2015年8月11日火曜日

サルダニョーラのアパートへ

バルセロナの日々(9)


 でも、祈っていただけではない。留学生課の人に会う前に、ひとつ、やっておくことがあった。
「ラ・バングアルディア」という新聞の不動産欄をあたってみることだった。バルセロナで最もポピュラーな新聞、ラ・バングアルディア紙には、日曜日を中心に不動産の欄がある。市内の不動産情報は、これが一番詳しいと聞いていた。
 バルセロナに着いてから一応チェックはしてみていたが、寮というあてがあったし、新聞で物件を見つけたところですぐ契約できるとは思えなかったので、ざっと眺めただけだった。これは、もう一度きちんと見てみなければ。市内ならいくらくらいでアパートが借りられるのか確かめておきたいし、アパートの事情ももう少し通じておきたい。コンパクトな市街地図を買いこんで、地図と首っぴきで物件を調べはじめた。
「○○通り、○部屋、家賃xx」等、びっしりと字が並んだ不動産欄。見ているうちに、少しずつ事情がわかってきた。通りと番地がわかれば、地図ですぐ位置が確かめられる。スペインのアパートはたいてい、居間兼食堂と寝室という構成なので、寝室がいくつあるかが、家の大きさの目安になる。複数の寝室がある場合、ひとつは夫婦の寝室、つまりダブルベッドかツインが入る部屋だ。家具付と明記していなければ、家具なしの物件。ためしに何軒か、電話で問い合わせてみた。
 家賃は、全体に、日本の住宅と比べると安い感じだった。ほとんどは、前にハルちゃんにきいた金額の半額以下だ。家族寮くらいの家賃のところもたくさんある。
 見ているうちに、やっぱりバルセロナ市内がいいや、大学の寮にしなくてかえってよかったかもしれない、と楽天的な気分になってきた。
  
 翌日、事情を話すと、留学生課の年配の女性は言った。
「バルセロナ市内は、アパートをさがすのも小学校をさがすのも難しいわよ。その点、ここサルダニョーラなら大学に近いし、アパートは安くてさがしやすい。バルセロナだと、たとえ家が見つかっても、遠くの小学校に通わせなくてはならない可能性があるけれど、サルダニョーラなら、きっと歩いていける小学校が見つかるわ。サルダニョーラにしたらどう? 子どもと住むならそのほうがいいわよ」
 まったく予想していなかった展開だった。寮でなければバルセロナ市内と、勝手に決めつけていたからだ。
 どうしよう。自治大のあるベリャテラは、サルダニョーラ市の一部だというが、サルダニョーラという名前自体、それまで聞いたこともなかった。子どもとならそのほうがいいって、本当だろうか。
 でも、きっとそうなんだ。ずっと学生の世話をしてきたこの人が言うのだもの。私一人の力であたっても、この旅行中に家は決められないだろう。ここで忠告をきいて、ともかく落ち着き先を決めておくのが得策かもしれない。9月に子どもを連れて来てから家をさがすのは、おそらく不可能だ。大学までバスで15分くらいだというし、カタルーニャ広場から国鉄で20分ほどだというから、バルセロナに出るのもそんなに不便ではない。どうしてもいやなら、あとで引っ越しという手もある。1分くらいの間に、そんなことを思いめぐらした。
「あさってには日本に帰らなければならないので、それまでに決められるなら決めたいんですけれどどうしたらいいですか」
 サルダニョーラにしようと決断して、私はたずねた。
「不動産屋に物件があるかどうか電話してみましょう」
 係の女性は、「寝室はいくつ?」「家具付? 家具なし?」と途中で条件を確認しながら不動産屋に電話で問い合わせてくれた。すると、4つ寝室のある家具つきのアパートが3軒あるので、その日の午後案内してくれるという。しかも、値段をきいてびっくり。高いところで月8万7千ペセタ。安いところだと6万8千ペセタ。あのキャンパスの寮よりも、ラ・バングアルディア紙で見た市内の物件よりもずっと安い。
 サルダニョーラという町と大学とバルセロナの位置関係さえわからないまま、教えられた大学内の停留所からバスでサルダニョーラに向かった。運転手さんにたずねて、サルダニョーラの役場前の停留所でおろしてもらい、留学生課でもらった地図だけをたよりに、約束の地点に午後4時半に行った。

 不動産屋の人は、私と同年輩のパート社員ふうの女の人だった。電話では3軒と言ったけれど、1軒はもう決まってしまって見せられるところは2軒しかない、と言ってから、車に乗せられた。客を案内する仕事の割には口数が少ないが、いやな感じはしなかった。短い丈のTシャツの下からは、細いとは言えないウェストとおへそがのぞいている。こんなくだけた服でお客さんを案内するのも国柄かしら。車で案内してくれるとは親切だなあと思ったのだが、これは留学生課で紹介してもらったからだったようだ。
 1軒目は、日本の団地のようなアパートだった。7階か8階にあったアパートは、寮よりはよさそうだったけれど、ぴんとこなかった。全体にほこりっぽく、子どもが落ちてもふしぎでないくらいベランダの手すりが低いのが気になった。
「どう?」と聞かれて、こんなときどんなふうに答えればいいんだろうと口ごもっていると、「まあ、いいわ。次のを見てから考えて」と言われた。
 そして、2軒目。大家さんがくるはずだからと、アパートわきの植え込みの縁石に座って待つこと10分。鍵を持って大家さんが現れた。30前後の、めがねをかけた、色白でふっくらとした顔だちの、感じのいい女の人だった。
「まだ男の子たちがいるんだけど、7月ちゅうには出ていくことになっているし、ことわってあるから自由に見てちょうだい」といって、案内されたのは、6階建てのアパートの2階。室内を見て、私はひと目で「これだ!」と思った。
 家族寮のよりずっとしっかりしていそうな居間の家具。壁はやわらかい色のペンキが塗られ、どの部屋にも勉強机と本棚、ベッド、たんすがそなえつけてある。今使っている男の子が貼ったのだろう。奥の部屋の壁のドラゴンボールのポスターを見て、気持ちがなごんだ。台所も使いやすそうだ。洗濯機も冷蔵庫も新しいし、食器も鍋釜もひととおりついている。何よりも、全体にこぎれいな感じがする。まわりにはお店も病院も学校もあるという。これで家賃が7万5千ペセタ(当時の相場で約5万円)なら、寮のテラスハウスより格段にいい。
 もうひとつ気に入ったのは、街の雰囲気だった。10階だてくらいのアパートが建ち並ぶ間に、ちょっとした遊び場や木立があるようすは、今住んでいる場所と雰囲気が似ていた。生活観のある街だ。子どもをひとりで歩かせられないときく市内より、こういうところのほうが、確かに子どもには住みやすいかもしれない。
 よし、決めた!
 こんなにすぐ決めていいものだろうか。でも、決断のしどきだと思った。
 予約の手続きは簡単だった。手付けとして1ヶ月分のお金を置いていけば、9月に正式な契約をするまで、それまでの家賃は払わなくてもとっておいてくれるとのこと。外国人というとアパートも借りられない日本を思うと、パスポートと大学の紹介だけで、あっさりと外国人にアパートを貸してくれることだけで驚きだった。
 手付け金の領収書と予約を証明する書類をもらい、とりあえず家の問題がかたづいた。だまされてたらどうしようという疑いが、ちらっと頭をよぎったけれど、留学生課経由だから信じてしまうことにした。これで9月にくれば家はあるはず。
 大きな課題が思わぬ方向で解決し、再び希望がわいてきた。

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