2015年6月9日火曜日

 Contarで始まりContarで終わる

バルセロナの日々(6)

 4月を10日ほどすぎたころ、スペイン大使館から電話が来た。
「書類審査を通過しましたので、20日の午前10時20分に大使館においでください」
 日本人の女性職員が事務的に告げた。
 やったー! 面接に行ける! 
 面接官は何人だろう。話がききとれるだろうか。ちゃんとこたえられるだろうか。不安が押し寄せてきた。でも、今さらじたばたしても始まらない。今のままの自分でぶつかるしかないと、腹をくくった。
 当日は、お気に入りの服で気持ちをもりたてた。水色のハイネックと、花をあしらった紺系の長めのスカートに、丈の短い黒いジャケット。誕生石のトルコ石が揺れるピアスをぶらさげ、若い頃、気合いを入れたいときに愛用していたシャネルの十一番の口紅をひいた。
 早めに神谷町に行き、駅のそばのドトールで一息いれる。オフィス街をいきかう人々をながめながら、今この中でいちばんドキドキしているのは私かもしれないと思った。
 大使館の一階のサロンで待っていると、指定の時間を過ぎたころ、40前後の頭部のややうすい男性が階段をおりてきた。この人が面接官だろうか? 二階の事務室に案内され、真ん中に置いてあるいすにすすめられるままにすわると、その人はいきなり言った。
―クエンタCuenta.
えっ? 何を言われたのか、とっさに判断できなかった。数えろ? 動詞contarには、「数える」「話す」の意味がある。でも、数えろなんてへん。じゃあ、話せっていうこと? 
「書類を読んだけれど、何をしたいのかもう一度説明してくれますか?」
 助け船をだしてもらって、面接官はその人だけなのだとわかった。
 児童文学の作品を通して、おさない日本の読者が、ステレオタイプに陥らないスペイン人の姿を知ることは、真の国際理解に役立つことだ。すぐれたスペインの作品を日本に紹介していくため、ぜひともスペインで学びたいという、計画書の趣旨をどうにかこうにか説明する。面接官が言った。
「よくわかった。私はとてもいいと思う。やりたいことがはっきりしているし、計画もしっかりしている。ただし、ふたつ問題がある。一つはスペイン語の能力を証明する書類がないこと。つまり、スペイン外務省は、せっかく奨学金を与えた人間が、スペイン語ができないために勉強が続けられなくなるのをおそれている。もう一つは、年齢がややオーバーしていること。30歳で年とっている人もいれば、50歳で若々しい人もいるのだから、私は年齢制限などばからしいと思うし、何で『36歳』と定めたかも不明だ。だけど、本国の審査員の中には気にする者もいる。この面接のあと、世界各国から集まった書類が本国で審査される。あなたのやろうとしていることは、とても意義があると私は思う。私はおすよ」
 喜びがわきあがってきた。だいじょうぶかもしれない。空気がいきなりやわらいだ。
「そのピアスはインディアンのかい?」
 トルコ石のぶらさがったピアスは、確かにネイティブアメリカンふうのアクセサリーだった。
「いえ、トルコ石は私の誕生石なので縁起をかついでつけてきたんです」
 関係ない話をしてるけど、何気なく私のスペイン語力を確かめてるんだろうなと思いながら、私はもうひとつのことを考えていた。話ついでだ。あれを言ってしまおうか? やっぱりやめておこうか。でも、このぶんなら言ってもだいじょうぶかも……。
 ずっと心にひっかかっていた言葉を、私ははきだした。
「実は私、ひとりで行くんじゃないんです。子どもを連れていこうと思っているんです。3人」
「子連れ」と言ったら不利になるかもしれないと、書類では一切触れなかった。でも、言っておいたほうがいいんじゃないかと、ずっと迷ってきたことだった。
 面接官はあっさり言った。
「それはいい。子どものときから異文化を知るのはとてもいいことだ。私も子どもをこちらの学校にかよわせている。そんな子が大人になったとき両国の架け橋となっていく。子どもがいっしょなら、いっそう価値がある。どうして書類にそう書かなかったの?」
 なごやかに面接は終わった。ドアまで送ってくれたとき、面接官が言った。
―Cuenta conmigo.
 動詞contar+con+人。人を当てにする。つまり、「まかしとけ」!
 うれしさがこみあげてきた。やるだけやった。地下鉄駅までの帰り道、春の陽射しが気持ちよかった。

 そして7月26日。スペインから通知が届いた。ちょっとお使いに行こうとした出がけに郵便受けを開けると、スペイン外務省から封筒が来ていた。待ちきれず、びりびりと封をあけた。お役所ことばのかしこまった手紙。でも、かんじんな文字はすぐ目にとびこんできた。
「1999-2000年度 月額97,500ペセタの奨学金を授与する」
 ずうっともやもやしていた霧がぱあっーっと晴れ、いきなり視界が開けたような気分だった。これで勉強できる。勉強しなさいって、スペインの外務省が言ってくれたんだ。すみわたった夏空を見上げて、深呼吸をした。「わあーっ!」と叫ぶかわりに、マンションのエントランスの階段をダーッと駆けおりた。

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