2021年1月21日木曜日

海の向こうに本を届ける

  


 初めての訳書が出たあと、しばらく著作権のエージェントで働いていたことがあります。もっと翻訳をがんばろうと、辞書の原稿整理や校正の仕事をやめたものの、翻訳の仕事はなく、元手も尽き、どこかで働けたらと門を叩いたのが、日本著作権輸出センターでした。

 一度は断られましたが、その後、声をかけてもらって入社テストを受け、週3日のパートで、社長の栗田明子さんのアシスタントをさせてもらえることになりました。1997年の秋、長男が小学2年生、長女が保育園の4歳児、次男が2歳児のときでした。その後、1999年に留学のために退社し、もうご縁がないかと思っていたら、帰国後、また声をかけてもらって2年弱、全部で4年くらい、働いた計算になります。

 株式会社日本著作権輸出センター、JFCは、日本の作家の著作権を海外に売ることを専門にしている著作権エージェントです。当時、現社長の吉田さんは児童書を、文芸書は栗田さんが担当し、毎年フランクフルトブックフェアで売りこみをしていました。アシスタントとして何をしていたかというと、契約が成立したとき、日本語や英語で契約書で起こしたり、英語の契約書の訳文を作ったり、出版社や著者に契約書にサインをお願いしたり、こんな条件でオファーがあるがどうかという手紙の下書きを書いたり、といったことです。

 それはもう楽しい毎日でした。というのも、それまでの数年、育児中心でほとんど家を出ることができず、文化的な刺激に飢えていたからです。5時に退社すると、決まった電車に遅れまいと、いつも小走りで保育園の迎えに向かい、帰れば子どもたちの食事やお風呂や翌日の準備で毎日が闘いでしたが、最近話題の本のこと、出版社のこと、作家のことなど、会社で触れる何もかもが新鮮でうれしかったものです。あ、それが本題ではありませんでした・・・。

 書こうと思っていたのは、栗田さんことです。栗田さんは、日本の作家の版権を海外に売る、まさにパイオニアでした。栗田さんが書いた『海の向こうに本を届ける 著作権輸出への道』(晶文社、2011)という本は、まさに武勇伝。読むと、びっくりすることうけあいです。著作権の仲介という仕事にどうやって出会い、どんな仕事をし、どんな作家を売り込んできたのかが、歯切れのよい文章で綴られています。若い頃の栗田さんの思い切りのよさ、粘り強さ、機転や創意工夫の精神は驚くばかり。そしてなんと正直でチャーミングなことか。

 どうしたらいいのか、きっとわからないことだらけの仕事だったでしょうに、栗田さんは、それならどうすればいいのだろうと、自分で考え、体当たりで道を切り拓いていくんですね。だからこそ、ちょっとやそっとのことでは負けない。それが、ほんとうにすごいんです。

 この本の184ページには、小川洋子さんの作品をアメリカに売り込んだときの話が出ています。ちょうど私がアシスタントをしていた頃のことで、ピカドールという出版社の編集者さんと一緒に、私もお蕎麦屋さんに連れていってもらいました。また、314ページからは、柳美里さんの『ゴールドラッシュ』のこと、柳さんに引き合わせてもらって初めて会ったときのことが書かれています。「今度サイン会で、柳さんにお会いする」と栗田さんが話していたのを、今も覚えています。とても嬉しかったに違いないのに、そういうときも決してはしゃがず、むしろ興奮を抑えたような口調で話していたように記憶しています。

 昨年、小川洋子さんの『密やかな結晶』がブッカー賞候補になり、柳美里さんの『JR上野駅公園口』が全米図書賞を受賞したというニュースを見て、栗田さんのことを思い出していました。日本の女性作家の作品の海外での躍進が語られますが、栗田さんの業績はその礎になっているはずだと。

 翻訳者として出版社に作品を売り込むとき、やりたい作品は何があってもへこまず、トライし続けるというのは、栗田さんから学んだことかもしれません。本が海を越えるのは、簡単なことではなく、時には5年、10年とかかりますが、諦めなければ、どこかで縁がつながることもあるものだと。

 

2021年1月3日日曜日

謹賀新年

  

