2025年2月27日木曜日

海の向こうに本を届ける 著作権輸出への道



今月半ばの寒い朝、2月8日に栗田明子さんが亡くなられたという知らせを受けました。

栗田さんは、日本文学の版権輸出の道を拓いたパイオニアです。

縁あって私は、1997年10月ごろから1999年初夏までと、留学をはさんで2003年から2年くらい、栗田さんのアシスタントをしていました。海外からオファーが来たら、その内容を作家や出版社に連絡したり、契約書を作ったり、契約書を送って押印してもらったりという週3日のパートでした。

出産後、文化的刺激がほとんど皆無の毎日を過ごしていたときだったので、海外とつながり、文学の話題が飛び交うなかで働くのは楽しいことでした。

「出版ニュース」への連載のあと本になった『海の向こうに本を届ける』(晶文社、2011)には、驚くような冒険の数々が綴られています大胆で、思い切りがよく、明るく、たくましく、すごいなあとため息が出ることばかりです。なかには、私がリアルタイムで見ていたこともあって、あのとき栗田さんは、こんなことに挑戦なさっていたのか、とドキドキします。

情熱、言い訳をせず、驕ることも卑下することもなく、正直に人と向き合うことが仕事のうえで大切だということは、栗田さんの仕事ぶりから学んだことかなと思います。

引退されて、芦屋に移られてから2度ほど訪ねましたが、2019年9月、芦屋文学サロン「小川洋子の世界を語る」に小川洋子さんとともに登壇されたときにお話を聞いたのが最後になりました。

静かに逝かれたとのこと。どうぞ安らかに、とお祈りします。

2025年1月25日土曜日

『この銃弾を忘れない』

 


『この銃弾を忘れない』
作:マイテ・カランサ
徳間書店
2024.12

おとなたちの戦争のさなかに
少年は困難な旅に出る・・・

1938年の夏から秋のスペイン北部を舞台に、捕虜収容所にいる父のもとへ、狼や逃亡兵・ゲリラの潜む200キロの山中を、13歳の少年が愛犬を道連れに旅していく物語です。

この作品を最初に読んだとき、主人公のミゲルが旅の目的を果たせますようにと思いながら、読む手が最後まで止まりませんでした。好んで出かけたわけではないその冒険のなかで、ミゲルが考え、スペイン内戦の実相がちらちらと見えてくるところがいいな、と思いました。

いざ訳してみると、「わからない」「これはなんのこと?」と編集者から指摘がつぎつぎ入り、ミゲルとともに読者にハラハラドキドキしてもらうには、思った以上に説明が必要だったのですが。

内戦下やフランコ独裁時代のレオン地方やアストゥリアス地方の山岳地帯には、フランコ側につきたくなくて逃げた人びとやゲリラ(「マキス」と呼ばれていました)がひそんでいました。

同じような状況下の物語に、『リャマサーレス短篇集』(木村榮一訳 河出書房新社)に収録された「ラ・クエルナの鐘」や「夜の医者」(これは場所は違います)がありますが、ほんとうに恐ろしいんです。

内戦って? ファシズムって? 思想統制って?などを、考えるきっかけにもなる物語です。
映画『パンズ・ラビリンス』『ブラック・ブレッド』などにもつながっています。

30年前に私の翻訳デビュー作ジョアン・マヌエル・ジズベルト『アドリア海の奇跡』を担当してくれた徳間書店の編集者上村令さんと、彼女が引退する前にもう1作!という願いを、ようやくこの仕事でかなえることができたのもうれしいことでした。

徳間書店が隔月に発行している「子どもの本だより」2025年1、2月号にインタビューものせていただいたので、機会があったらご覧ください。

どうか手にとっていただけますように。




2024年9月22日日曜日

翻訳特別賞をありがとうございます


 このたび、フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』(早川書房)の翻訳で、NPO法人日本翻訳家協会より翻訳特別賞をいただけることになりました。

