訳者の言いわけ
―スペイン語翻訳者 宇野和美のページ―
2024年5月6日月曜日
『アチケと天のじゃがいも畑』
2024年4月18日木曜日
広瀬恒子さんのこと
広瀬恒子さんが亡くなられた。
広瀬さんのお名前をはじめてきいたのは、『ペドロの作文』(アントニオ・スカルメタ著 アルフォンソ・ルアーノ絵 アリス館 2004)が翻訳出版されたときだった。
「高く評価してくださった」と、編集者からきいてうれしかった。だけど、ご本人にお会いしたのは、もっとあとになってからだ。
日本子どもの本研究会の機関誌「子どもの本棚」2014年1月号(No.543)で、「スペイン語圏の子どもの本の世界 翻訳家宇野和美のしごと」という特集を組んでいただいたとき、広瀬さんは「子どもの可能性への信頼」という文章を寄せてくださった。そこでとりあげられていたのは、『ペドロの作文』と『雨あがりのメデジン』(アルフレッド・ゴメス=セルダ作 鈴木出版 2011)だった。
『雨あがりのメデジン』に登場するマールさんという図書館員のことを「本当の司書ってマールさんのような人ではないかと共感させられた」と書かれている。この本のこと、マールさんのことは、会うたびに話題にしてくださり、ご講演でもとりあげてくださった。心許ない翻訳者にとって、そういうご縁をいただけたのは、とてもありがたいことだった。
最後にお会いしたのは、東京外国語大学で非常勤講師をしていたときだ。コロナになる前の年かその前くらいか。帰り道の西武多摩川線で、ばったりお会いした。夜にかかる会合などには、もうお出にならなくなっていて、しばらくお会いしていなかったので、1駅だけだったけれどうれしくて、疲れもふっとんだ。
訳書が出たとき、広瀬さんはどう読んでくださるだろうと考えずにはいられない、鋭く厳しく、そして子どもを大切にする読み手だった。広瀬さんのような方がいるから、いい仕事をしたい、いいかげんなことはできない、といつも思わせてくださる存在だった。
子どもの本の翻訳をするようになって出会った、ふたまわりかそれ以上か年上の、一家言ある活動的な先輩の多くがあの世の人となっていき、いつのまにか自分も、当時の先輩たちの年齢に近くなった。
今はただ感謝し手を合わせている。ありがとうございました。
2024年1月23日火曜日
『キミのからだはキミのもの』
この本は性について説明する本ではありません。子どもの生活や体は子ども自身のものであり、性暴力は身近にあることを知ってほしい、防ぎたいという願いから生まれた本です。子どもを被害者にも加害者にもしたくない、という願いです。
「プライベートゾーン」「同意」という新しい時代に即した言葉や考え方、自分のからだのことは自分で決めるという考え方や実際の対処のしかた、まわりに信じられる人がきっといるということを伝えたいと考えます。(ポプラ社HPより)
※こちらのページもご参照ください。
昨年の初夏くらいから本格的に動きだして、じっくりと翻訳にとりくんできた、スペイン発のノンフィクション絵本です。幼児から読めるようなシンプルな本ですが、
2024年1月15日月曜日
『ガウディさんとドラゴンの街』
スペインの建築家ガウディさん。彼の1日は、グエル公園にある家から仕事に出かけることから始まります。カサ・ミラ、サグラダ・ファミリア、カサ・バッリョ・・・バルセロナ出身の絵本作家が、モノづくり精神に打ちこんんだガウディの1日を綴り、2年をかけて詳細で緻密な絵で描いた作品。(版元ドットコムより)
2023年12月29日金曜日
『ハリケーンの季節』
ブッカー国際賞、全米図書賞翻訳部門、名だたる国際的文学賞候補となったメキシコの新鋭による傑作長篇魔女が死んだ。鉄格子のある家にこもり、誰も本当の名を知らない。村の男からは恐れられ、女からは頼られていた。魔女は何者で、なぜ殺されたのか? 現代メキシコの村に吹き荒れる暴力の根源に迫り、世界の文学界に衝撃を与えたメキシコの新鋭による長篇小説
(版元HPより)
この作品の翻訳の依頼が舞いこんだのは、グアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』が発売になってまもない2021年9月8日のことでした。