今年翻訳出版予定の本たち


 明けましておめでとうございます。SNSに飛び交う幸せを願う言葉に、「ほんとうに」と頷く年明けです。

 スペイン語の通信講座の添削の仕事を、かれこれ15年以上続けています。受講生が月に1回、提出する訳文に赤字を入れるのですが、年末に送られてきた課題の添削が終わらず、年明け早々とりかかりました。すると、その中のひとつに、こんなお手紙が添えられていました。

 コロナ禍が始まって以来、この小さな町にもいろいろな変化がおきました。文化的な行事や講座なども行われていた近隣唯一のデパートがなくなってしまい、おまけに書店もなくなってしまいました。

 外出もままならず、現在は先生のスペイン語講座が楽しみです。年のせいで、同じ語を何度も辞書でひいたりしておりますが、まだまだ続けようと思っております。

 この通信添削は、年度制ではなく、始めたくなったときに、いつでもどうぞという形をとっています。1冊の本を何ヶ月かかけて、部分的に訳出しながら全編読んでいくというやり方で、わからない箇所は質問を受け付けます。課題の本は、私が選びます。日常とは違う世界や価値観に触れ、読書の醍醐味を味わえる、読みごたえのある本をと思って、スペインのもの、ラテンアメリカのものをとりまぜています。いつでも、どこでも、好きなときに学べるという、生涯学習のような講座です。ぽんぽん言葉で応酬するよりも、テクストと向き合ってじっくり考えるのが好きという人に向いているのだろうと思います。 

 この方は地方にお住まいの、私が講師になったときからの受講生で、もう一緒に25冊以上読んできました。その方が、今も変わらず、こんなふうにおっしゃってくださるとは。また、東京ではわかっていなかったコロナ禍の実情にも衝撃を受けました。

 胸が熱くなり、この言葉にこたえられるようでありたいし、私自身も、スペイン語で文学を読むという純粋な喜びといつも共にありたいと、心から思いました。何もできないけれど、せめて自分を裏切らないように。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2020年12月7日月曜日

60歳になりました!

 

少し前まで、自分の年齢など普段は忘れていたのに、今年はかなり前から、何歳になるか意識していて、苦笑しています。何しろキリがいいから。

 画家の堀越千秋さんが、あと何日だとか、何時間だとか、数えるからいけない、数えないのがスペイン式だと、どこかに書いていらして、そういう生き方に憧れているのに、やっぱり数えてしまうのは、まだまだ修行が足りないのでしょう。母親になる前と、なってからとで、ちょうど同じくらいの年数だなと、計算すると、またまた恐ろしいことに気づきます。

 どうしたらずっと翻訳をしていけるかとばかり考えているうちに、気づくとここまできていました。それはそれで、幸せなことなのか。終わりがあることを、以前よりよく考えるようになりましたが、どこまで行けるんだろう、この先には何があるんだろうと思うのは、今も昔も同じ。私は私を生きるのみか。

 翼のべ空飛ぶ鳥を見つつ思う 自由とは孤独を生きぬく決意 鶴見和子

 これからもどうぞよろしくお願いします。

 写真は、今年の1月末、モンテビデオのLinardi y Risso 書店でのスナップです。

2020年9月6日日曜日

『アコーディオン弾きの息子』


『アコーディオン弾きの息子』
ベルナルド・アチャガ著
金子奈美訳
新潮社、2020 

「書いてくれて and 翻訳してくれて and 出版してくれてありがとう!」と心から思った。「おもしろかった」「読んでよかった」といった言葉では、とても言い尽くせない。圧巻だった。

 たてこんでいた仕事がようやく片付いて読み始めたら、途中でやめたくなくて、仕方なく翌日においておくと、また物語の世界に戻りたくてたまらなくなり、貪るように続きを読み、というふうにして、550ページを一気に読んだ。
 備忘のため、読みながら思ったことを書いておきたい。

