1か月以上前に頼まれた、やっかいな原稿の締切日だった。JBBY(日本国際児童図書評議会)会長名義で書く文章で、余裕をもって頼まれていたのに案の定難航して、ゴールデンウィークごろから落ち着かなかった。
構成を考えて、資料を読んで、どうすれば説得力を持たせられるかと悩んで、書いては消し、消しては書き。削除したけれど復活させるかもとプールしたテキストが積もり積もって2000字にもなるのにまだできない。
もう一息と思いながらwordを離れると、『ハリケーンの季節』の担当編集さんからメールが来ていた。「選考会の時間は、会社で待機しております。」
この日は、日本翻訳大賞の最終選考会が5時から7時まであって、入賞した訳者にだけ電話連絡がくることになっていた。
その後、再び担当編集さんからメール。日本翻訳大賞の選考・運営委員の西崎憲さんからのメールを転送してくださる。ありがたい言葉。
正午すぎ、ようやく4000字あまりの原稿が仕上がって、副会長と事務局に、とりあえずこれで提出しますと連絡。長い長いトンネルを抜けた気分。
スパゲティをゆでて、冷凍してあったミートソースで昼ごはん。我ながらおいしい。
朝ほした洗濯物がきれいに乾いていたので、とりこんでたたむ。
ミランフ洋書店で発送する本があり、梱包する。郵便局に行こうと自転車に乗ったら、ペダルを漕ぐなりキーキーいやな音がする。
アパートの前の駐輪スペースで、カバーをかけてある隣の自転車が、風が強いと必ず倒れかかる。その前日もまきぞえをくって、自転車が横転していたのを思い出す。よく見ると、チェーンガードの一部がへこんでいる。まいったなあ。
なるべくペダルをこがないようにして、郵便局に行って帰ってきて、自転車屋さんにいつ持っていけるかなと考える。
少し前に翻訳原稿をおさめたノンフィクション絵本の進行が気になっていたので、某出版社に電話。「出すのは来年かな」と言われて、ちょっとホッとする。
昨年、スペインの翻訳助成金をもらった絵本の出版報告の文書がそろったので、提出手続きをする。担当編集に完了の連絡をして、6月になったら一度、ゆっくりお会いしましょうと、メールでやりとり。
スペインの翻訳助成金の申請サイトに入ったついでに、今年の申請時の記入事項を一通りチェック。去年とかわりがなくて安心する。
くだんの原稿を、メールで送信して納める。
夕方、『赤い魚の夫婦』の編集者さんとの待ち合わせ場所に向かう。「前のときは、一緒にいられなかったから、今度は一緒にいますよ」と、声をかけていただいていた。
電波が入りそうな焼き鳥屋を予約してくれていて、近況報告をしあう。
生ビール2杯目に入る。普段の家飲みだと350cc缶で十分なのに、どうして飲みにいくと2杯は飲んでしまうのか。
窓際の席から、だんだん暮れていく街が見える。ずいぶん日が長くなったなと感じる。
7時をまわって、「もうないかな」と思ったけれど、担当編集さんに電話したら、受賞したと勘違いされそうで申し訳なく、テーブルに置いたスマホをただ見ている。
スマホに着信があり、とると担当編集さん。
「来ませんね」「ダメでしたね」「引き続き売りますよ。また別の作品も」「すみません」みたいな会話。気づかいに、いたみいる。
「2時間です」と、焼き鳥屋を追い出される。
沖縄料理屋へ。
最近の仕事のこと、秋に予定している本のこと、腹立たしく思ってしまう赤字とそうでない赤字がどうしてあるのだろうという話、メキシコ大使館のイベントで声をかけてもらってから『赤い魚の夫婦』に至るまでの思い出話、「ネッテルは、ほんとによかったね」「ゴーヤが苦くておいしいね」「シークワーサーサワー、濃いね」「ネッテル、またよろしく」など。
沖縄料理屋を出て、地下鉄の入り口近くの、植え込みのレンガのところで、さらに30分以上おしゃべり。かたい握手で別れる。
帰りの地下鉄のなかで、「人様の運命を少し変えるかもしれないことなので、できればやりたくない。逃げだしたい。」という、西崎憲さんのツイートを読む。
だいじょうぶ。賞がなくても、運命は変わらないよ、と思う。
2年前と違って、これからも自分なりの仕事ができる自信がついたから。もういいよ、という気持ち。
悔しくなくはないけど、審査員に読んでいただき、真剣に討議していただけたのは、信じられない僥倖だ。10年前の自分に教えてやりたい。
審査員にも賞の運営スタッフにも、応援してくれた読者の方にも感謝。10回も続けてこられたなんて、スゴイ。
日曜日は、受賞者をたたえよう(と、思えたのは、ほんとうは翌土曜日)。