない日は何しているの? 翻訳? 何語の?」などと問われたりして、呆然としています。
何十回となく同じことを嘆かれたり、同じことを繰り返し聞かれたりするので、悲しいし、気持ちがどんどん落ちこんできます。
認知症という言葉は知っていても、実際に自分の家族がそうなったときに、どんな心持ちになるか、まったく想像が働いていなかったのがよくわかりました。
逃げずに向き合うしかないですね。まあ、なるようになるでしょう。
翻訳ではやりたいことがたくさんあるし、がんばろう。
今年もよろしくお願いします。
近所の骨董品屋さんで |
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