 スペインの作家エルビラ・リンドが来日したとき、「英語圏の作品なら、片田舎が舞台の作品も海外に紹介され歓迎されるのに、スペインの現代文学は、舞台がマドリードでも、そんなローカルな話と片付けられる」と嘆くのを耳にした。
「読者になじみがないからねー」と言って持ち込みがボツになった無数の経験から僻み根性がしみついている我が身には、リンドの言葉は痛切だった。
 けれども、この作品を読んで、ローカルはユニバーサルなのだと、改めて思った。中途半端ではなく、とことん一箇所をつきつめたとき、そこに普遍が見えてくる
よい作品はそんな二分法など飛び越えてしまうのだと。

 主人公ダビは、父親アンヘルが内戦時代に村人殺しに関係していたことを知り、父親を受け入れがたくなっていく。
 この背景にある沈黙は、この時代のスペイン社会を象徴するものだ。反政府勢力に対する厳しい取り締まりが行われていた独裁時代、人びとは声をひそめて暮らしていた。自分が政治的にどちらの側なのか、だれも口に出して言うことはなかったが、日頃の人づきあいや暮らしぶりから互いに察しあい、普段はそこに立ち入ろうとしなかった。私が翻訳したYA文学『フォスターさんの郵便配達』(エリアセル・カンシーノ著 偕成社)も『ティナの明日』(アントニオ・マルティネス=メンチェン著 あすなろ書房)も、この「沈黙」の中で、大人たちが語りたがらない真実を見つけていく若者たちが描かれている。この時代の空気は、日本の戦前に一番近い気がする。
 なので、式典でアコーディオンを弾こうとしているダビに向かって、穏やかな伯父のフアンが発する「例の式典でスペイン国歌を演奏したら、お前も同じ目に遭うぞ。一生の汚名を着せられることになる、そのことを忘れるな!」(p.247)というせりふは衝撃的だった。オババで最初のアメリカ帰りの男をかくまった寡黙な伯父の言葉の凄み。
 スペイン国歌に今、歌詞がないことの意味を考えさせられる。

 それにしても、バスク語は、なんと謎めいた言葉だろう。カタルーニャ語やガリシア語はスペイン語と違う言語とはいえ、ラテン系なので、スペイン語話者なら、字面からある程度内容を知ることができる。けれど、バスク語はまったく想像がつかない。そのことが、カタルーニャとは違う深い陰影を形づくっているようだ。
 長年つきあいがある1961年生まれのバスク児童文学研究者に、児童文学を研究するようになったきっかけを何気なくたずねたとき、「自分は中学生くらいまで親にバスク語で声をかけられてもスペイン語で答えるような子どもだったが、高校生のときに自分たちの財産であるバスク語をどうして大切にしないのかという講演を聞いて、改めてバスク語を勉強し、そこからバスクの児童文学にたどりついた」と言われた。今になって、その言葉の意味を思う。

 訳者あとがきに「オババの村は、アチャガにとって、独自の語彙や論理、世界観を備えた一つの宇宙」(p.568)とある。《第一の目》《第二の目》で描かれる二つの世界をアイデンティティとすることはどういうことだったのか。父に手ほどきされたアコーディオンの重み。洋裁をするダビの母の姿。昨年訪れたバスク地方の緑豊かな風景、ドノスティア(サン・セバスティアン)やビトリアで会った知人たちから滲みでていた郷土愛を思い出しながら、さまざまなイメージを反芻している。
 深刻なばかりだけではなくて、景色や自然、望みや無謀さや屈託や悲しみなど微妙な感情が仄見える若者たちの会話、アメリカで再会した晩年のダビとヨシェバの冗談めかしたからみあいなど、ほんとうに豊かだった。

 私がスペインの児童文学を読み始めた1990年代、アチャガは児童文学でもバスクを代表する作家だった。Memorias de una vaca (ある牛の回想)は、スペイン内戦をYA小説でこんなふうに語るのかと驚かされた作品だった。そこで、代表作と言われている『オババコアック』をスペイン語で手にとったけれども、その時はあの世界を理解しきれなかった。でも、今回、これほど豊かな形でアチャガに出会えて、もう一度読んでみたくなっている。