 どうもありがとうございます。

 気づくとデビューから25年たっていて、同年代が定年を迎える年廻りなのに、翻訳者としての足場がまだまだ安定していないことに焦りをつのらせていたのは4年前のことです。明日の保証はなく、「もうやーめた」と自分が言えばそれっきりだな、と思っていました。

 そんな心持ちが少しずつ変化してきたのは、ここ3年くらいのことでしょうか。賞があってもなくても、できることしかできないし、日々やることは変わらないのだけれど、今回の表彰で、その仕事をやっていていいよ、とさらに肩を押してもらえた気がして、とても励まされました。

 それに、多くの友人が自分のことのように喜び祝福してくれたのが殊の外うれしく、幸せをかみしめています。ほんとうにありがとう!

 また、この仕事をいただけたのも、ネッテル『赤い魚の夫婦』(現代書館)があってのことでした。ネッテルを出してくれた編集の原島さん、あらためてありがとうございます!

 これからも精進し、翻訳していきます。

2024年7月8日月曜日

牧落の市場まで

先日、地元のあるイベントで、ボランティア仲間のMさんと話をしていたら、なんと、小学校の前半をすぐご近所で送り、共通の場所で遊んでいたことがわかりました。

大阪府箕面市の社宅で過ごした数年間。

当時の記憶をたどっていたら、牧落の駅のそばにある市場まで母と買い物にいったときのことがよみがえってきました。

昔ながらの市場は、いろんなお店が入っていて、私が覚えているのは、さまざまな色合いの味噌を山型にとんがらせてしゃもじを刺していた味噌や乾物のお店とか、サマーヤーンなどの手芸用品を売っていたお店、うぐいすもちや草餅や桜餅を売っていた和菓子屋さんなど。

母は、どんなものを買っていたのかな。

市場までの道は影がなくて、夏の日差しの下、「暑いね」と言いながら、手をつないで歩いた覚えがあります。途中に川があったような。

そういえば、歌ったら元気が出るよと言われて、かけあいで歌ったのではなかったか。

なんだったけな、どんな歌だったっけ・・・。すると、歌の最後の部分が浮かんできました。

  ・・・庭のおいまつ

ググってみると出てきました。


春は緑の においめでたく

夏は木かげに わたるそよかぜ

雪のあしたも 月のゆうべも

ながめゆかしき 庭の老松


渋いけど、美しい! 幼稚園児か小学校低学年だった自分が、こんな歌をうれしそうに母と道々歌っていたとは! 

春は、春は・・・、緑の、緑の・・・と、母について歌えばよくて、まちがえずついて歌えると母もにこにこして、うれしかったな。

あの頃、寝たきりの祖母がいたのに、どうして祖母も姉もおいて、2人で出かけられたのかわからないけれど、子どもとたまに買い物に行くのがうれしかったのだろうなと、30代半ばだった若い母を思って、ちょっとうるっとなってしまう。

父はいたけれど、今、私の頭の中では、矢野顕子の「愛について」が鳴りひびいています。

遠い遠い、昔のこと。

Mさん、思い出させてくれてありがとう!

2024年5月19日日曜日

ある金曜日

 1か月以上前に頼まれた、やっかいな原稿の締切日だった。JBBY(日本国際児童図書評議会)会長名義で書く文章で、余裕をもって頼まれていたのに案の定難航して、ゴールデンウィークごろから落ち着かなかった

 構成を考えて、資料を読んで、どうすれば説得力を持たせられるかと悩んで、書いては消し、消しては書き。削除したけれど復活させるかもとプールしたテキストが積もり積もって2000字にもなるのにまだできない。

