昨年、両親の住んでいたマンションを処分するために、夏にかけて姉とやっきになって3LDKの片付けをしたのだが、今年は、現在長男と長女が住んでいる家族のマンションの大規模リフォームをすることになり、またしても片付けに追われている。
「こんなにあれこれ買い込んで」と、昨年毒づいていたのだが、今は、自分がまぎれもなく母の子であることを再認識しつつある。
5年前に出たとき、彼らも使うだろうと思って残してきた保存食品や掃除用品は、ほとんど使われないままで、代わりに、界面活性剤が入った洗剤類や、匂いのする柔軟剤や、合成保存料や調味料がいっぱい含まれていそうなインスタント食品など、私の嫌いなものがそこらじゅうにある。
自分の跡など残さず、この際、パーッと思い切って何もかも捨ててしまえという気がしてきた。
「何から捨てようか」から、「ともかくとっておきたいものだけとっておこう」とだんだんと考えが変化していくのは、昨年と同じ。そうなると、ゴールは近い。
そこで、大事なものだけ回収してきた。
まずは、20代の頃に買った陶器の置物。神保町のカフェテラス古瀬戸がオープンして間もない頃に開催された、瀬戸の美夜之窯の作品展で一目惚れして買ったものだ。
体に星のもようのあるアステカ犬。病気になったとき、この犬を抱いていると熱がさがるのだとか。当時メキシコとは縁がなかったのだが。
独り住まいの玄関の下駄箱の上にのせる。もっと早く連れてきてやればよかったと思うほど、ぴったりおさまった。
居間のキャビネットの引き出しには、ちびた鉛筆がまだまだどっさりあった。これも、選り分けて持ち帰る。
死ぬまでに使い切れるのだろうか。
捨ててもよさそうだが、こうなったら意地だ。
ここ数年で、もうこんなに↓ 使ってきたのに!
鉛筆のために長生きしよう。
引き出しにしまいこまれていた、ドイツ製の木のおもちゃも持ち帰った。
一番大きい木も5センチくらいしかない、かわいい森。買うときに、安全な塗料が使ってあると言われた覚えがある。
家の屋根にする青い三角のパーツだけ1つ足りないけど、いつかだれかにプレゼントしよう。
考えが変わって、捨てることにしたものもある。
スペインにいた頃に子どもたちが図画工作で作ったものを、段ボールに入れて押入れにつっこんであったが、今日見たら、もういいかなという気持ちになった。
お別れに、写真でだけ残しておくことに。たとえば、こんなものたち。
6月末にはリフォーム開始。自分が住む可能性は少ないけれど、楽しみだ。
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