 蝶とアコーディオンの装画がいい。

2020年8月16日日曜日

Casa Brutus 9月号「大人も読みたい子どもの本100」に


   先週あたりから、SNSをにぎわしている「カーサ ブルータス」。

 このたぐいの特集に、スペイン語圏の本がとりあげられることはめったにないので、「どうせ、載っていないだろうな」と思いつつ、おなじみの往来堂書店さんで手に入れました。けれど、あけてびっくり! なんと、2冊も紹介されていました。

「贈る絵本は、色で選ぶ」のBlack【黒の本】で、

『くろはおうさま』メネナ・コティン文 ロサナ・ファリア絵 宇野和美訳 サウザンブックス 2019

「MASTERPIECES①児童文学の新定番30冊。」の【友達・家族の話】で、

『ピトゥスの動物園』サバスティア・スリバス作 スギヤマカナヨ絵 宇野和美訳 あすなろ書房  2006 


 読み応えがあるこの特集で、選んでいただけて、とてもうれしい。

 大阪の「こども本の森」、行ってみたいな。選ばれている本で読んでいないもの、私も手にとりたくなりました。

『ピトゥスの動物園』の紹介の、「手も口も出さず見守る大人の姿も見習いたい」という最後の文もステキ。ほんとうにそのとおりです。この作品を読むと、バルセロナの町と人のさまざまな思い出がよみがえってきます。

 2006年に出てから、夏休みになるとよく手にとられていたのですが、ここ2, 3年は、動きがにぶくなってきていたので、この特集で見つけて、こおどりしました。

『ピトゥスの動物園』のとなりには、石井桃子さんの『ノンちゃん雲に乗る』があり、同じページには『Wonderワンダー』や、『クマのプーさん プー横丁にたった家』などが。それだけで、ドキドキします。

 元気な子どもたちに出会える、夏休みにピッタリの『ピトゥスの動物園』、繰り返し愛でたくなる『くろはおうさま』の2冊とも、より多くの方の手に届きますように。

2020年7月23日木曜日

Mar dulce スケッチ(6) ディエゴの原画を見る

1月末にモンテビデオを訪問したとき、スペイン文化センターというスペイン政府の施設でちょうど、ウルグアイの作家マリオ・レブレロ(1940-2004)の展覧会が開かれていました。
そこにディエゴ・ビアンキさんの絵本Cuentos cansados の原画が展示されているときいて、実はモンテビデオの街に出て一番に連れていってもらったのがここでした。



ディエゴ(と、呼んでしまおう!)は、 昨年6月末、イタリア・ボローニャ国際絵本原画展のときに板橋区立美術館で開催された夏のアトリエの講師として来日したアルゼンチンのイラストレーターです。成田空港へのお迎えから、前日の打ち合わせ、5日間のワークショップ、翌日の講演まで、通訳としてご一緒させてもらい、濃密な1週間を過ごしました。私にとっては、またとても大きな出会いでした(書ききれないので、詳細はここでは割愛しますが)。
ディエゴ・ビアンキについて詳しく知りたい方は、雑誌『イラストレーション』No.224 2019年12月号をご覧ください。来日のときのインタビューと、彼の作品が紹介されています。

このCuentos Cansadosは、息子ニコラスにねだられて、くたびれた「わたし」が、くたびれたお話をしてやるという、ちょっととぼけた味わいのあるお話です。冒頭部分を紹介しましょう。
ニコラス:ねえ、おはなしして。 
わたし:だめだ。くたびれてるんだ。 
ニコラス:くたびれててもいいから、おはなしして。 
わたし:しょうがないな。でも、くたびれたおはなしになるぞ。 
ニコラス:うん、いいよ。くたびれたおはなしでいい。 
わたし:よし。(ふぁー)むかしむかし……(ふぁー)……あるところに、とてもくたびれた男の人がおりました。とても、とてもくたびれていたので、ねるのに、家に帰ることもできなくて……(ふぁー)……もっていたかさを開いて、じめんの上にさかさまにおいて、かさの中にねころんでねむりました。ぐうぐう、ぐうぐうねむるうちに、雨がふりだしました。ざあざあ、ざあざあ、雨がふって、しまいにかさいっぱいに雨がたまって、男の人はおぼれそうになって、「おぼれるー、たすけてくれー!」とさけびながら、目をさましました。男の人は起き上がると、雨がふっているのを見て、雨をよけようとかさをつかみましたが、かさの中にはいっぱいに雨がたまっていたので、ザバーッと雨をかぶって、ますますずぶぬれになってしまいましたとさ。おしまい。 
ニコラス:もうひとつ。
(2ページより)
ディエゴはこの親子を、鳥の姿で描き、テクストの空想をさらにおし拡げるような絵を繰りだしていきます。テクストと絵のどちらも読む楽しさがたっぷりある、豊かな絵本です。
原画は、本で見るよりも色鮮やかで、1点1点見入ってしまう美しさでした。