 もう一息と思いながらwordを離れると『ハリケーンの季節』の担当編集さんからメールが来ていた。「選考会の時間は、会社で待機しております。」

 この日は、日本翻訳大賞の最終選考会が5時から7時まであって、入賞した訳者にだけ電話連絡がくることになっていた。

 その後、再び担当編集さんからメール。日本翻訳大賞の選考・運営委員の西崎憲さんからのメールを転送してくださる。ありがたい言葉。

 正午すぎ、ようやく4000字あまりの原稿が仕上がって、副会長と事務局に、とりあえずこれで提出しますと連絡。長い長いトンネルを抜けた気分。

 スパゲティをゆでて、冷凍してあったミートソースで昼ごはん。我ながらおいしい。

 朝ほした洗濯物がきれいに乾いていたので、とりこんでたたむ。

 ミランフ洋書店で発送する本があり、梱包する。郵便局に行こうと自転車に乗ったら、ペダルを漕ぐなりキーキーいやな音がする。

 アパートの前の駐輪スペースで、カバーをかけてある隣の自転車が、風が強いと必ず倒れかかる。その前日もまきぞえをくって、自転車が横転していたのを思い出す。よく見ると、チェーンガードの一部がへこんでいる。まいったなあ。

 なるべくペダルをこがないようにして、郵便局に行って帰ってきて、自転車屋さんにいつ持っていけるかなと考える。

 少し前に翻訳原稿をおさめたノンフィクション絵本の進行が気になっていたので、某出版社に電話。「出すのは来年かな」と言われて、ちょっとホッとする。

 昨年、スペインの翻訳助成金をもらった絵本の出版報告の文書がそろったので、提出手続きをする。担当編集に完了の連絡をして、6月になったら一度、ゆっくりお会いしましょうと、メールでやりとり。

 スペインの翻訳助成金の申請サイトに入ったついでに、今年の申請時の記入事項を一通りチェック。去年とかわりがなくて安心する。

 くだんの原稿を、メールで送信して納める。

 夕方、『赤い魚の夫婦』の編集者さんとの待ち合わせ場所に向かう。「前のときは、一緒にいられなかったから、今度は一緒にいますよ」と、声をかけていただいていた。

 電波が入りそうな焼き鳥屋を予約してくれていて、近況報告をしあう。

 生ビール2杯目に入る。普段の家飲みだと350cc缶で十分なのに、どうして飲みにいくと2杯は飲んでしまうのか。

 窓際の席から、だんだん暮れていく街が見える。ずいぶん日が長くなったなと感じる。

 7時をまわって、「もうないかな」と思ったけれど、担当編集さんに電話したら、受賞したと勘違いされそうで申し訳なく、テーブルに置いたスマホをただ見ている。

 スマホに着信があり、とると担当編集さん。

「来ませんね」「ダメでしたね」「引き続き売りますよ。また別の作品も」「すみません」みたいな会話。気づかいに、いたみいる。

「2時間です」と、焼き鳥屋を追い出される。

 沖縄料理屋へ。

 最近の仕事のこと、秋に予定している本のこと、腹立たしく思ってしまう赤字とそうでない赤字がどうしてあるのだろうという話、メキシコ大使館のイベントで声をかけてもらってから『赤い魚の夫婦』に至るまでの思い出話、「ネッテルは、ほんとによかったね」「ゴーヤが苦くておいしいね」「シークワーサーサワー、濃いね」「ネッテル、またよろしく」など。

 沖縄料理屋を出て、地下鉄の入り口近くの、植え込みのレンガのところで、さらに30分以上おしゃべり。かたい握手で別れる。

 帰りの地下鉄のなかで、「人様の運命を少し変えるかもしれないことなので、できればやりたくない。逃げだしたい。」という、西崎憲さんのツイートを読む。

 だいじょうぶ。賞がなくても、運命は変わらないよ、と思う。

 2年前と違って、これからも自分なりの仕事ができる自信がついたから。もういいよ、という気持ち。

 悔しくなくはないけど、審査員に読んでいただき、真剣に討議していただけたのは、信じられない僥倖だ。10年前の自分に教えてやりたい。

 審査員にも賞の運営スタッフにも、応援してくれた読者の方にも感謝。10回も続けてこられたなんて、スゴイ。

 日曜日は、受賞者をたたえよう(と、思えたのは、ほんとうは翌土曜日)。

2024年5月6日月曜日

『アチケと天のじゃがいも畑』

 