実はこの作品、ブッカー国際賞のファイナリストになったあと、日本でも翻訳出版されるべきと思い、2020年の末に、ある出版社に私ももちこみました。けれども、その後、連絡のないまま時がすぎ、日本翻訳大賞の授賞式のときだったかに、偶然顔を合わせた編集者から、ほかの社に版権が売れたと告げられたのでした。そのときは、自分には縁がなかったという思いと、やらなくてよかったかもしれないという思いがありました。翻訳が難しいことはわかっていたからです。
なので、依頼をもらったときは仰天しました。もう誰かが手がけていると思っていたし、怖気づきもしました。だけど、「やらないと一生後悔する」という気持ちが勝って、翌日には、よろしくお願いしますと返事をしました。
それにしても、ほんとうに難しかった。登場するさまざまな〈声〉の方向がなかなか定まらず、わからない表現も多く、時間がかかり、「これでこけて、翻訳者として終わりになるのでは」という不安にさいなまれました。
翻訳していると、自分に足りないものがおのずと見えてきます。今回は特に罵倒語や俗語がそれでした。人が殴られたり死んだりするのや物が壊れるようなシーンが出てくるものは、小説でも映画でも、普段できるだけ近づかないようにしているたちなので、そういう方面の語彙の引き出しが極端に貧弱なのです。そこでインプットしようと、マンガを描いている映画好きの長男に頼みこんで、参考になるマンガや映画を教えてもらいました。マンガはまだ抽象化されているので読めても、映画は見ていられず(気持ちが悪くなる……)、音声だけ聞いたものも多々ありましたが。若者のあいだで使われている性的俗語も、彼が頼りでした。そんな付け焼き刃で大丈夫かと心配されても、付けないよりマシかと。
方言をどうするかの問題もありました。これは考えたすえ、川上未映子著『夏物語』の英訳者の話を聞くなかで、人物間の関係性を反映した口語にすることを目指すことに決めました。
また、上岡伸雄訳『ネイティヴ・サン アメリカの息子』には、主人公の思考をたどるところに類似する部分を感じて、大いに刺激されました。参加している読書会がきっかけで、ちょうどその時期に出会えてラッキーでした。
スペイン語も難しかった。同じメキシコ人作家でも、ネッテルの文章はユニバーサルな書き言葉ですが、メルチョールのこの作品は極めてローカル。ベラクルス方言や口語など、みたことも聞いたこともない表現については、メキシコ大使館のベラクルス出身の方が力になってくださいました。でも、自分の勘違いだったらめちゃくちゃ恥ずかしいと思って、思い切って聞けない卑猥な表現もあって、そんなことや、日本語でしかうまく尋ねられないことなどで、強い味方になってくれたのが棚橋加奈江さんでした。映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』の原作本の訳者である棚橋さんには、メキシコの作品で翻訳に戻ってきてほしいと心から思います。
「こういう世界もある」ということを、数か月間つきつけられつづけるような翻訳作業でした。ともかく、フェルナンダ・メルチョールの代表作となるに違いないこの作品を、日本の読者に読み通していただけるよう、ただただ願っています。
どんな作品か、ご興味のあるかたは、こちらであとがきの一部をご覧ください。
https://www.hayakawabooks.com/n/n8b6060878fe0?sub_rt=share_h
2023年12月24日日曜日
クリスマスの思い出
2023年12月10日日曜日
『吹きさらう風』
アルゼンチン辺境で布教の旅を続ける一人の牧師が、故障した車の修理のために、とある整備工場にたどりつく。
牧師、彼が連れている娘、整備工の男、そして男とともに暮らす少年の4人は、車が直るまでの短い時間を、こうして偶然ともにすることになるが――
ささやかな出来事のつらなりを乾いた筆致で追いながら、それぞれが誰知らず抱え込んだ人生の痛みを静かな声で描き出す、注目作家セルバ・アルマダの世界的話題作。(版元ドットコムより)