この絵本を作るとき、ディエゴはレブレロの短編を読みこんで研究したと言っていたので、「訳したいけど、まだ研究不足」と私が言うと、「そこまでしなくていいよ」と言っていましたが。この絵本、日本でも紹介したいな。

この絵本の制作のようすのビデオはこちら
この展覧会のときに、この絵本についてディエゴがラジオ番組で語ったものはこちら。(スペイン語)
また、まだ少し先ですが、英語版が出るそうです。予告はこちら

レブレロの展示は、レブレロのめがねがあったり、昔の雑誌のコラージュがあったり、インスタレーションがあったり立体的で、とてもおもしろいものでした。

スペイン文化センターは、昔は金物屋だった建物のようです。
スペインは、スペイン語圏以外の国にはセルバンテス文化センターを起き(日本にもあります)、スペイン語圏の国には、スペイン文化センターを置いているとのこと。


この展覧会が見られたのは、ほんとうにラッキーでした。

2020年7月7日火曜日

Mar dulce スケッチ(5) モンテビデオの本屋さん

スペイン語圏の本屋に入ったとき、まず最初に考えるのは、「日本でも手に入る本」か「日本では手に入らない本」かということだ。
スペインに某密林書店が進出してから、日本にいながらにして手に入るスペイン語の作品は驚くほど多くなった。自分が若い頃のことを思うと、(当たり前だが)隔世の感がある。

日本で手に入る本なら、わざわざ旅先で買って、重さを気にしながら持ち帰ることはない。買うなら、日本で手に入らない本がいい。
中南米のスペイン語圏の書店で並んでいる本は、オリジナル言語がスペイン語でも、もともと出版されたのが、その国ではないことが多い。スペインで作られた本だと密林で買えることが多く、そういう本を買ってしまうと、あとでがっくりする。

そんなわけで、モンテビデオで、一番充実した書店と言って連れていったもらったMás Puro Verso でも、まずは日本では手に入らない文学作品を探した。

モンテビデオの書店 Más puro verso



しばらく棚を見ていると、その本屋が、ジャンルや作家の出身国について、どのくらい意識しているか、見えてくる。文学の棚が、スペイン語(その国、それ以外のスペイン語圏)と海外に分かれていると嬉しくなる。でも、分かれていなくても、テーマやジャンルで刺激的な棚になっていることもあって、へーっと思うことがある。

棚を見ていたら、「読んでくれ」と呼びかけてくる本があるものだ、という知人がいる。あやかりたいが、私はいっこうにそういう境地に達しない。だから、本屋さんに入ってしばらく見てから、店員さんにおすすめの本を教えてもらうのが好きだ。そうすれば、思わぬ本に出会う楽しみがある。

いきなり「おもしろい本をすすめてください?」と聞いたのでは向こうも困るだろうから、もうちょっと絞り込む。この本屋さんでは、「長く読み継がれているウルグアイの児童文学作品」と「ウルグアイの現代の女性作家の作品」を、紹介してもらった。本を見せてもらいながら、スペインだとこういう作品が好きなんだけどとか、この作家のこれがおもしろかったとか、このジャンルは苦手だとか、自分の好みを話していくと、それならこれはどう?などと、話題が広がっていく。

たとえば、この書店では、こんな本や、

ウルグアイ児童文学の古典的作品。

こんな本を教えてもらった。
1975年生まれの女性作家の作品。ロードムービーのよう。

モンテビデオに行く機会があったら、ぜひお立ち寄りください。

Más puro verso 
Peatonal Sarandí 675