『ペルーのむかしばなし アチケと天のじゃがいも畑』
文:宇野和美
絵:飯野和好
BL出版
2024年3月

 BL出版の「世界のむかしばなしシリーズ」第3弾の1冊として、ペルーのむかしばなし絵本が少し前に刊行になりました。
 前に、スペインの昔話を、というご依頼で、カタルーニャの昔話『まめつぶこぞうパトゥフェ』に取り組み、今回はラテンアメリカの昔話をと、2年前にお話をいただき、とりくんできたものです。
 ラテンアメリカの昔話は、玉川大学出版部刊行の『火をぬすんだウサギ アルゼンチン ウィチーのおはなし』も以前に再話したことがあります。あのときは、ラテンアメリカの動物が出てくる昔話という依頼でしたので、今回は人間の物語がいいなと、ぼんやりと考えていました。

 ラテンアメリカの昔話は見かけるごとにあれこれ買い集めてきたので、手元にはさまざまなアンソロジーがあります。でも、絵本にするとなると、物語としてのおもしろさや、32ページ15見開きプラスアルファにできる長さと起伏、絵にしたときの見栄えや美しさなどが必要になって、どれもこれもというわけにいきません。
 結局、いくつか提案したなかから、ホセ・マリア・アルゲダスとフランシスコ・イスキエルド=リオスのMitos,leyendas y cuentos peruanos『ペルーの神話と伝説とむかしばなし』に入っていたEl Achiqueé というお話を絵本にすることになりました。
 そして、編集の鈴木加奈子さんのご提案で絵は飯野和好さんに描いていただけることになりました。翻訳は、もうできあがったものを訳しますが、今回はどんな絵が出てくるかわからないので、とても楽しい仕事でした。

 飯野さんの迫力満点の絵とお話をどうぞ楽しんでください。

2024年4月18日木曜日

広瀬恒子さんのこと

 


 広瀬恒子さんが亡くなられた。

 広瀬さんのお名前をはじめてきいたのは、『ペドロの作文』(アントニオ・スカルメタ著 アルフォンソ・ルアーノ絵 アリス館 2004)が翻訳出版されたときだった。

「高く評価してくださった」と、編集者からきいてうれしかった。だけど、ご本人にお会いしたのは、もっとあとになってからだ。

 親地連(親子読書地域文庫全国連絡会)に呼んでいただいて、2012年6月に話をしたことがあったが、あのときは広瀬さんが代表だったろうか。

 日本子どもの本研究会の機関誌「子どもの本棚」2014年1月号(No.543)で、「スペイン語圏の子どもの本の世界 翻訳家宇野和美のしごと」という特集を組んでいただいたとき、広瀬さんは「子どもの可能性への信頼」という文章を寄せてくださった。そこでとりあげられていたのは、『ペドロの作文』と『雨あがりのメデジン』(アルフレッド・ゴメス=セルダ作 鈴木出版 2011)だった。

『雨あがりのメデジン』に登場するマールさんという図書館員のことを「本当の司書ってマールさんのような人ではないかと共感させられた」と書かれている。この本のこと、マールさんのことは、会うたびに話題にしてくださり、ご講演でもとりあげてくださった。心許ない翻訳者にとって、そういうご縁をいただけたのは、とてもありがたいことだった。

 最後にお会いしたのは、東京外国語大学で非常勤講師をしていたときだ。コロナになる前の年かその前くらいか。帰り道の西武多摩川線で、ばったりお会いした。夜にかかる会合などには、もうお出にならなくなっていて、しばらくお会いしていなかったので、1駅だけだったけれどうれしくて、疲れもふっとんだ。

 訳書が出たとき、広瀬さんはどう読んでくださるだろうと考えずにはいられない、鋭く厳しく、そして子どもを大切にする読み手だった。広瀬さんのような方がいるから、いい仕事をしたい、いいかげんなことはできない、といつも思わせてくださる存在だった。

 子どもの本の翻訳をするようになって出会った、ふたまわりかそれ以上か年上の、一家言ある活動的な先輩の多くがあの世の人となっていき、いつのまにか自分も、当時の先輩たちの年齢に近くなった。

 今はただ感謝し手を合わせている。ありがとうございました。